豆々通信   [2004年7月号・読み物] 


島のおばさんたちの心意気―祝島の産直品(山本 由紀子)

 千晶さん、豆料理クラブのみなさまこんにちわ!山口市の山本由紀子です。
 5月号の『クラブ便り』では、ひじきのレシピをありがとうございました。すぐにお返事しなくてすみません。どれもこれも、バリエーションにとんでて息もつかず読みました。手軽に出きるものばかりなので、作って楽しんでいます。そのひじきが7月の豆科埋クラブに登場するのだそうで、嬉しくて嬉しくて。
 上関原発の建設予定地の田の浦にタ方立つと、海が夕日に照らされて黄金色に光るんです。そのむこうに祝島がドカンと横たわって、本当に美しい景色です。魚が跳ねるのが見えて、ここは豊かな海、瀬戸内海でも手付かずの自然が残っているところです。思うんです、当り前のことだけれど、この景色、大昔からずーっと続いているんだろうって、そして、毎日毎日夕方には黄金色になって‥‥と、自然の営みを考えると涙がでてきます。その予定地からおよそ3.5kmの海上に浮かぶ祝島。島のくらしもそうした長い営みの積み重ねの上にあるのでしょう。「祝島観光案内図」によると二千二百年前から語り継がれている伝説があって、蓬莱の島と呼ばれ、万葉集にも歌われた歴史のある島です。
 原発の計画が持ち上がって島の人々はいち早く反対の声を上げ、以来反対運動は22年間続いています。電力の「安定供給」の名のもとに国と電力会社はお金とカで、無理やり推し通そうとしてきましたが、地元の人たちの運動で未だ建設の見通しはたっていません。それどころか電力自由化などで社会状況は脱原発へと大きく動きつつあるのです。
 このひじきはそうした反対の運動のなかから生まれた島おこしの物品のひとつです。ほかには無農薬のびわやその葉っぱで作った「びわ茶」、祝島漁協の水産加工品があります。どれも島の元気なおばさんたちの手によるものです。安全でおいしい産直の品は言葉や文字以上に祝島の人たちの心意気を伝えてくれることでしょう。おばさんたちの活躍は産直のみならずデモや座り込みのときには一番前で元気いっぱい。その上賑やか。いつも、その賑やかさに当てられ元気を分けてもらっています。
 今回ひじきはどんなメニューになるのかな。楽しみです。


豆にはやっぱり可能性がある!『肉食が地球を滅ぼす』

(中村三郎著 双葉社 838円)

肉食が地球を滅ぼす

 現代の肉食の問題点をまとめた好書。
 「ブロイラーは卵からヒナにかえると、すぐに飼育用鶏舎に入れられる。狭いスペースに大量に詰め込まれ、1坪(たたみ2枚分)あたり100羽以上にもなる。そのとき、突き合ったり、エサを散らさないようにくちばしを短く切り落とされる。鶏舎は日光の射す窓がなく、つねに薄暗くしてある。鶏は「コケコッコー」と鳴いて夜明けを告げる習性を持つ。これを、大勢で一斉にやられてはうるさくてかなわないというわけだ。エサは当然、高カロリー、高タンパクの濃厚飼料である。それに栄養剤、消化剤、抗菌剤などが添加され、自動的に給餌されるようになっている。」
 たとえばブロイラーをこんなふうに育てることは、人間の分際を越えた所業のように思われる。そしてそれは、結局人間をむしばんでいる。いつも思うのだが、車にしても、エアコンにしても、人間の分際を越えたエネルギーの消費は自然環境を破壊し、当の人間をもむしばむ。逆に言えば、自然にそったライフスタイルに切りかえていくと、他を破壊することも自らを破壊することもいっぺんにくい止めることができる可能性が開かれる。
 4章以降は一気に読んだ。家畜用の飼料として穀物を消費することが、これからの地球で増えた人口を抱えていくにはムリだということを、いろんな角度から検証している。(千晶)



シリーズ・豆日記 サタデーナイト イン ボンベイ
(佐藤浩子)

