第26号2004/03/01


すべての子どもが自分の言葉を獲得するために (2)
田中 光子(たなか みつこ)


 おひさしぶりです.2回目の今回は具体的なお話をするというお約束でした.そこで私がとりくんできた一連の調査研究の結果とつないでみます.

 問題は,臨界期までどういう言語環境におかれたら母語に影響するのか,ということです.臨界期までは脳には可塑性があり,環境の変化に適応しやすい時期だからです.ですから調査は特殊な言語環境にいた人に焦点をあてました.特殊な環境といえば,アベロンの野生児などは特殊も特殊,言語環境というものがなかったのでとうとう言語は習得できなかったそうです.発見されたのが推定年齢13,4歳ということですから臨界期は過ぎていたのでしょう.
 さて私が注目した特殊な言語環境にいた人とは,親の勤務で子供時代を海外で暮らした人,聾者のように聾学校で音のない日本語を獲得するために口話学習(口の動きを読み取る)に悪戦苦闘してきた人,幼児からずっとピアノ練習を続けていた人,また留学生のように臨界期は母国で過ごし,母語の獲得を終え,成人してから日本に来て日本語を習得した人などです.そういう人を今まで600人ちかく調査しました.何でも数多くあたると,何かはっきり見えるってことがありますからとにかく調査を続けてきました.課題はひらがな無意味語を使った4択問題です.「ひらがな読み」の課題なので実生活の言語処理とはかけ離れてはいますが,脳機能の一面を見ることができると思います.とにかく簡単ですから小学生でもお年寄りでも外国人でもひらがなさえ覚えていれば誰にでもできるものです. 

 さて調査結果ですが,驚きました.
(調査1)小3,小4,小5,小6児童と中1,中2,中3生7クラスの児童生徒と成人大学生とを比較した結果,中1,中2,中3生と大学生とが質量とも同じ処理パターンでした.
 どうやら13歳で「日本人タイプの言語処理の仕方」というものができあがるようです.もちろん個人差はありましたし,平均しての結果ですけれど,とにかくこの13歳という年齢はちょうど臨界期にあたっているということにはご注目ください.

(調査2)臨界期中に海外(アルファベット言語圏)で生活し,現地小学校に通い,中学入学時に帰国したという経歴をもつ帰国中3生が対象です.結果ですが,かれらの言語処理の仕方は案の定,普通の中3生とはちがっていました.変ですね,日本にいた頃に日本語を母語として獲得しているはずですし,海外においても家に帰ると家族とは日本語で話します.いったいどうなったのでしょう.
 これこそまさに臨界期中にアルファベット言語主体の学校生活を送ったために(言語環境の違い),言語処理の仕方が変化したと確信します.臨界期中の脳はまだやわらかくて可塑性がありますからもろに影響を受けたのでしょう.こうなるとますますレネバーグの説を支持する証拠が増えてきたと思えてきませんか.

 ここまでは数字上の結果ですが,実際には,調査中,厄介なケースに出会っています.こういうことにならないようにするのが私の研究目的となったのですが,10人に1人ぐらいの割合で自分の母語が何語なのかという確信がもてない生徒がいました.本当に暗い顔をしていました.バイリンガルではなくどちらも中途半端(セミリンガルといいます)なのです.ちょっとした会話は両方できるのでバイリンガルに思われるのですが,読み書き(特に漢字),思考までとなると困難なようです.自分の脳に何が起こっているか本人にもわからないのですから,人にそういう悩みも言えず,暗くなるのも当然でしょう.
 このように"バイリンガルの帰国生"という華やかな話題の裏に,不登校になった息子とノイローゼになった母親,漢字を記号として必死で暗記している生徒,社会で働こうにも日本語の問題で働けない人など,厳しい現実問題があるのです.
 同様に日本に住んでいる外国人の子供たちにも同じ問題が起こっています.イギリス人の中1男子生徒のことですが,彼の両親から担任の先生に息子の英語が変だと相談があったそうです.バイリンガルを目的に,10歳で日本の普通の小学校に入り,中1になって,彼は漢字学習に猛烈力をいれ始めたところでした.私はそれを聞いてあわてました.臨界期についてはまだ調査段階でしたが,危ない,と直感したのです.それで何はともあれ英語の本を必死で読むことを勧めました.臨界期が来る前に彼の母語を定着させておかなければ大変なことになると感じたからです.たまたま夏休みが近く,親の計らいで彼はオーストラリアに行き,現地小学校の4年のクラスに入りなおし,しっかり英語を確立して秋遅く再び日本に戻ってきました.本当にこわいです.
 このように臨界期までに少なくとも一つの言語を「聞く・話す・読む・書く」という4技能をそなえてきちんと獲得しておかなければならないことがおわかりでしょう.

