第27号2004/06/01


肥料を使わずに野菜をつくる
自然食の店 サン・スマイル 代表・松浦智紀 (まつうら とものり)


 
 「無農薬の国産の豆を食べたい!」という1人の会員の方の声が、豆料理クラブとサン・スマイルの松浦智則さんとの出会いを導きました。埼玉県大井町で自然食品店を経営する松浦さんは、まだ二十代の後半ながら、〈いのちと食〉代表責任者や特定非営利活動法人・全日本健康自然食品協会埼玉支部支部長の活動などをされています。また楽天堂で扱っている北海道・北見の秋場和弥さんの無農薬無肥料豆(銀手亡・雪手亡・大豆・小豆・黒豆・金時豆・紫花豆)の発売元でもあります。今回はなぜ無肥料栽培なのか?というテーマで松浦さんが執筆・作成されたチラシが豆料理クラブの会員のみならず『らくてん通信』の読者にも益するところ大であろうと思い、著者の了承を得て転載させていただきます。ぜひ皆様のご感想をお寄せ下さい。(楽天堂・高島無々々)
 無肥料栽培とは、化学肥料は勿論、一切の有機質肥料もやらない栽培です。一切は外部から畑に入れません。そして、農薬を使用していない栽培です。無肥料、無施肥、無投入など言葉は農家さんによってまちまちですが、基本的理念は同じです。

肥料を畑に入れることによる害がある?

1.動物性の肥料(堆肥)
 牛などはポストハーベスト農薬に汚染された遺伝子組換えの農産物、抗生物質、ホルモン剤使用などの餌を食べ、フンとしてできます。そのような堆肥を使う農産物は果たして安全か?

2.肥料のやりすぎ(チッ素過多)
 肥料をやりすぎると、植物の身体の中でチッソが未消化の状態になってしまします。そのチッソ分を食べると、人間の体内でニトロソアミンという超発がん性物質を産生するきっかけを作ります。 「肥料をやらなければ農産物は出来ない。」という考えはおかしいのです!!!
また、地下水汚染、硝酸性窒素の問題でもあります。基準値を超えている地域は多くありますが、地下の問題ですので、社会問題にクローズアップされてもすぐに改善できないのです・・・。
そして、土地は疲弊して、荒野になってしまいます。世界の現状そのままの道を日本も歩んでいます!また、放牧された牛は、その放牧地で糞尿の後に生育した青々とした草は避けて食べます。

3.植物性有機肥料の輸入
 植物性の肥料(例えば油粕、魚粉などなど)の多くは中国などから輸入されています。肥料を輸入しなければ有機栽培が出来ないなら、永続的な農法とは言いがたいです。

どうして肥料をやらないで出来るの?

1.無肥料栽培の技術
 人間は肥料をあげるとたくさん収穫があると知ってから、肥料をやらないで作物を育てると言う観念はなくなっていきました。 時期を見た作業、草取り、自家採種の種を使うなど、無肥料栽培にも技術があります。

2.無肥料でなくても素晴らしい農産物はたくさんあります。
 宮城の佐々木昭吉さんの野菜は、肥料を使いますが、地場で取れた草、くず大豆などのみです。他の肥料を使った農家さんでは考えられない事ですが、独自の検査では無肥料栽培よりむしろいい結果もでています。他の有機栽培の農家では考えられないことです。

3.現在の結論
 サン・スマイルで直接農産物をいただいている農家さんは、皆とっても人格のあるかたで、自然と「まつりあっている」方ばかりです。(人のことを批評していることになり、あまり好きな表現ではありませんが、サン・スマイルで農家直接に扱う農産物については「人」を大切にしたいと思っております)そのような点から、栽培する人の、心、思いが農産物に多大に影響するとしか考えられません。よく、田んぼの最高の肥料は「人の足音」(田を見に行って声をかけること)だと言われていますが、まさにその通りだと言うことです。
 無肥料栽培をしている方に、そのような方が多い、結論として「心」ということです。ですので、サン・スマイルでは無肥料ではありませんが佐々木昭吉さんの農産物、そして無肥料栽培の農産物もお勧めしております。
 どうぞ心のこもった最高に美味しい、何の違和感もなく安心して食べられる農産物の数々を一品でも食卓に入れて下さい!!