ムンバイのスラム

 粘土団子講習のあと立ち寄ったムンバイ(旧ボンベイ)でのこと。
 宿がどこもいっぱいでサルベーションアーミーヘ。日本で暮れに都心でホームレスの人たちのために炊き出しをやってる程度しか知らなかった救世軍の宿で、ボンベイで一番安く泊まれる。すぐ反対側にはインド一高級なタージマハルホテルが位置するように、ここは世界一の金持ちから路上で息絶える人までごっちゃになった大都市。
 中近東からオイルダラーで遊びにくる大金持ちと黒いチャドルを着た奥さんたち。インドの上流階級の若者が遊ぶナイトクラブ…日本の若い子に多い、虚ろな目で音楽を聴いてる、というより着飾った自分を見せにきている。ほとんどの子が欧米で学んだあとインドへ帰り、何をしたいのかわからないようだった。逆に両親が欧米へ移住し、そこで生まれ育ったインド人旅行者…イギリスから初めてインドにやってきた分裂症のインド人の女の子とボーイフレンドに宿で知り合った。始め彼女に噛みつかれそうになったが、彼女が心配だった。ヨーロッパではインド人だから散々いじめられたのだろう、いつも寂しそうにしている彼女の面倒を彼がよくサポートしていたが、ある日忽然と彼女は消えてしまった。今度は彼が彼女と同じ表情でふらふらしている…
 オフィス街は立ち食いそばやならぬ、ワダパウ屋、チャイ屋でそそくさと食事を済ませるサラリーマンたちでごった返し、通りにはおんぼろのダブルデッカーが車体を斜めに人を零れ落ちるようにして走っていく。至る所に路上生活者、赤ん坊を抱く母親の乞食の差し出した手を振り払い、蹴りつけていった若い西洋人バックパッカー。彼らの顔は恐怖で凍り付いていた。
 道を間違えれば地方から出てきた人が建てた、高さ2m幅1.5mほどの2階建て長屋(2階部分の高さ50cm程度、這ってそこで寝る)の密集地…みんなご飯を道端で作っている。でもこれはまだいいほう、線路脇には恐ろしいゴミの山とそこで生活の糧を得る人のスラム街がどこまでも続く。
 ここでイギリス人ポールに出会った。190cmはありそうな背丈だが、ひょろひょろしていて生気のない虚ろな表情で時々宿の入り口に佇んでいた。足は包帯がぐるぐる巻かれ、ちょっと薄気味悪い。ドラキュラのような…かかわりたくない。しかし彼の悲惨な状況を知り態度が変わった。
 ある晩通りを歩いていたら後ろから刃物を持った男たちに襲われ、気がつくと警察署に血だらけで横になっていたという。鞄に入っていた現金、クレジットカード、パスポート、航空券すべてを失い、警官たちは早くここからよそへ行ってくれと彼を追い出した。膝は24針も縫う大怪我だったが、どこの病院も彼を断り、ようやく頼み込んで応急処置として縫ってはくれたものの、その後何もしてくれなかった。パスポートも金もないためボンベイ中の宿に拒否され、最後にサルベーションアーミーにやっと入れられ、そこに来ていたソーシャルワーカーのインド人に助けられた。
 彼女は歩けない彼とともに昼間再発行のため大使館、銀行、航空会社をタクシーで回り、警察署と裁判所で毎日事情を説明、薬局で鎮痛剤と包帯を買い、宿で取り替えていた。「やあ、だいぶよくなったんだ」と包帯をはずした日、鋼のようなワイヤーで縫い合わされた膝を初めて見た。食堂で彼に手を当てながらこちこちになった彼の背骨にびっくりした。後頭部に愉気をしていたら座ったまま寝てしまい、「2週間ぶりにぐっすり寝たよ」と目が覚めたときに言われた。薬が切れるたびに激しい痛みと副作用の吐き気で寝ることも食事もできなかったようだ。
 ここで私たちはなぜ彼が犯罪に巻き込まれたか不思議だった。インドでこんなことが起こるなんてまずない。お金が欲しいだけなら置き引き程度で済むはずだが…
 翌日通りで捕まえられたプライベートガイドと市内を回り謎が解けた。ボンベイ中の洗濯物を洗うドービーガート。線路脇1キロほど洗濯物がはためいている。洗濯屋は最下層の不可触民。1日中洗濯物をたたいて洗って日給500円くらい。政府公認の売春窟の通り。畳1畳ほどの部屋で一回500円ほどもらい、そこで毎日暮らす女性…中にはゲイもいる。すぐ近くには皮膚病・性病患者のための薬局がずらりと並ぶ。インドのトラック運転手の3割はここでエイズに感染する。
 1日3−400人。これは新聞に載らない、ボンベイの死者の数。その多くが路上生活者や最下層と思われるが、麻薬に関する殺人も絶えない。ボンベイではヘロインなどのほか、ブラウウンシュガーという、化学合成麻薬の中毒者が貧困層で問題になっている。一度知らずにもらってしまうと、磁石のようにそれなしではやっていけなくなる。ポールは密売人としてバンコクーボンベイ間を何度も往復し、目をつけられていたようだ。普通何かトラブルに巻き込まれてもインド人がおせっかいを焼いてくるが、彼の場合、身の上を感づかれたか、植民地支配をしたイギリス人ということでどこからも拒絶されたのかもしれない。
 帰る間際、やっと松葉杖で歩けるようになったポールと食事に出かけた。すぐ近くのレバノンレストランで、ハモスやカバブがおいしいのに、彼は目玉焼きとトーストを注文し、運んできたボーイに「エクセレーント!マイフレンド!!」を連発した。何でもない、ただの朝食(昼だけど)に心から感謝している。怪我をしてから初めて食べたいものが食べられるのだ。そのあと彼のおごりでパブでロックを聴きながらビールを飲んだ。
 彼は今回の事件でソーシャルワーカーの助けを始め、人の親切に初めて心を開いたと告白した。宿ではお湯も毛布ももらえず(夏だから当たり前)、トイレも付き添いが必要な状況で多くの旅行者が励ましてくれたことも。それまでは稼いだ金で何不自由なく大きなバイクに乗って旅をし、まさしくイージーライダーをやっていたそう。頼りの金も失い、誰からも相手にされず、インドの路上生活者の気分を味わってみて、人生やり直そうという意気込みにあふれていた。インドでの貴重な気づきの体験を聞かせてもらった。

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