(調査3)調査2でおわかりかと思いますが,母語の文字習得は大変重要です.毎日の生活の中で使う文字ですから脳内の情報処理に大きな役割を果たします.漢字とアルファベットなどは全然性質が違います.漢字は表意(語)文字でパッと見ただけで意味がわかってしまうもの が多いですし,アルファベットは表音文字で文字一つ一つには意味がないですね.それだけでも大きく違ってくるでしょう.
 ということで母語の文字(表記システム)が異なる人達を比較してみました.漢字を使う中国人,ハングル文字主体で漢字併用の韓国人,アルファベット使用の非漢字圏からの留学生,漢字と仮名併用の日本人学生です.結果に何か違いがでるかな,と期待したのですが,表面的には違いはありませんでした.でも処理の質は違っていたのです.漢字圏の中国人と日本人は同質でしたが,非漢字圏の留学生は脳内での音変換が優れものだったのです.中国人と日本人は文字の形に執着するようですが,これはなんだか納得いきますね.漢字は見ただけで意味がわかることが多いですから文字の形に執着するのは当然でしょう.
  この調査からは,日常的に目にする母語の表記システムが脳内の言語処理に大きく影響を与えることがわかりました.調査2の帰国生のように臨界期中にアルファベット言語の環境におかれて,言語処理の質が変化したはずですね.

 以上の三つの調査結果から何が見えたでしょうか?まとめてみますと,レネバーグの臨界期説の通り,臨界期は13歳ごろであり,おかれた言語環境(使用文字も含める)が大いに母語の処理に影響する,ということになりますね.自分の思考の基礎となる母語,それが不安定になると恐ろしいことになるのがおわかりいただけたでしょうか.

 今回ふれなかった聾児(親が健聴の場合)についても同じことが言えると思いますので,少し加えておきます.今,全国の聾学校で手話による教育をしている学校はほとんどないと言っていいぐらいです.先生が手話できませんからね.ですからあきれたことに,聾児は聞いたこともない音のない日本語を読み取ることと話すこと(口話教育)の練習を強制されるわけです.先生の口がパクパクするのを見て何がわかるというのでしょう.口の前に掲げられた紙が息で動くか動かないかで音が間違っている!と先生に叱られる,教える側も教えられる側もどちらも真剣なだけに,何というもの悲しい光景となるでしょう.こういう教育が続けば,大切な臨界期を口の筋肉運動のみに費やし,思考とはほど遠い生活となってしまいます.言語獲得にはならないと思います.事実,中学生になっても小学4年ぐらいのレベルで勉強するところもたくさんあるようです.
 手話はただの身振り手振りなのではないのです.日本手話といって一つの独立した言語です.もちろん日本語の単語にそってはいますが,その文法構造や音韻構造は日本語とはまったく異なるのです.最近,世界各国で手話言語が独立言語であると法的に認められてきていますが,日本ではまだです.
 私などは,聾児は赤ちゃん時代から手話によってコミュニケーションをとり,それからバイリンガル教育によって日本語の読み書きを学べばいいと思っています.東京では「聾児をもつ親の会」 が発足し,手話教育を受ける権利をかちとるためがんばっています.私もサークルで手話を習っていますが,なかなか魅力的な言語です.