私達の肉食生活が多投入農につながる!(動物性肥料について)

 仮に の話ですが、もともと肉食、牛乳文化のない日本を含めた国、地域の人が肉食中心の食を世界中でやめれば、今の世界の農産物の生産量で世界中全員賄えます。(政治的な問題もありますが)牛肉1k作るのに約10kのトウモロコシを必要とするからです。
 余談かもしれませんが、1993年からスーダンの主食であるグレーンソルダム(穀物)を日本は飼料用に輸入を始めました。お金の力で、日本人は国産牛、和牛を食べてる。スーダンの人は飢えている。そして牛を食べ、牛乳を飲むということは、うんち(糞)がでるということ。このうんち、尋常な量ではありません。
 産業廃棄物の第2位は動物の糞尿重量比(平成7年度)72,966,000トンです。(7千2百万トン)(ちなみに第一位は汚泥、第三位は建築廃材)お米の生産量が年間約1千万トンですからその7倍・・。これをどう処理するか、国から補助金が出て、JAが堆肥センターをあっちこっちにつくって、農家へ売ったり・・・
 肉を食べるために多量の飼料を輸入して、うんちがでて、処理が困るから畑に、田んぼに入れちゃえ!畜産農家はうんちの廃棄にもお金がかかるから、生のまま、園芸農家などに譲ったり、譲られたほうはそのまま入れてしまったり。。

肉食過多が多投入農につながる!

 それと、無肥料無投入のお話で、うんちを出しながら大きくなった肉を食べれば、当然うんちをどうしようか と言う問題になるので肉をたくさん食べながら、無肥料無投入の話をするのは矛盾しているような気がします。

1.肉食乳製品を止める(少なくする)
2.牛などに飼料が減り、スーダンなどの穀物を直接食糧として食べれる!
3.牛などの生産量が減れば、穀物が余剰となるので耕地を縮小また耕地への投入量が減る!
4.日本では産業廃棄物量の第2位を占める動物糞尿の問題も解決! 
5.硝酸の問題も解決!  
6.アメリカ依存の輸入も改善できる!
7.世界中みんな元気になる!元気になれば戦争も無くなる!!
 
 全く情報が閉ざされた、閉ざされている日本、日本人が、腹水がたまり飢餓に苦しむ、飢えた子供をテレビで見て、自分が、日本人がとても大きく荷担していると思わない、思えない、知らない事はとても悲しいです。
 単純計算して、200gの肉を食べれば2kの穀物を消費していることになるのですから・・。
 それとうんちです。肉食過多は罪です。目に見えないですが、確実にそのしわ寄せが、世界のどこかに来ているのです。肉食過多は、健康にも、環境にも、世界の人達にもよくないのです!肉食を少しずつ減らして生きましょう!

無投入のミネラル欠乏について!

 私は農学部の学生のときに土壌分析を少ししていましたが、土中には、なんと今後100年近くの栄養素が入っています。(私の卒論は平たく言って、水稲栽培の無肥料栽培と有機栽培、慣行栽培の比較でした。)
 土壌分析を行っている数十年前のデータでも同じようです。今後はどうなるのかわかりませんが土中には沢山肥料分があります。でもそれを植物が吸収できる状態ではない(科学的に)。と言うことがいえると思います。
 例えば、土中のミネラルを検査する場合、リンにしても有効態リン酸(植物が吸収できる状態のリン酸)の分析をおこなって、全体のリンの含有量をしらべているわけではありません。
 ではどうやって、吸収できないミネラルを植物は吸収するのか?微生物か?小動物?毎年の風化?野草の働き?土、植物への愛情?想い?心?最近は根から、有機酸を分泌していると言われていますが、そうなると、根の強靭さに比例することになります。肥料をやることは、根の強靭さを損なう行為です。
 森、野草(雑草)は栄養を与えなくても毎年しっかり出来ます。落ち葉がある?と言われるかもしれません、庭先の木には落ち葉は掃いてしまい、肥料もやらないと思います。でもシッカリ成長します。なぜなのか?適地適作だから?肥料を余り食わないから?これは未知のところです。
 人間も土と同じだと思います。疲れたから、鉄分足りないからと、サプリメントを摂り続けると、身体が弱っていくように。
 可能性を求めて、現在の無肥料・無農薬栽培の農家では、常識を超えたこの農を確立したいと、日本の、世界の雛型になるべく尽力されていることだと思います。厳格な信念で。
 自然とは何なのか?人に何を問いかけて、何を教えようとしているのか?永遠の問題なのでしょうか・・。
 自然の心で出来た農産物は安心、安全、栄養価が高い!とにかく美味しい農産物です!

