〈修学旅行のバス、手配忘れる 辞職覚悟した新人を救った校長の手紙〉  40年近く前の1983年、室田善弘さん(61)は大手旅行会社の新入社員だった。  この年の10月、都内の公立中学校の修学旅行に同行。  同僚と2人で添乗員を務め、自分がチーフを任されていた。  行き先は定番の京都・奈良で、2泊3日の行程。初日は二条城や金閣寺などを巡る予定だった。  京都へは、東京駅を午前9時3分に出発する新幹線で向かう。  学校から東京駅までは貸し切りバスを手配していたが、予定していた7時15分になっても来ない。  バス会社に電話すると「今日、そんな予約はありませんよ」と言われた。  室田さんが日程を間違えて依頼し、前日の確認も怠っていたのだ。  教師や生徒、保護者たちは一様に「えっ、大丈夫なの?」という表情。  なんで、たった1本の電話を怠ってしまったんだろうか。今すぐ、この場から逃げ出したい。  電車に乗って東京駅に向かおうにも、通勤ラッシュの時間帯だ。  生徒と先生、合わせて200人以上もいるというのに。  「大変申し訳ありませんが、東京駅へは電車で向かいます」  悩む時間すら惜しいなか他の選択肢は見当たらず、そう宣言した。  学校を出たのは7時半ごろで、東京駅へは乗り継ぎも必要だった。  ホームの端から端まで分散して、一斉に満員電車に乗り込むことに。  しかし、大きな旅行バッグを抱えていることもあって、何回かに分かれて乗車した。  タイムリミットまで1時間半あったが、駅で二百数十人分の乗車券を購入するなど、絶えずバタバタしていた。  東京駅の新幹線ホームで、全員そろっていることを確認したのは9時ジャスト。出発の3分前だった。  校長先生のもとへ行き、経緯を説明して謝罪した。  「すべては自分の個人的なミスで、会社は何も悪くありません」  会社の責任となれば、テレビや新聞沙汰になりかねない。  実際、過去にそういう事故が起こったことも知っている。  そんな思いから出た言葉だったが、「今回の件を許すことは、まかりならん!」と一喝された。  怒られて頭が真っ白になり、会社を辞めるしかないと思った。 ■辞表を持って出社したら  この修学旅行が最後の仕事だ。そう思って気持ちを切り替えた。  せめて迷惑をかけた罪滅ぼしになればと、必死で働いた。  2日目は薬師寺や法隆寺、奈良公園へ。3日目は銀閣寺や清水寺を巡って帰京した。  昼は急病になった生徒に対応したり、夜は生徒指導の教師といっしょに宿舎内の見回りをしたり。  旅程管理だけでなく、自分ができる精いっぱいのことをした。  修学旅行を終えた翌日、辞表を持って出社。  自分が責任をとって退職でもしない限り、許してもらえないと思っていた。  辞表を渡そうと上司のところへ行ったら、反対に一通の封書を渡された。  「昨日、校長先生からお前に渡してくれと預かったものだ」  開いてみると、達筆でこんな風に書かれていた。  「自分の失敗を挽回(ばんかい)するために必死になっている人を見ると、誰だって応援したくなります。それが人情というものです。これからも宜(よろ)しく」  入社直後からトップセールスを続けて、てんぐになっていた自分を猛省した。  こんな風に応援してもらえたり、感謝してもらえたりするのが仕事なんだ、と気づかされた。 ■すでに他界した先生へ  校長先生とは、その後も交流が続いた。  仕事に関しては直接の担当ではなかったため、営業担当者を通じてやりとり。  校長先生が教育委員会に転任してからは、個人的な付き合いも始まった。  あの時の手紙に加えて、人生の節目でもう一つ、校長先生から贈られた言葉がある。  「逆境の時にこそ、その人の真価がわかる」  修学旅行から7年後、室田さんの結婚披露宴でのあいさつだ。  一連の出来事は、忘れないようにパソコンにメモとして残してある。  先日ふと読み返して、今は亡き校長先生に思いをはせた。  「先生ありがとうございます。先生のお言葉、今も大切にして生きています」(若松真平)