第28号2004/09/01


人と人の顔の見える流通関係を求めて
―エコ雑貨倶楽部(仮)の設立について
 吉成 英温(よしなり ひでお)


 
 7月の暑い京都に、ボディクレイの手塚さんの紹介で7人の方が豆料理クラブハウスに泊まりに来られた。皆、エコグッズの生産・流通に携わっている人達だった。話は弾み、豆料理クラブの活動にも興味を持たれ、実際に入会していただいた方もいる。彼らは
エコ雑貨倶楽部というゆるやかな集まりのメンバーだった。これからシリーズで個々のメンバーの活動を『らくてん通信』で紹介していこうと思う。第一弾は、倶楽部の仕掛け人・吉成さんです(無々々)
 楽天堂には、7/17〜19日、メーカー6社がお世話になりました。心あたたかなおもてなし、お豆料理のおいしさに感動いたしました。また、下町見学など京都の奥深さに魅了された充実の3日間を過ごすことができました。
 
夏祭りat春日神社 2004年7月18日 夏祭りat春日神社 2004年7月18日

 今回は、18日に京都で安全・安心の商品を広めている「京都自給ネットワーク」主催のイベント夏祭り参加、京都・大阪の小売店視察などが目的でした。わたしたちエコロジー雑貨のメーカーがこのように関西方面まで一緒に行動することは初めてかもしれません。今回はこの経緯となった私が提案している「エコ雑貨倶楽部(仮)」についてお話させていただきます。
 私は昨年まで東京にありますGAIAにて約10年間エコ雑貨の卸をして参りました。GAIAが卸しを始めたのは、お店で販売している商品を欲しいお店に流通を始めたのがきっかけですが、目的としてはエコ雑貨を通じてお互いの顔の見えるエコロジー&エコノミーなマーケットを日本中に作り上げることにありました。
 多くのメーカーは、流通を通じて消費者に届けているため、直接に消費者と交流する機会はイベントやネット以外ではありません。また、小売店については直接に営業する機会は少なく、販売の情報が伝わりきれていません。その元締めである問屋ですら流通に追われ、商品の情報や背景を理解することができず流通されている現状が感じられます。つまり、この状況では商品情報が大事なエコ雑貨としては販売がとても難しいのです。
 この情報の伝達不足の結果が現れたのが、2003年1月にメーカー50社ほどを集めておこなったエコロジー雑貨の祭典「GAIA@HOME」でした。
 この出会いを求めていた消費者、小売店が一同に集り、メーカーと熱い会話がここではたくさん生まれました。開催後、多くのメーカーよりこのイベントが定期的に持続
できないかと相談されましたが、GAIAのみでは流通することが精一杯で、メーカーとの交流を継続的に行う手段については実行することは難しい現状でした。
 この5年、10年先を考えたとき、どう本当に顔の見える流通を作り上げていけばいいのだろうか?「もの」の「物語」が伝わらない現状では、「もの」へのこだわりと愛情がなく安易に作り出されては消えていく「環境配慮商品」との差別化がより難しくなる不安がありました。
 昨年9月、GAIAを退社し竹で繊維を作るナファ生活研究所にお世話になることになりました。私の目標としては、ナファを通じて一般の流通のバイヤーと話をし、一人でも多くの方々にエコ雑貨を販売する楽しさなどを知ってもらうことです。
 しかし、退社後すぐに取引させて頂いた数社より今後のエコ雑貨業界の行く末の心配の声を頂きました。
 その後2ヶ月間で約30社のメーカーとじっくりと各社の方向性などについてお聞きしました。その声を参考に私なりにまとめた新しい流通組織「エコ雑貨倶楽部(仮)」の設立のご案内を昨年11月代々木のアースガーデン、12月エコプロダクツにて数社に呼びかけました。
 
エコ雑貨倶楽部のメンバー(右端が筆者) エコ雑貨倶楽部のメンバー(右端が筆者)