無肥料参考ホームページ:http://www.sunsmile.org/
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/



新連載 エチオピア絵日記 (1)
 
エチオピア式コーヒーの入れ方 三谷 裕希(みたに ゆき)


 初めまして。この度御緑があって、執筆させて頂くことになりました。三谷裕希と申します。
 さて、私は去年の10月から今年の2月にかけてエチオピアに行って参りました。エチオピアといえばコーヒー、コーヒーといえばエチオピア。そんなワケで、今回はエチオピアの伝統的なコーヒーの飲み方、コーヒーセレモニーについてお伝えしたいと思います。
 まず、エチオピアでは、毎朝、毎昼、毎晩、一日こ三度コーヒーを頂く習慣があります。これをコーヒーセレモニーと言います。
 コーヒーセレモニーが始まると、どこからともなく人が集まって来て、誰でも気軽に呼んでくれます。そして飲み終わるとそれぞれ帰ってしまいます。言わば社交場のような役割も果たしているようです。
 日本のお茶を飲む習慣と似ていて、セレモニーといってもとても気軽な感じです。
 田舎へ行くと、丸い小さな藁葺屋根の家の前に、コーヒーの実が広げて干されているのを、よく見ます。輸出用の大きなコーヒープランテーションでは農薬が使われていますが、こういった家庭用のコーヒーは本当の無農薬です。
 しかし、良い豆は輸出用に出されてしまうので、エチオピアで手に入る豆は、意外と粒が悪いです。ところが、それでも彼らの手に掛かれば、どんな最高級の銘柄よりもおいしいコーヒーになります。
 そして驚くべきことに、いつ、どこで、誰が入れても美味しいのです。
(下図を見て下さい)

エチオピア式コーヒーの入れ方


 いかがでしたでしょうか。
 地方や、人によって多少の違いはあるでしょうが、これがエチオピアの−般的なコーヒーセレモニーです。
 一回で1、2時間かかるようなこのセレモニーを、日に三度もやっているくらいだから、エチオピア人は暇です。どれくらい暇かと言うと、エチオピアの公共語であるアム八ラ語に「忙しい」という単語がないくらい暇です。(『忙しい』という言葉は一応英語の『busy』で代用されている。)
 その代わり経済的には決して安定しているとは言えません。どっちが良いかはともかく、私たちもどんなに忙しくても、お茶の時間だけはゆっくりとりたいものです。

(編集部より)
 三谷さんが5ヶ月のエチオピア滞在中に毎日書かれた絵日記2冊を楽天堂でお預かりしています。おもしろい、たのしい!ご興味がおありの方はお茶でも飲みながら
どうぞご覧下さい。


【連絡先】
hoantama@hotmail.com
ホームページ http://www12.ocn.ne.jp/~hoantama/

新連載 慶ちゃんの生活楽しみ術 (1)
 
自転車生活のすすめ 前園 慶一郎(まえぞの けいいちろう)



