暮らすこと越境すること (10/21) 千々石 有希(ちちいし ゆき)
この日曜日の豆ランチパーティーのゲストスピーカーの加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター代表理事)のお話、心にしみました。涙声になりながら自己紹介をしてしまい、内心恥ずかしかったです。でも、この過去15年間、心にしこりを残していたものが溶けていく感じがして、やはり涙がでてきました。
怒らずに話し合いの場を持ってもいいんだ、と。(腹が立ってたら、腹を立ててもいいんだろうけど、、、)ただ、「私、こんなことが気にかかってるんだけどね、、、。」と話し合いの場を持つことに意味がある、と言われて心底ほっとしました。
私事ですが、20代始めからちょこちょこと自分なりに、戦争加害者としての日本人の子孫としてどう生きるべきなのか、とか、障害者の問題、反原発の問題、環境に関する問題に関わってきました。身体と地球にいいといわれる農薬を使わない食物やスローな生活を求めたり、はたまた、地上のユートピアが求められないと絶望すると、せめて心のユートピアだけでも、と瞑想のワークショップに時間を費やしたり。挙げ句の果てには、「いやいや日本の外なら何かあるかも?」と自分探しではないけれど、フラフラとさほどの理由もないくせに日本から離れて暮らしてみたり、、、と支離滅裂な生き方をしていました。シングルマザーで京都の西陣に落ち着く事になり、ようやく地に足がつくようになってきた今日この頃でした。資産家の親からの援助金等ほとんどなく、里山で独自の生活を切り開く根性がなかったことも幸いしたのだと思います。
さて、参加者の皆さんそれぞれに心に残ったポイントが違ったかと思います。私の感想ですが、まず、効果的な社会運動のあり方をシステマチックに“説明”してくださったのが印象的でした。
歴史を知って、先人から学ぶこと。行政なら行政の意味、行政のできること、範疇を理解する。市民の(自分たちの持っている、行使できる)権利をまず理解し、使うこと。理解したことを、形(言葉)にして、伝えて(話して)いくこと。頑張っている人にはエールを送ること。心の不安を煽るマスメディアに頑張っている人々の意思が挫かれないように。
あと、先に触れた私が20代から関わってきた問題に対する考えるヒントというか答えというか、どう表現すれば伝わるのか判りませんが、とにかく、私の心の中のわだかまりをお話の中で取り去って下さいました。
20代の時に経験した、感情に任せて“怒り”の共有を強いるような“語り”からは対極にある、穏やかな、聞き手を安心させる口調でした。社会運動の講演や話し合いになると、“高ぶった感情に訴え、参加者の不満や怒りを煽動しての共有感、仲間意識の強制” が私の中ではいつのまにかお決まりでした。そういった、“(仮想)敵(壁)を作っての正義ぶった共同体意識の構築現場”に足を運ぶのはもうこりごり!とずーっと思っていました。でも、現実社会に生きる一母親として、「どうしたらいいねん!」とすぐ不安にかられる社会とどう向き合えばいいか、内心気にかけているところでの今回の講演は、社会への問題意識を日々の生活に忙しいことを言い訳に、おざなりにしていたところへ、喝という厳しいものではなく、やさしく手を差し延べてもらったように感じました。だからこそ、ほっとして涙が出てきたんだと思います。今までの自分の生き方への反省を促すのでは全然なく、現にリスク社会に生きていることを認識して、「あなたはこれからどう生きていきたいですか?」と聞き手に問いを残し、選択の自由をあることを示されていました。
それから、ご自身の読まれた本の紹介とその感想を述べながら話をすすめていかれる場面がありました。「私はこの本をこう読みました(理解しました)が、あなたはどうですか?」と。講演後も意欲さえあれば自己学習が可能なように、ご自身が歩まれた思考の基になる軌跡を残されました。
あー、書ききれない。ちゃんと伝わっているんだろうか?参加された他の方もぜひ書いて欲しい。他の方々はどう感じられたんだろう?
あと、政府や大企業だけでなく、NPO団体が社会システムの一部にちゃんと組み込まれ、市民の声が決定権をもつようにならなきゃ社会変革はない、というような主旨のことをおっしゃってたと思う。あってるかな?