 今年に入り、2月「ポラン広場集まり」、4月「代々木アースディ」、7月「代々木アースガーデン」などでは「こだわりのものには物語りがある」と書いたのぼりを設置するなど、数社ではありますがエコ雑貨の楽しさや使い方などについて共同で出展を行いました。今回はこの流れで、関西での共同出展となりました。
 イベントなどへの共同出展の次の段階として、各販売店の店員さんに商品知識を深めていただくために、ワークショップや講演会を中心としたミニ見本市の関東版の開催を9月に自由が丘で計画しました。
 イベントや販売店の棚などに並んでいる商品は知っているが、直接話したことのない6社のメーカーが数日の深夜をかけてそれぞれの会社の現状や目指すマーケティングについて話し合いました。結果、各社がもっと時間をかけて話し合い、融合された見本市の開催を行っていくことで延期となりました。
 今後は小売店で配布して頂く季節感と生活感のあるチラシの共同作成及び棚提案、共同ギフト提案など、消費者の立場にたった使える商品提案を行っていく予定であります。
 私としては、エコ雑貨倶楽部にエコに関わるメーカーが全て参加してもらう予定はありません。お互いの声や顔の見える関係で話し合えることが最低の条件であり、そのことが消費者や販売店への細かな対応につながると思っています。このお互いに共存する関係が築けなければ、エコ雑貨のマーケットは単なる商品の流通にすぎないと思います。
 最後になりますが、エコ雑貨倶楽部で私が提案している現実性のある将来的な8つの共同業務について簡単に説明します。

@ ショールーム:商品の知識を深めていただくこと、協調された売り場の提案のソフト作成の場として簡単なショールームを設置。いずれは全国主要都市に置きたいです。
Aイベントサポート:上記のショールームで作成されたマニュアルを元に地域のサポート要員を育生し、メーカーでは出展不可能な全国の見本市、展示会などに代理出展していただきます。
Bこだわりのエコ雑貨情報誌(ブックレット)作成:季節感のある生活に使える商品情報を元にしたフリーペーパーの作成。年2回の発行が目標です。
Cインターネット:販売店の紹介、商品情報、小売店同士の販売情報の交換。
D販売店サポート:イベント等で地域の販売店の紹介。また、店頭でのワークショップ開催にエコ雑貨倶楽部認定のイベントサポートスタッフを派遣します。
Eギフト:生活の中で使われる主要なテーマを元に、各社の商品が混合となったギフト提案。
F商品化:量販店などで販売する商品と小売店などで販売する商品のパッケージや内容を変えることでお互いのマーケットが共存できるように、各メーカーのさまざまな情報を共有し、連携を図ります。
G倉庫:共同で倉庫から出荷することで、流通への負担を削減します。

 以上、これからもっとメーカー同士が話し合うことで自分達にふさわしい流通を作り上げていきたいと思います。今後もよろしくお願いします。


すべての子どもが自分の言葉を獲得するために(3)
 
聾学校で手話教育を 田中 光子 (たなか みつこ)


 今回は聾児(難聴者,中途失聴者ではない)と手話についてです.ところでデフファミリーってご存じですか? 親子とも聾者の家庭です.デフファミリーの子どもはお母さんから手話を獲得していきます.聴児の喃語(例:まんま,わんわん)と同様,聾児も手指による喃語があり,聴児と同様,聾児もお母さんから母語を自然に獲得していくというプロセスをたどります.違っている点は聴児は音声から,聾児は目に見える手話から言語を獲得するということです.耳から言語を獲得するか,目から言語を獲得するか,この大きな違いから言語獲得にどんなことが起きるか考えてみました.

 これまでは聴児の「言語の臨界期」を追って一連の認知心理学的実験を重ねてきました.「臨界期」とは,母語が身につくかどうかのぎりぎり限界の時期(年齢)のことです.この時期を外してしまうと母語が不完全なもの(= セミリンガル)になってしまうというのです.レネバーグが主張した臨界期説(1967)です.まず私がこれまで実施してきた全実験の結果を総合してみたところ,思春期前頃(13歳頃)には成人と同質の言語処理をする,という結論に達しました.この結論はレネバーグの「臨界期説」を支持する証拠となるものと自負しています.この結論を得たことにより,聾児の中でも”聴者の親をもつ聾児”について考えてみたいのです.デフファミリーの聾児については心配ないのですが,”聴者の親をもつ聾児”には親から自然に母語を獲得するという機会がないのです.聴者の親は手話ができないからです.ですから多くの聾児の場合,デフファミリーの聾児や聴児とは言語獲得のプロセスが違ってしまいます.そういう状況におかれた聾児の母語獲得はどうなるのでしょう,とても心配です.