筆者近影
 私にとっての自転車という乗物
  はじめまして。楽天堂さんにはいつもお世話になっている、前園というものです。趣味が高じて自転車フレームの溶接作製までしてしまった変わり者です。ふらっと楽天堂さんへ立ち寄ったことがきっかけでよく出入りするようになりました。このたび光栄にも自転車についての私の思いを書かせていただけることになりました。
 自転車は日常生活でなじみの深い乗物です。今回これを読まれて、読者の皆様が自転車について再発見していただけたなら、私としては本望と言えます。
  私が自転車という乗物を愛するようになったのは、自転車は運搬効率が非常に高い、つまり燃料は食糧で「当たり前ですね!」人と少しの荷物を運ぶことが出来ることを、自転車生活を通じて再認識したからです。
 京都くらいの小さな街だと郊外へは簡単に行けて、自然に触れることができます。私の場合、サイクリング車とそれ用のウエアで北山地域へ入ります。四季は風を通じて感じられ、ウサギ、リス、狸、鹿、猪、キジ、狐との出会いなどもあって心が和む瞬間もあります。ただし、小熊発見の時だけは、さすがに飛んで逃げました。誰もいない山中で動物を見ると、孤独感が薄れます!?時々自分の食べる分だけの山菜を持ち帰り、自宅で妻と季節感を味わうこともあります。小さな愉しみも沸き、規則的に乗れば無理のない、大変良い運動になります。
 こんな生活を通じて、自転車を使うことが人間の行動範囲を飛躍的に広げることに改めて感心したものです。歩くことが時速4キロとして、自転車は時速15キロから20キロ、トップクラスのマラソンランナー並みの移動速度で、実に歩行の4〜5倍の行動範囲がえられるのです。また少量の荷物運搬も出来て、化石燃料など使わずにすむことが特に魅力的でした。(オイルショックを経験しているので・・)
 ブルーブックス「自転車の科学」という単行本に自転車は運搬できる乗物としては最も優れたものである。と記述されていたのを思い出します。
 今から約15年前にスポーツ用サイクリング車を購入し、しばらく自分の部屋に飾っていたころに遡ります。なぜ部屋に飾っていたのかというと、当時先輩に紹介されてその自転車を購入したのですが、薄給の私にとって、自転車代10万円は異次元体験のようなもので、その買った自転車を宝物のように扱おうとしていました。でも、自転車は眺めるものではありませんし、乗り手に乗ってもらって、初めてその自転車も浮かばれるものだと想い出し、乗り始めることになりました。いざ乗ってみると、ミニサイクルに比べて驚異的な速さと楽さを体験、これならどこにでも行けそうだと思ってからはそのとりこになってしまいました。しかし・・「形あるものはいつか」と、この自転車は1万4千キロ走行時にそれも、京都府日吉町にて金属疲労しきってご臨終と相成りました。
  当時は自転車競技の練習を始めた関係、年間、1万キロは走っていました。普通の人では、よく乗る人で年間2,3千キロくらいですから大切に乗れば10年くらいは乗れます。
 
 自転車生活へのおすすめ
  でも私のこんな生活はとてもお勧めできませんが、10年乗ったとしても燃料代は実感しませんし、車ほどメンテナンスや保険代に費用はかかりません。もちろん購入時の消費税以外はほとんど無税ですから、大変経済的で健康維持にも役立ちます。ここで具体的に自転車のメリットを挙げてみます。
 自転車生活のメリット
 1 諸経費が少ない(燃料代は自分の力、少税金、少維持費)。
 2 体力作りに体重がかからず、故障が少ない(転倒等以外)。
 3 移動範囲が広く、大体時間通りに目的地に到着できること。交通渋滞にはほぼ無関係です。
 4 地球環境に優しいこと。排出ガスは少量の炭酸ガスとおなら程度です。
 5 ある程度(分解可能)の自転車を買えば、世界中にそれを持ち運んで、現地で乗り回すことが出来ます。(輪行という技が必要)
 6 自然との一体感を味わえること(四季の変化をしみじみ実感できます)。
 7 自分で整備(パンク修理など)出来ればさらに維持費は安上がりです。
  その気になれば自転車で1日100キロ以上移動できます。 友人にままちゃりで琵琶湖1周(220キロを2日間で)したものも実在します。但し、遠くへはママちゃりなどの実用車ではしんどい、最近のマウンテンバイクも悪路用タイヤではしんどいなどをよく聞きます。
  いかに楽な乗り方と楽な自転車を選択するかにかかっていますが簡単に言えばこうです。変速機つきで車輪の口径が大きくタイヤが細いタイプが楽です。マウンテンバイクも細いでこぼこが少ないタイヤを使えば楽チンです。
 つまり、遠くへ行ける自転車は楽チンなのです。当然、街乗りしても楽チンです。太いタイヤは抵抗が大きく、変速機が無いと坂道が大変です。見た目で大流行したマウンテンバイクも山道用の太いごつごつしたタイヤが最初からついているので、実はしんどいのです。今では重量も軽く、軽快な自転車が多く出回っています。種類か多すぎて、これがいいとはいえませんので自転車屋に相談してください。最近は遠乗り用自転車に乗っている人たち(女性も含む)が目立ってきました。 都市生活での移動手段は普通、自転車があれば十分だと思います。必要に応じてタクシーやレンタカーを利用したとしても経済的です。実際私は12年前に脱自家用車しました。勿論、タクシーやレンタカー、他交通機関を利
用していますが、車を所有するよりも経済的です。但し、田舎では車は必要ですが・・・他に多少のデメリットとして天候の問題や置き場所の問題がありますが知恵を出せば何とかなります。
  都会で車に乗って移動することにかえって不便さを感じるようになってきました。交通量が非常に増えて渋滞もしょっちゅうですし、1人で大きな車を贅沢に乗っている様子も良く見かけます。この調子で車が増えていけばどうなるのかと考えます。ぜひ自転車の良さを見直してみてください。出来たら使い捨てのような1万円以下の自転車より、奮発して大事に使える自転車に乗ってください。
 私はごく普通の人間です、社会や地球環境に大きな貢献こそは出来ませんが自転車生活を地道に続ける事が、微力ながら世の中に貢献するのだと信じています。