それと、あんまり問題が大き過ぎたら、頭が思考停止しちゃう、、、これは誰でもあることで、だけど、その問題を考え続けて、データを集めて事実をきちんと理解、認識して、小さくても行動をおこすことが大事なんだとおっしゃってました。
他にもいろいろ、ナチスドイツのヒットラーの話とか。ユダヤ人虐殺はヒットラーからの直接の指令として書面で残っていないにも関わらず虐殺が起こったのは、その当時の世論との相乗効果で成し遂げられた、というような主旨のお話でした。
あと、キレやすい5、60代の話とか、喧嘩をせず、円滑にコミュニティー内で生きて行くための“本音と建前”の重要な機能とか。
とにかく2時間、聞き手を飽きさせる事無く、盛り沢山なお話を穏やかに、でもはっきりとした口調で市民の私たちに分りやすいように、面白く、ウィットに富み、興味深く、“説明”してくださいました。聞き手に(少なくとも私に)感動を与えたのは、ご自身の辿った(死ぬまで辿るであろう)苦渋の経験が土台にあり、かつそれを乗り越えながら前進されているからだと思います。だからこそ、聞き手に対して不安を煽動するのではなく、共感をもって「大丈夫ですよ。」と安心させながら語ってくだっているのだと思いました。
最後に「絶望する時はありませんか?」と聞いた時に、「そりゃ、ありますよ。そう言う時は夜中にとにかく悲惨な映画を観ます。1970年代のドキュメンタリーもので、今よりもっとひどい時代で、ひどい状況でも生き抜いてきた先人がいること知って寝ます。(だったか、安心します。だったかな?)」と言われました。千晶さんと「いやぁ、加藤さんでも絶望するって聞いたら、ほっとするよね。」と頷き合いました。加藤さんのそういった、超人ぶらない、人間的なところにまた、ホっとしました。
ここまで書いていて、「私って今までまともな人にあんまり会ってこうへんかったんやろか?」と思ってきました。恐らく、そうなんでしょうね。自分も仮想敵に備えて仮面を被って、自己防衛して生きてきてたんやろうと思います。まともな人に出逢える機会が希薄な社会に生きているから、経済的に裕福になってもどうしようもなく不安で、生きている意味が判んなくなって自殺したくなる人々が続出する社会になっているんやろうか?だから、とにかく、「私、最近こんなことが気になんねんけど、、、。」と仮面をとって話せる場が必要なんでしょうね。
【加藤哲夫さんからの補足】
いただいた感想で誤解になると困る部分についてのコメントを。
「他にもいろいろ、ナチスドイツのヒットラーの話とか。ユダヤ人虐殺はヒットラーからの直接の指令として書面で残っていないにも関わらず虐殺が起こったのは、その当時の世論との相乗効果で成し遂げられた、というような主旨のお話でした。」
ここは、森達也さんの著書『こころをさなき世界のために』(洋泉社)の中で触れられていることを紹介したのですが、書面はもちろん隠滅させられているかもしれないので、絶対に指令がなかったと私が言っていると伝わると困るのですね。森さんも困るか。で、わからないけど、直接の指令がなくても・・・という話でした。ニュアンスの違いをご理解ください。
【千々石有希さんの追加】
文章にすることの難しさを痛感した感想MLでした。でも、今日、電話で千晶さんが言ってくれた「(感想を書く事自体が)加藤さんのいっていた、形にして伝えていくってことだよね。まずは表現しないと、、、」――ちゃんと私の意図を理解して下さっていて良かったです。
そして、やっぱり私の心配していたとおり、誤解を招きそうな内容の感想部分がありましたが、加藤さんがわざわざ読んで下さり、お忙しい中、コメントして訂正・補足してくださり安心しました。とりあえず、解釈の誤解を恐れず、勇気を出して表現すること、って大事ですね。現にこうやって助けてくれる方々の存在に気づけて、勇気づけられるんだから。
感想の最後の方を読んだ友人からのコメントで「今までまともな人に会ってなかったんだろうか」というくだりで、「まともな人に出逢ってきてても、それがわからなかっただけじゃないの?」と言われました。今は私自身の人に対する見方が変化したから、今まで見えなかったものの見方や感じ方ができるようになったんじゃないのか、と。
事実、そうだと思います。ですが、感想の中で私の意図したことは、「(楽天堂さんを通じて知り合った人間関係は別として)“まともな人”=“人間的な人” というのは、私自身も含めて、私の周りにいなかったように感じる(感じた)。」という表現がより的確かと思います。私の周りにいたと感じたのは、“合理的、効率的な生き方を良いとする人々”。もしくは、現社会システムに不満を感じ、怒りと共に社会改革運動を進める人々。現実社会に辟易として精神的悟りを求めるような、“(エセも含めて)精神主義的な人”、はたまた、“ラブ&ピース”を唱えれば人類皆兄弟、世界は一つになると信じる人々等々。
要は、自分の中に存在した価値観を体現化した人々の存在のみを私が認識していたということでしょうね。今回の“まともな人”との出会いは、私自身が“まともな人”を認識することができるようになったんだと、今改めて思います。
そうなんでしょうね、千晶さん。よく言われますもんね、「有希さん、変わったよねぇ。」って。
読んで下さった方々有難うございます。MLに書く事によって自分自身の内面の整理ができた。自分一人の力じゃなかなかですが、見守ってくれている、信頼できる人たちがいると思うと本当に心強い。