六畳の部屋はひとの国―尹東柱の詩を読む (7/10) 山上 公実(やまがみ ひろみ)
今日、京都聖三一教会 井田泉牧師を囲む豆ランチパーティーに参加させていただいた山上です。まずはじめに、主催してくださった楽天堂さん、そして井田泉先生ありがとうございました。
今回のテーマは「六畳の部屋はひとの国--尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩を読む」ということで、井田牧師が尹東柱の生涯と彼が生きた時代背景、そして詩のいくつかをハングルと日本語で紹介して下さいました。
尹東柱(以下東柱)と彼の詩に関しては、以前このメーリングリストで千晶さんやはるかさんが紹介して下さっていましたが、今回頂いたレジュメとお話をもとにもう一度以下にまとめたいと思います。
1917年12月30日、独立運動とキリスト教精神の地である 北間島・明東(プッカンド・ミョンドン)に誕生 幼児洗礼 を受ける(長老教会)
1932年 龍井(ヨンジョン)の恩真(ウンジン)中学校に 入学。このとき詩を書き始める1942年 日本渡航のため 「平沼東柱(ひらぬまとうちゅう)」と改名した名前を届け出 る日本に渡る。立教大学文学部英文科に入学、同志社 大学文学部英文科に転入
1943年7月14日 京都下鴨警察署(特高)に逮捕される
1944年3月31日 京都地方裁判所で懲役2年の判決を受 ける(治安維持法違反)福岡刑務所に収監される
1945年2月16日 午前3時36分 福岡刑務所北三舎2階 独房で絶命(解放6ヵ月を前にして)
東柱は朝鮮半島の歴史、言葉、文化が奪われ失われていく状況に対して民族の独立を願い、数々の詩を残しました。しかし日本の植民地下にあった当時、ハングルで詩を書くこと自体が犯罪だったため、投獄され絶命します。獄中では数々の拷問、虐待を受け、人体実験もされたであろう(注射をくりかえし打たれ、計算能力がどれほど衰えていくかを確かめるなど)と言われています。死の間際で大きな声で叫んだそうですが、監視員は彼が何を言っているのかは分らなかったそうです。
「たやすく書かれた詩」という詩は東柱が立教大学時代に書いた詩だそうです。日本という、それも祖国を支配している国の六畳の部屋で一人この詩を書き、異国の独房で激しく叫び亡くなっていった東柱を想像し、胸がつかえました。
今年は尹東柱生誕90年で、また第三次日韓協約100年でもあるそうです。井田牧師は1907年の大韓帝国高宗(コジョン)王の強制退位に遡り、朝鮮半島の歴史について説明して下さいました。1907年の王の退位により、約五百年続いた李氏朝鮮は崩壊するのですが、この背景には日本帝国支配下にあった韓国が極秘でオランダのハーグで支配の不当性を訴えたことがきっかけだそうです。日本政府はその事実を聞き、王を強制退位させ、表向きには「王が自発的に退位した」と発表。韓国政府は有名無実化されました。
支配下にあった朝鮮半島では朝鮮語の使用は絶対禁止で、朝鮮語を話すと首から「私は朝鮮語を話しました」という札を下げなければなりませんでした。朝鮮半島でキリスト教が普及し始めたのは日本支配下にあった時で、当時みんなが集まれる場所といえば、学校・市・キリスト教会の3つであったそうです。しかし1000の日本式神社が建てられ(一つの村に一つの神社が建てられた)、200の教会はつぶされ、50人もの信徒が獄死しました。皇民化政策により国の文化は根こそぎにされるという中で、東柱は朝鮮の文化、文学を守らねばならないという使命感のもと、日本に渡ってきたのです。
東柱の詩「序詩」の中に「風」という言葉が二回出てきます。それを井田牧師は、当時の日本の支配という時代の風(闇の風)と、「しんでゆくものすべてのものを愛」させる風(光の風)というふうに説明して下さいました。東柱という人の信念がこの詩に表れていると思います。(詩の一行目にハングル語で「ハヌル」という言葉が出てきます。「空」または「天」と訳されますが井田牧師はそれを「天」と訳しておられます。)日本に来る4ヶ月前の作で、この詩を書いた3年3ヶ月後に東柱は亡くなっています。