楽天堂と私
  自転車生活を始めた頃から自然食への関心があり玄米などの全体食について考えてきました。私の妻は、草食人間のようで食卓には菜食が多く、(現在もそうです)自転車競技で実業団選手として、肉をあまり食べずにやってられたのも玄米パワーの影響が大きいと思います。競技仲間のイギリス人やオーストラリア人はすでにオーガニックな食べ物を選択していましたし、海外には競技者用の玄米レストランも存在しています。日本には未だに無いのが残念ですが・・・
 様々な有用栄養素やスタミナ物質が玄米に含まれていることや、豆類などのそれ自身が発芽できる全体食という食べ物を摂ることが体に良く、理にかなっていることなどを知り、自然食を積極的に取り入れていたのは後々、良かったと思っています。また、自然に無添加食や環境問題などを知るきっかけとなり、様々な出会いや経験もすることが出来ました。
 ですから楽天堂さんの「豆を食べることは人類を食糧危機から救う」という考えについてはいとも簡単に理解と、同感を得ることが出来ましたし、自宅からも近く、色々な豆類やオーガニックフードやフェアトレード商品があって、今もこうして楽天堂さんに出入りしてお世話になっております。
   自転車もお豆も地球環境にやさしいスローな関係と言うことで筆をおかせていただきます。 

【連絡先】
楽天堂にお願いします。


本屋で見つけた本(11) 小さな暮らしって何だろう
『天然生活』 創刊号 6月Vol.3
乙益 由美子(おとますゆみこ)


 「天然」とつくと、少し気になる。「この人テンネンはいってる?」という言い方で息子にちゃかされると、まったく何という言い草かと思う。この雑誌を見 つけて、世間の天然とは何だろうとふと思った。天然ではないものだらけということだろうか。人の性格までテンネンと呼ぶ時代だから、よほど合成素材で出 来た性格の人間ばかりになっているにちがいない。『天然生活』というタイトルの下に苺のショートケーキが載っていると、ひと味ちがうケーキに見えてくる のは、わたしぐらいなものかもしれない。創刊号とあるけれど続くものだろうか。布ナプキンを手づくりしようという型紙付きにも驚いた。雑誌は時代を映すもの。「小さなこだわり 小さな暮らし」という雑誌の表紙にかかげられた言葉が提案しているのはどんな世界だろう。料理の写真がいい。文字がぎっしり 入っているのも面白いと思った。