 聾児は聾学校の幼稚部に入ると,手話による教育ではなく聴者の先生から口話による教育を受けます.口話は聾児にとっては音声のない日本語ということになります.聞いたこともない音を口の形でまねて声にする訓練をさせられ,話す人の口の形からどんな音を表しているのか理解しなければなりません.小さい子どもですから何をしているのかわからない子どももいると思うのです.そんな状況の中で毎日,毎日,口話の練習をすることにあけくれるのだそうですが,言葉を覚えるというより口の筋肉運動に終始すると言えないでしょうか.こうして口話による教育が幼稚部から中学部まで続き,手話使用が認められるのはやっと高等部になってからだそうです.聾児も親も先生もみんなきつい思いをして必死でがんばるのですが,はたして聾児に日本語が母語として身につくのでしょうか? このような口話による教育がなんと70余年も続けられて今に至っています.聴児では小6時ぐらいが「臨界期」にあたりますが,聾児もそうだとすると,臨界期を過ぎても手話を使わないということは深刻なことになっていそうで本当に心配です.

 手話には,大きくわけると「日本語対応手話」と「日本手話」があります.前者は,日本語を手話で表現するものです.後者の日本手話は,従来聾者間で使われてきたもので,日本語の単語を使っていても,手話の文法構造など日本語とは全く異なるのです.デフファミリーの聾児はこの日本手話ができます.かれらは日本手話を親から自然に獲得し,聾学校では口話教育により日本語を習得するのですから,日本手話と日本語のバイリンガルになれるのです.けれど”聴者の親をもつ聾児”にはそういうチャンスはありません.親子間で身ぶりでコミュニケーションする以外は口話によって日本語を習得していかなければならないのです.母語を獲得しないうちにむりやり第二外国語をつめこむようなもので,こういう言語獲得は大変危険であることは皆さんにもたやすく想像がつくでしょう.
 一度,口がパクパクするのを正確に読み取ってみてください.たまごもタバコもなまこも口の形は同じに見えますよ.肉-チーズ,おかし-お箸,口の形が似ている単語はまだまだあります.おまけに単語のすぐ後ろについていて,一瞬に消えてしまう「が」「は」「に」「を」など正確にとらえて区別するのは難しいですよ.こんな状況におかれて”聴者の親をもつ聾児”は大きくなっていきます.ですから聾学校内でデフファミリーの聾児と”聴者の親をもつ聾児”を見ていればいろいろなことがわかるはずですが,なぜ学内では聾児の手話使用が認められなかったのでしょう.なんと学内で手話の必要性がしぶしぶながら認められるようになったのはやっと1993年です.それまで70余年も手話使用が禁止されていたのには愕然とします.諸外国では政府が手話を独立した一言語として公認する国が増えつつありますが,日本ではもちろん未だ認められていません.最近では聾学校内で手話使用が許されはしましたが,やはり主となる教育言語は音のない日本語だそうです.文科省の「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議 (1993)」の報告においても幼稚部や小学部では手話はなるべく使わない方がよいなど,消極的な内容だったそうです.

 以上のように聾学校での教育の現実を知れば知るほど,”聴者の親をもつ聾児”がみすみす言語獲得の重要なチャンスを失ってしまいそうで,怒りをおぼえます.手話を絶対教育にとりいれてほしいものです.ですが,手話最優先を主張するには何かはっきりした証拠をださなければなりません.そこで,聾学生,聾中年,聾中3生の聾者にも実験に協力してもらいました.それぞれ比較のために聴者を加え,学生群(聴学生,聴手話学習者と聾学生),中年層群(聴者,聴手話学習者,聴手話通訳と聾者),中3生群(中3生と聾中3生)の3つの実験をしました.その結果は,簡単に一言で言いますと,手話をするか,しないかで言語処理の仕方が異なる,つまり脳内の言語処理の質が異なるというものでした.私の簡単な実験課題ではこれだけのことしかわからなかったのですが,ともかく手話者の言語処理にはある特徴が見られました.恐らく手指を動かすことが脳内の言語処理機能にも関係しているのでしょう.ですから聾児にもこの課題をしてもらえれば,さらに微妙なことが判明すると思うのです.できればデフファミリーの聾児,聾学校で口話教育を受けている聾児,インテグレーション(普通校に通学)した聾児など,臨界期にいろいろ異なる言語獲得条件におかれた聾児に同じ課題をしてもらい,それぞれの言語処理の質がどう違っているか知りたいところです.でも調査の道は閉ざされていて私にはどうすることもできません.
 今回は,すべての子どもが自由に使える自分の言葉を獲得できることを願い,聾児がおかれた状況について少しお話してみました.ご存じない方々に現状をおわかりいただけたら幸いです.聾児には少なくとも手話と日本語(読み書き)のバイリンガルになってほしいものです.  