 これまで調査を重ねてきて切に願うことは,すべての子どもが自分の言葉を獲得するためには,臨界期にあたる時期に,諸事情によって異なった言語環境,あるいは,異なった言語習得経験を余儀なくされる子どもには,本当に細心の注意をはらわなければならない,ということを多くの人,特に教育に携わる人にわかってほしいのです.
 以上,おわかりいただけたでしょうか? 私は常に考えていることですから,これだからこうでしょう,というふうに簡単に言ってしまいましたが,いかがですか? ご意見,ご質問がおありでしたら,どうぞおっしゃって下さい.
 春近し,楽天堂さんの豆スープパーティー(編集者注 4/18(日)に開催 詳細は8ページの編集後記をご覧下さい)で皆様とお話できれば幸いです.会場で調査の結果のグラフや脳の図をノートパソコンでお見せしたいと思っています.
 筆者自己紹介: “言語の臨界期”を科学的に検証することを目的に,認知心理学実験を続けています。社会に何か役に立つことができればと願い,研究を始めて早8年。参考になる研究論文はほとんど見当たらず,ネットで検索したfMRIなどによる脳研究の結果と照らし合わせつつ,ひとりでがんばっています。友人達は半分あきれながら応援してくれます。投稿と学会発表のために日本神経心理学会,日本心理学会,情報処理学会,日本手話学会,言語科学学会の会員です。京都市左京区在住。
【連絡先】
楽天堂または mttanaka@zk9.so-net.ne.jp


本屋で見つけた本(10) 軽い鞄の中身
トーベ・ヤンソン『軽い手荷物の旅』
乙益 由美子(おとますゆみこ)


 その本屋は、旅先の、電車の乗り換え駅の近くにある。いつもあまり時間がない。そこへ行けば、外国文学の棚に、他の書店では揃わないような本が、作家別にずっしり並んでいる。ここでいい本をいくつも見つけた。少し緊張を感じながら、数分の内に本を選ぶ。「トーベ・ヤンソン・コレクション」とあるけれど、どこの国の人だろう。開いてみると『ムーミン』シリーズの作者だった。小説を書いていたことも、女性であったことも知らなかった。最近、ムーミンのマグカップがいいなと思っていたけれど、こちらを読む方が先だろう。それでも、すぐ読み始めるのがもったいない気がして、しばらく仕舞っておいた。
 先日、そおっと読み始めた。あきれた。軽いのは手荷物だけ。気持ちが噛み合っているとは思えない会話の連続と、予想のつかない物語の展開に12篇の短編は、すぐに読了。これはいったい何だろうと思ってもう一度読み返すと、今度は、笑ってしまう場面もしばしば。またも、いい本に出会って、すごく嬉しかった。

 トーベ・ヤンソン女史は、1914年フィンランドのヘルシンキ生まれ。スウェーデン系フィンランド人。作品はスウェーデン語で書かれている。15歳から風刺画家として活躍。『ムーミン』シリーズの作者として世界中に知られる。自伝的小説『彫刻家の娘』など、小説家としても活躍。このトーベ・ヤンソン・コレクションは、『ムーミン』以後に大人向きに書かれた作品集という。
 それぞれの短編の主人公は、日本の女の子、フィンランドの男の子、女の子、若い男女のカップル、中年女性、中年男性、年老いた男性や女性と幅広い。わたしのような中年女性には、しみじみと見渡せる飽きない設定だ。もし、わたしがこの本をもっと若い頃に読んでいたら、どう思っただろう。もしかしたら、この本に面白さを感じる強さは、なかったかもしれない。表現の簡潔さからは、ぴんと張った冷たい北の人の空気が伝わってくる。

 短編集の最初の作品『往復書簡』は、日本人の読者がヤンソン女史に宛てた手紙という設定だ。往復書簡といっても読者側からの手紙だけが並んでいる。片言の英語で書けることだけを書いたと思われる文面が、日本語の手紙文としてなつかしいような心の風景を呼びおこす。この手紙全体が、ヤンソン女史の日本の読者に対する愛情をそのまま表しているのではないかと思われる程だ。「作家の書いた本の中でこそ作家と出会うべきだ」という一行は、実際にヤンソン女史に会おうとする読者にヤンソン女史が潔くおくった真実だ。
 では、わたしがこの短編集で出会ったと感じた作家の姿はどうか。作品『植物園』に出てくる主人公のおじさんは、毎日、植物園に行く。熱帯植物の間を歩き、必ず最後に睡蓮の水槽に寄る。
 「たまに、その華麗な花盛りの只中にまっすぐ踏みこみたい、見境のない崇拝にすっぽりと浸りたい、見つめるのではなくただ感じとりたい、という非合理な欲求をおぼえることがある。この危険な欲求は、睡蓮の水槽のそばに、蓮の池のそばに来るとさらに強まる。」