 6月号で創刊号、しかもボリューム3とあるので、既刊分をご存知の方もいるかもしれない。わたしは、初めて書店でこの創刊号を見つけた。「小さなこだわり」が、道を辿っていくほどに大きなちがいとなっていくことは人生経験からわかる。けれど、「小さな暮らし」とはどんなことを指しているのだろう。そう思って目次を眺めると、食べ物の素材の良さから発想したメニュー、手間をかけた料理のすすめ、シンプルでひと味ちがうケーキのこと、料理が楽しくなる 鍋とレシピの紹介。地味で落ち着いている。書き手は、調理もすれば、文も書きイラストも描くという人、よく名前を目にする料理研究家などで、比較的若い人たちが、自分の感性に忠実に紙面を展開している。女性誌の華々しさはないけれど、誠実さを感じとることができる。親子印の刺繍や、石けん生活、リメイク術、中古の台所を小ぎれいに使うのも、目に安らぐ。
 おいしそうなお料理の写真の中でも、きわめつけは、ハワイアン・ベジタリアンフードを紹介した頁。ぼろぼろの古い台所の壁の前とおぼしき場所にしつらえられた透明な台のテーブル。この上に並ぶ料理。これがおいしそうに見えるのが、ほんとにすごい。ピカピカの台所でなくとも、その古びれた場所を受け入れて、そこにひきたつ色やかたちの、器、テーブルリネン、小物を置くことで、バランスの良い空間となり、いただきますという声もひびく場所に変わる。こういうセンスを持ちあわせることのほうが、同じブランド品の食器を並べるよりずっと豊かな才能が必要なのではないかと思う。
 たぶんその辺りが、この雑誌のプライドなのかもしれない。身の回りのこまごまとしたものにひとつひとつゆっくりと目を凝らす。家の中にいる時間を充実させ、安心で快適にするところからすべては始まるといわんばかりだ。そう。確かに生活に追われる人には、こんな暮らしは、実は夢のまた夢だったりする。
ただ、わたしは、十代も二十代も三十代も、こんな暮らしをしてみたいと具体的にヴィジョンを持たないで暮らしてきた。わたしはいつも、パッチワークの一つのピースのようなものをあれこれと作ってはきたけれど、大きくつなぐことも、それがどんな風な暮らしを求めていることになるのかも、つきつめて考えたことはなかった。掃除したかしないか、そのあたりで、住むことについては話が終わっていた。それが、ぱっと解けた気がするのだ。たぶんそれでいいのだと いうこと。もう少しまとまりがあってセンスが良ければ、グラビア写真のような美しさがわたしの生活にもあるかもしれない。「小さなこだわり」については、誰しも入りやすい。それは、そのまま大事にやっていけばいいのだ。まとまりは、人の判断に他ならない。問題は、小さな暮らし、なのだ。

 ベトナム旅行という特集ページで、はじめてスロートラベルという言葉が出てくる。この雑誌は、たぶんスローがキイワードだと思っていたけれど、ここでひと言だけ出ている。ベトナム料理とベトナム映画と、ベトナムの食器の優しい感じが大好きなわたしには、魅力的な旅だ。バッチャンという陶器の村で一心に絵柄を手書きする女性、刺繍工房で30年のキャリアを持つ女性、ハンさん。小さな写真のなかにその姿と見つけたとき、正直にいって「小さな暮らし」という言葉にぴったりくるのは、こういう人たちの暮らしのことではなかろうかと感じた。刺繍をしたり、絵付けをしたり、そのことそのものは小さな仕事かもしれないけれど、それを大事にして暮らしていくこと。最近は見かけなくなったけれど、たばこ売りのおばあさんや、お風呂屋さんのような。そうか、わたしの暮らしもそのような世界を持つ、ということが、小さな暮らしへの第一歩かもしれない。
 さて、これから他にどんな「小さな暮らし」のメッセージがあるのだろう。若者版『暮らしの手帖』になりたい雑誌なのだとしたら、ぜひ次号で、見てみたい。

天然生活

『天然生活』 創刊号 6月Vol.3 (株)地球丸刊  590円


〈乙益 由美子・4月から徳島市在住・1957年生まれ・
主婦・著書に詩集2冊・ようやく3冊目の詩集をまとめる気持ちになりました。読書は,謎をもらう場所。それがある日,生活の中で解けることがあります。スローワールドを持つ暮らしです。〉


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