【連絡先】
楽天堂にお願いします。

エチオピア絵日記 (2)
 
エチオピアの食べ物 三谷 裕希(みたに ゆき)


 こんにちは。二度目の執筆をさせて頂きます。エチオピアについて、今回は食べ物についてお話ししたいと思います。

エチオピアの食べ物

 他にも油のおかゆのような「ガンフォ」や、ユッケに似た生肉、あるいは半焼きの肉の辛いシチューあえの「キットフォー」(下痢確実)、肉を揚げて辛い「バレバレ」という香辛料をつけて食べる「ティブス」等があります。
 今回は気に入ってよく食べた物を紹介しました。
 それにしても驚くべき事に、エチオピアには、インジェラとワットという組み合わせしか見ません。
 つけ合わせ、一汁一菜、バランス等という感覚は彼らにはありません。
 そして、宗教で定められている肉禁止の日「ツオン」がなければ、私の見た限り彼らは肉ばっか食ってます。
 しかし、エチオピアは農薬や化学肥料が使われていない為、個々の野菜がとってもおいしいんです!!そして、鶏や羊もほぼ放し飼いで、まぎれもない新鮮そのもの!!
 彼らが肉を多くとるのにも関わらず、肥満体型の人がいないのは、「バレバレ」、「ミトミッタ」などの辛い香辛料と、インジェラに使われている醗酵させた「テフ」という穀物が、とても身体に良いのだと思われます。
 私は、エチオピア滞在4ヶ月目にして体調がすこぶる良くなり、何を食べてもうまく、毎日快食、快眠、快便!お陰で帰る頃には4キロも肥えてしまいました。
 それでは次におやつや軽食を紹介します。

エチオピアのお菓子

最後に日本で作れるエチオピアお菓子を紹介します。
【玄米コロ】
@玄米を食べたい分だけ用意する。
Aフライパンで弱火で約30分から煎り(茶色くなってくる)
B食べる
Cやみつき。

【連絡先】
hoantama@hotmail.com
ホームページ http://www12.ocn.ne.jp/~hoantama/

新連載 中国茶の魅力(1)
出会い―中国茶とは こじま ゆり


 初めまして。豆料理クラブ会員のこじま・ゆりです。ちょっとのつもりの中国茶土産にとっても喜んで下さった千晶さんより依頼を受け、このたび中国茶の魅力をご紹介させていただく運びとなりました。
 私と中国茶との出会いは1993年3月にさかのぼります。とは言いましても、当時は「何や美味しいけどおままごとやなぁ。お茶請けはめっちゃ美味しい」ですれ違っただけなのであります。皆様の中にも私のように感じられた方は多いのではないでしょうか?
 それから4年後、運命の再会は東京に嫁いでからでした。都内某所、名の知れた茶房での喫茶。お茶場の説明、お茶の美味しい入れ方、茶具の使い方を丁寧に教えていただきました(というのはその後今まで色んなお茶屋さんを回って改めて認識できたことなのですが)。またその茶房には試飲コーナーなるものがきちんと設けられていて、当然の如くこちらが望むお茶を幾種類でも試飲させてくださいます。「お茶は嗜好品。故に試飲は当然のこと。」という概念からだそうです。さまざまな種類があり、それぞれに個性的で、楽しくて奥深い、中国茶。そこでの喫茶に感動した私はさっそく茶壷、杯組など必要最低限のものを揃え、私の中国茶生活の始まりとなったのです。