序詩
井田泉訳
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも
わたしは苦しんだ。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も 星が風に吹きさらされる。
(1941.11.20)
東柱は自分の書いた詩の通りに死んでいった、といくつかの作品を読んでくださった井田牧師はおっしゃいました。
私は東柱のことを2年ほど前に京都新聞で取り上げられていたのがきっかけで知ったのですが、彼の詩を知ったのは今回が初めてでした。私よりも若い彼が混乱の時代に抱いていた気持や祖国への思いは計り知れません。東柱が自分の家から自転車で20分ほどの距離のところで暮らしていたということも感慨深いです。今度彼が下宿していたという京都市左京区田中高原町に行ってみようかと思います。
今回は参加者の方が詩の朗読や歌を披露してくださいました。はるかさんがこのメーリングリストで紹介されていた、野宿生活をする橘安純(たちばな・やすずみ)さんも参加され、自作の詩集『人間の臭い』(自費出版 500円)の中からいくつか詩を朗読されました。とても印象的でした。(橘さんの連絡先:tatibana8@msn.com)
(千晶より補足)
昨日、山上さんが自己紹介の時、リコーダーでアリランを演奏しました。アリランにはこんな思い出があるそうです。福祉施設をボランティアで訪問していた時、お年よりが唱歌や童謡を楽しく歌っていたとき、一人ぽつねんと輪に入れずぼーっとされていたお年寄りがあったので、どうしたのかと山上さんがそばの人に聞くと、在日韓国人の人で日本の唱歌も童謡も知らないのだということがわかったそうです。山上さんは韓国の童謡を歌えないのだけれども、アリランのメロディーなら演奏できると思い、リコーダーで吹いたそうです、繰り返し。そしたらぼーっとしていたおばあさんが立ち上がって拍手をして喜ばれたのだそうです。
山上さんがリコーダーを吹いている間中、尹東柱のこと、そのおばあさんのこと、わたしが今までお会いしたことのある在日の人たちのことが重なって、涙がいっぱいでてきました。参加者みんなも、アリランの美しい演奏に心が和んだと思います。
井田先生も韓国の歴史について昨日はあまり話す時間がなかったけれど、別の企画を立てましょうとも言ってくださいました。
橘さんから短い時間の中で、釜ヶ崎のホームレスのこと、いろいろお聞きしました。それについてはまた書きます。
昨日は、定年退職をして年金生活をしていらっしゃると思われる男性の参加者もありました。「マラソンと尹東柱」という話を川柳の仲間うちで話したことがあること、それから神戸の大学の研究会で「尹東柱とマラソン」というテーマで話したことがあることを、自己紹介の時に言われたのが何だかおかしくて、味のある方でした。
井田先生の奥さんの涼子さんとその方が同年代で、おふたりとも農村で育ったので、農作業を手伝わされてたいへんだったことを話してもりあがる場面があり、図らずも若い高野さん(農業志望)をちょっとおじけさせ、それから励ましたのも面白かったです。
神戸から来た村上さんのお話もとてもよかった。去年の教育基本法の改正の時に、姉妹でこれは問題だと思いはじめて政治的な問題に関わったこと、姉妹二人でやっているお店で店として打ちだすか迷ったこと、おいしいものを食べたいと思って来られるお客さんにいきなりアピールするのは重たすぎるとためらわれたこと、でも、身近な関係から大事に伝えていこうと思ったこと、後でお聞きしたように一品持ちよりご飯の会を始めること、、、どれもがいきいきした話でした。実際、去年お会いした時よりのびのびされていて、たった1年できっといろんなことがあったのだなあと思いました。