 この正直な欲求に、わたしは作家自身の生の声に触れた思いがした。それはとても健全で自然なことなのだけれど。若くて綺麗な女性がいる場所ではなく、睡蓮の花の咲いている水槽だというところが、面白い。自然に感応する力を持っている人間は、それを変だとは思わないだろう。
 もう一つは、作品『鴎』の中のエルサという女性が鴎のカシミールを抱擁する場面。このときエルサはお互いに抱擁しあった実感を持つ。これも作家の身体をとおして書かれたもののように感じられた。
 そして、その部分を読んだことで、わたしには、たいへんな解放感があった。
 二十歳になったかならないかの年頃、わたしは、急に道にねころんでみたくなるときがあった。それは、とても変かもしれない、と思っていたけれど、いつも同じ場所を通るたび、そのコンクリートの道のはしにねころんで空をみてみたい、と思った。一度もやってみたことはなかったけれど。ある時、詩人の鈴木志郎康さんに、カメラを持てば変じゃないかも、ともらした。
 「ねころんでみれば、いいじゃない」と軽くいわれて、そうか、と思ったけれど、その時は、もう少し年齢が過ぎて、その道を通ることもなくなっていた。つまらない話かもしれない。けれど、わかってもらえるだろうか。作品は、血肉を通したものから出来ている。それに触れることは、読書の喜びの最良のものの一つなのだ。
 短編小説を語りすぎると、これから読む人はつまらなくなる。あとはすべて秘密にしておこう。

軽い手荷物の旅

トーベ・ヤンソン著 『軽い手荷物の旅』
富原眞弓訳 筑摩書房  1800円  


〈乙益 由美子・4月から徳島市在住・1957年生まれ・
主婦・著書に詩集2冊・ようやく3冊目の詩集をまとめる気持ちになりました。読書は,謎をもらう場所。それがある日,生活の中で解けることがあります。スローワールドを持つ暮らしです。〉

カナリア日記 (3)
 
化学物質過敏症アドバイザー 齋藤 昌代 (さいとう まさよ)