 日本茶が味に重点を置いているのに対し、中国茶は香りを第一に製造されています。そこでまず香りを楽しみ、と同時に精神をリラックスさせる効果を得ることができます。香りは鼻からですが、目に近づけることで目の緊張も和らげてくれます。
 また冬には聞香杯の温もりで冷えた指先をも暖めてくれ、一石を投じてかなりの利益を得ることになるのです。お酒は体を酔わせ、お茶は心を酔わせるとも。 
 中国茶を飲むこともさることながら、日本の茶道同様、歴史は浅いのですが中国茶にも茶藝というものがあります。2002年10月より中華人民共和国労働和社会保障部によって〈茶藝師〉という資格が確立され、日本においても昨年からこの試験が実施されるようになり、この夏には第3回目が実施されます。優雅な音楽が流れる中、茶藝師による演出により、なおいっそう美味しく中国茶を楽しむことができるのです。慌ただしい日常の中で コポコポとお湯が沸く音を聞きながらゆったりとした気持ちで茶藝・中国茶を楽しむ・・・疲れた心身を癒す特効薬と言えるかもしれません。
 中国茶には 青茶・緑茶・白茶・黄茶・紅茶・黒茶の六種類がありますが、これらは茶葉の製造方法や水色によって分類されています。日本でお馴染みの「烏龍茶」は青茶、「普児茶」は黒茶になります。烏龍茶や緑茶に花の香りを吸収させたお茶「ジャスミン茶(茉莉花茶)」もお馴染みですね。
 春・夏には体の火照りを和らげてくれる緑茶や白茶や黄茶、秋・冬には体を心から温めてくれる青茶や黒茶、またストレスには香りのあるジャスミン茶など、生理痛には暖かい紅茶に黒砂糖・・・と、それぞれの効果を取り入れて楽しむこともできるのが魅力の一つと言えるでしょう。
 そこでこれから秋・冬に楽しめる青茶・黒茶の淹れ方をご紹介します。中国茶のお道具はなくてもとりあえずは淹れられます。ポイントはなんと言っても沸騰した熱々のお湯で淹れること!ガツーンと強くパンチの効いたお茶が入ります。
 使ってないお急須やポットの類を2つ用意します。最初にお湯でこれらを温めた後(写真@参照)その湯を捨て、いずれか一つにお茶葉を底が隠れるくらい入れ、沸騰したお湯を高い位置から勢いよく注ぎいれます(写真A参照)。蓋をして40−60秒ほどおいた後、もう一つの入れ物にすべてを出し切ります(写真B参照)。そして飲むための器に移して香りと味を楽しみます(写真CDEF参照)。注1

@お湯で茶器を温める @お湯で茶器を温める
A茶葉にお湯を注ぐ A茶葉にお湯を注ぐ
B入れたお茶を出し切る B入れたお茶を出し切る
C聞香杯に注ぐ C聞香杯に注ぐ
D聞香杯から品茗杯に移す D聞香杯から品茗杯に移す
E香をかぐ E香をかぐ
Fお茶を頂く Fお茶を頂く

 香は時間の経過とともに変化が楽しめます。普通、飲める量は大体4,5煎です。煎を重ねるごとに少しずつ蒸らし時間を増やしてください(10秒くらい)注2。注意すべきは必ずその都度お急須の中身は出し切ることです。蒸らし時間は大体の目安で、先にも述べましたようにお茶は嗜好品ですので、お好みの蒸らし時間を見つけてみてくださいね。
 最後になりましたが、お茶そのものだけでなく、中国茶を入れる際に使うお道具たちもまた魅力的です。次回はお茶道具についてお話しようかと考えています。お楽しみに!
注1)写真は背が高く香りを楽しむための聞香杯(もんこうはい)と言うものです。ちなみに背の低い方は味を楽しむための品茗杯(または茶杯)と言い、お猪口などを代用できます。もちろん飲むためだけの杯しかない場合でも一煎目のお茶を飲みきった後の杯に残った香りを楽しむことが可能です。
注2)一煎目が濃いと感じた方は二煎目は蒸らし時間を同じか少し短くしたり、逆に薄いと感じた方は少し蒸らし時間余分にしてみてください。

慶ちゃんの生活楽しみ術 (2)
 
そもそも食べるというのは・・・ 前園 慶一郎(まえぞの けいいちろう)