 平成15年度環境白書によれば、現在推計で5万種以上の化学物質が流通し、届け出があるものだけでも毎年300物質程度の新たな化学物質が市場に投入されているという。化学物質の開発・普及は20世紀に入って急速に進んだものであることから、人類や生態系にとって、それらの化学物質に長期間暴露されているという状況は、歴史上、初めて生じていることなのだ。
 環境病である「多種類化学物質過敏症(MCS)」は、環境省でも調査研究をしていることが環境白書に書かれている。MCSについては、年々患者が増えているにもかかわらず、解明されていないことが多く、難病指定も受けられないまま、調査研究途上の病気なのである。しかし、私は自らの反応物質から、研究者の間では、100種類ぐらいはあるだろうと言われている環境ホルモンと深く関わっていると考えている。
 環境ホルモンとは、生物が本来、体内に持っているホルモンではなく、外界にある化学物質をいう。生物の体内に入るとホルモンと同じようなはたらきをして、本来のホルモンの分泌を乱し、身体の機能のプログラムを狂わせてさまざまな症状をおこすので、環境ホルモンと呼ばれている。正式には「内分泌かく乱化学物質」という。環境省は、1998年(平成10年)5月に67種類の化学物質を環境ホルモンの疑いがあるとして公表した。公表された物質すべてが環境ホルモンとは言えないし、公表された物質以外にも環境ホルモンがあるかも知れない。
 だが、公表されている物質をみても、界面活性剤、樹脂原料、医薬品合成原料、プラスチック可塑剤、殺虫剤、農薬などに使用されている物質に環境ホルモンの疑いがかけられている。人工的に作られた合成化学物質は、自然界では分解しにくいという特徴をもつものが多い。だから次のようなエピソードもよく考えれば理解してもらえると思う。
 MCS患者の多くは、洗剤に反応するという共通点がある。合成洗剤の成分表をみると、必ず界面活性剤というものが含まれている。環境ホルモンの疑いのある化学物質から作られていると思われる。洗剤そのものはもとより、合成洗剤で洗った衣服は、干しているときも、かわいたときも、特有のにおいがして、MCS患者を苦しめる。近所で干している洗濯物のにおいが風にのって押し寄せて来るときは、絶句する。
 ただ、合成洗剤で洗った衣服も、人が着ることにより皮膚から有害物質を吸収してくれるため、街や職場で出会う人の服からは、洗剤による苦痛はほとんどなくなっている。どちらかというと、衣替えの季節がつらくなると言われている。特に夏から冬にかけてのことだ。衣類用防虫剤から有害物質をたくさん吸着させたスーツのにおいなど、考えただけでもゾッとする。衣類用防虫剤に使われている化学物質も環境ホルモンの疑いのあるものなのだ。
 ここまで読むと、私がどのように衣服の洗濯をし、保管をしているか疑問に思うのではないだろうか。前に書いたように洗濯用合成洗剤は捨てた。そして、純石けん99%の粉石けんを使ってみた。ところが、つらいのである。まず、袋から舞い上がる粉末にのどが刺激されてせき込む。次に、水に溶けにくいので、ぬるま湯を用意して手で溶かさないといけない。洗濯機を使って溶かす努力をしたが、うまくいかなかった。洗濯が苦痛に感じる日々を過ごしていると、炭と塩で洗濯ができるという情報が入ってきた。現在私は、ソックスに竹炭とコルクを入れたものと、小さじ1杯の塩、小さじ2〜3杯の重曹を使って洗濯をしている。洗い上がりも満足しているし、洗濯が楽で楽しいものになっている。
 また、衣類用防虫剤も捨てた。無臭と宣伝されている衣類用防虫剤から強烈な化学物質臭を感じるのである。まるで毒ガスのような刺激である。それで、衣類の保管には竹炭を活用している。水洗いをして干した竹炭を紙に軽くくるみ、タンスや引き出しに入れている。
 ちなみに、台所用洗剤も捨てた。界面活性剤の有毒な刺激臭に耐えられないのだ。食器洗いは、米のとぎ汁や麺のゆで汁で洗うと油汚れもすっきりとれる。ステンレスの鍋や調理器具は、重曹で洗うとピカピカである。
 2001年(平成13年)4月からPRTRがスタートした。PRTRとは、有害性のある多種多様な化学物質が、どのような発生源から、どれくらい環境中に排出されたかデータを把握し、集計し、公表する仕組みのことである。2003年(平成15年)3月20日、354種類にのぼる有害化学物質の排出量の全国集計が発表された。データを見ると、汚染源は工場ばかりではないことがわかる。洗濯・台所・住宅用として家庭で用いられる界面活性剤の排出量は、業務用の8.2倍に当たる。(化粧品や身体用洗浄剤も入れれば8.3倍)。PRTRにリストアップされた354種類の有害な化学物質にどんなものがあるか、ちょっとあげてみると、

殺虫剤、殺菌剤、除草剤、お馴染みのダイオキシン、PCBをはじめ、家庭の台所や洗濯で使われる界面活性剤、髪の毛を染めるフェニレンジアミンなどの染毛剤、ファンデーションに使うクロム類、悪名高きフロンガス類、ドライクリーニングに使われる洗浄剤のテトラクロロエチレン、写真の現像に用いる薬剤、染料や香料の原料・溶剤、合成繊維のポリエステルの原料など。

 これらは日常生活の多くの場面で使われている。車に乗る、写真を撮る、ペンキを塗る、洗濯する、シャンプーして身体を洗う、化粧する、髪を染める・・・。こんな何でもない日常的なことが、環境や生物に致命的な打撃を与えているなんて、思いもよらないことだろう。MCS患者は、地球上に住むいきとしいけるものすべての力により、極微量の有害物質に反応できる身体となり、生命の悲鳴を代弁する役割をになうように託されているのではないかと思うことがある。カナリアが危険を知らせるように。(終わり)

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楽天堂にお願いします。


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