 梅雨中の先週、長野県伊那の急斜面・・予定より早く着いたし、歩いて宿まで行こう。と決心し、肩に食い込む荷物を背負って駅を後にしました。宿までの距離は約6キロ、普通自転車を輪行して持っていくのですが、天気も悪いようだったので自転車なしでした。自転車だと20分程の距離でしたが徒歩となるとやっぱり1時間以上かかりました。おまけに、宿は見晴らしの良い高台斜面にあるため、終始登りでした。出迎えてくれたのは娘さんでその娘さんのお友達の妊婦さんも迎えてくれました。驚いたことにすぐ溶け込むように団欒となり、留守だったご両親が帰宅するまできもちよくお相手いただけました。
 何やら電磁波の問題を話しておられ、携帯電話や電磁波は恐ろしいという結論、さすが東の方は、今そういう話題が起こっているのかと感心しました。それも電磁波に関するかなり詳しいデータを持っておられてびっくりです。二人とも初対面のわりには緊張した趣はまったく無く、屈託の無い明るい会話が弾んだのです。さすがに面を食らったような感じで、なんと言いましょうか突然見知らぬ土地へいって地元の人に無垢に受け入れてもらったという、不思議な感覚に陥ったのです。
 その宿は、テレビなし、音楽なし、本たくさん、山小屋風の木材ふんだんの建物、車椅子でも宿泊できるバリアフリー(最初からだそうです)、毎食の食材は周りの畑、長岡式酵素玄米主食、オーナーは環境問題に詳しい地元市会議員、犬1匹、猫1匹、鶏6.5匹(ひよこ1)と役者は揃っており、自由にさせていただいたのです。このような環境下ですから、食べ物はこの上なくおいしくいただけ、作物の作者も周知のことですからさらにありがたく思えました。当然に快眠、快食、快便ですゥ・・・
 今回は、食べ物について書こうとして前置きが大変長くなりましたが、実は前置きのことが大変重要なのかと思えるのです。そして、食べ物個々のことや料理 レシピなどは避け、全般的な意見を書いてみました。
 食べ物は体を作ります。これは同意していただけますね。でもどのような経過で体を作っていくのかは、なかなか説明できませんが結果として、体が作られているというのは誰も理解できると思います。
 最近はこの食べ物が何に良いなどと色々な情報が氾濫、情報に振り回されている感があります。何を食べると体に良いから食べなさいといわんばかりの宣伝に振り回されていると思うと、自分の意思はどうなのかと考えます。食べたいものを食べてはいけないのか、今食べたいものが食べれないような変な状況に自分を追い込むようです。
 自分で自分自身の今必要としているものをとることはできないのかと思ってしまうのです。食品に関しては医食同源によって食べ物は「薬」とすれば薬としての必要を感じ、知ればそのものを食べる理由はありますが、どうもそのような合理性が無いままこれが良い、あれが良いなどと振り回されているように思えるのです。ですから世間でインシュリンダイエットのため玄米が良いから食べようなどや、この食品は活性酸素を取り除くから毎日摂ろうなどと言う前に自分はこの食べ物は心から食べたいと思っているのかを感じる必要があるのではないでしょうか。
 いくら体に良いと言っても自分自身の心が摂りたくないと感じているのであれば、多分栄養されないと思います。
 私自身の考えで恐縮ですが、自然の補完性から見ればあらゆる生物には知性を備えていて、何か足りないものを自然と取り入れようとすると思いますし、そのことを実感できれば、自然と摂るべきものが判るのではないかと思うのです。
 ある文献からですが、肝臓という臓器を考えます。肝臓だけとは限りませんが、肝細胞は特定の順序に並んだ振動で安定していて、その振動順序に乱れが生じることが肝障害の原因となります。ある種のハーブは肝臓の振動とまったく同じのものがふくまれていて、そのハーブを使用すれば肝機能が回復するという補完性という原理について書かれていました。話は難しくなりますがさらにその補完性を理論だって自分で解れば医食同源が果たせると思います。
 その障害或いは未病状態でのアンバランスを自己診断なり他者診断を受けて自覚できれば究極の健康法となるはずです。このことは東洋医学やその他全体医療に当てはまるものですから、それらに基づく食生活であるのが良いと思います。
 でも、食べる人自身の意識の方がもっと大切なのは言うまでもありません。冒頭に述べた例のように、楽しく、ありがたくいただけることが最高のソースであり、自由な生き方にも繋がるものと思うのですが、どうでしょうか?
 たとえば私は陰性体質だから中庸にする為に陽性の食べ物を摂っています。それらの食べ物はおいしく感じられます。といえば必要な食べ物を良い状態で食べているといえると思うのです。でも陰性体質か陽性なのか何も判らず摂るのはどうかというのと、ほしくないという意識に逆らった食べ方もどうかというのです。もちろん化学物質を添加したような細胞の知性を狂わすものはできるだけ避けるとして、情報だけではなく自分自身の声に耳を傾けていただけたならより良い食べ方ができると思っています。何を食べるかではなくどのように食べるかです。
 何をどう食べる? たとえばこうです。
自分が今必要としている食べ物たちを食卓に置き、否定性の高いテレビ放送(殺人事件や怒りが出てくるような放送)などを遮断して穏かに感謝しながらいただくなど・・・
 大変ややこしくなりましたが、お判りいただけたでしょうか。世の中には物や情報が氾濫して戦国時代のような感じがします。自転車に乗っていたらフラフラ してしまって、まっすぐ進めません。どうしましょう・・・(続く)

【連絡先】
楽天堂にお願いします。


[HOME] [らくてん通信 INDEX]