| 私が料理を始めたのは1965年に禅の瞑想を始めたのと同じ頃だった。この二つのもくろみは年を経るに従って私の生活をそれは豊かにしたので、今では二つを切りはなしてみることはできない。そもそも、規則に則った心の修養と日々の生活のお互いに及ぼす影響は私にとってとても大切だ。何といっても、私たちが生きているのはこの場所なのだ―ただのモノとはいえない物と、物以上に真実であることもある意味とともに。私は心を台所にまで及ばせたい。そうでなければ、意味がない。お昼ご飯、何? 料理は目的を達するための時間をくう手段にすぎないのではなく、そのものが健全への回帰(ヒーリング)であり、瞑想であり、滋養である。いつか、私の禅の師である鈴木しゅんりゅう老師が言ったことがある。「あなたは食べものにのみ働きかけているのではない。自分に働きかけ、他の人に働きかけているのです。」と。働くことで私たちは愛をかたちにするのだということをわからずに、即席の救い、即席の満足に努力を傾けるなら、私たちは自分を安売りしてしまうことになる。 料理することで私たちは私たちの生命を養うほねおりに参加することになる―私たちの世界の豊かさの一部となる。玉ねぎやじゃがいも、りんごやレタスも、大地や空、太陽や水と身近につながっている。贈り贈られながら、みな全力をつくしている。 だから食べものをあつかうこともとても多くの生きものに接することであり、誠意と感謝の表現であり得る。材料に敬意を払うならば、食べもののうち、私たち自身のうち、またお互いのうちに一番の善さを発揮させることができる。 私たちの抱える個人的・社会的問題の多くは、根拠もないのに生活を区画に仕切ってしまうことからきている。労働というのは生計のためにすることで、たいがいはやりがいのないあまり、いつしか避けるべきものとなる。料理は生活をまるごとのものにするメタファーであり、媒介である―この労苦が終わったら快楽がくると思わずに食べものに手をふれることのなかに喜びを見いだす、ということ。何にも関わりを持たずにすむなら幸せだ、と思うかわりに小麦ととうもろこし、トマトとルッコラを材料に創造することのシンプルな喜びを味わうこと。 私たちは何が本当のところ私たちを慈しむのかを忘れてしまった。そして森羅万象とつながらない限り、生活は空虚で生気のないものになる。食べものを燃料とかモノとだけとらえるのは貧しい。悟りつまり禅の達成は「親交を結ぶこと」と説明されることがある―それは、実際に触れることであり、知りつくすことであり、消化すること、成長することである。食べものと親密である以上に私たちの関係が親密にはなりえない―食べものとの関係が私たちの在り方になる。いわゆる心はいわゆる物と切りはなせない。心の糧は手元にあっても、とりあげ、においを嗅ぎ、味わってみなければならない。 だから、料理は生活であり、学びであり、達成なのだけれど、まあまあ話はこれくらいにして食べましょう。そして口に入れるものに気も留めないなんてことのないように。食べものの一口一口に含まれた、信じ難いほどの恵みを味わいましょう。それは、私たちが味わい注意を払えることの恵みでもあり、成長しお互いに慈しみあえることの恵みでもあるのです。(序文〈料理と心の修養〉より 訳・ゆら) |
シリーズ・豆日記 ウェルカム トゥ ナガラジャ ナーサリー(佐藤浩子)

| オーロヴィルで粘土団子のワークショップが始まり、講習中わが子タオをどこへ置いておこうか考えていた。通訳中、たびたび割り込んでこられては困るし、かといって1日放ったらかす訳にも行かない。さてどうしよう…と考えながら始まった朝の講習中、タオの隣でずーっと一緒に毛虫を観察している少年を見つけた。言葉が通じないのに身振りで楽しそうに毛虫をどこまでも追いかけている。昼下がりにはベンチの上で昼寝をしているおじさんがいびきをかくたびに2人でそばに座ってくすくす笑っていた。 その日の夕食後、クリシュナに昼間の少年のことを聞いた。「タミルの村の子で、ナガラジャっていうんだけど、アルビノでちょっとタマティックなとこがあるから学校に行ってないんだ。16歳になるんだけど…うちは西洋人がたくさんいるから気に入ったみたいで、毎日やってくるのさ」アルビノとは遺伝子上の突然変異で体の色素が全くないタイプ。彼の肌は白人のように白く、髪も真っ白。タミルの子供たちにはしょっちゅうからかわれて辛い思いをしているようだ。ここにいれば自分と同じ肌の色の人に囲まれて居心地がよさそうだ。タマティックというのはアーユルヴェーダでいう、過度にゆっくりペースな体質のことで、知恵遅れまでは言わずとも、普通の社会生活のスピードについていくのが難しい。 「今日ナガラジャとタオが半日ずーっと一緒だったの。ナガラジャの集中力にびっくりしたし、タオがあんなになつく人がいるなんて…突然なんだけど、粘土団子の講習中、彼にタオの子守やってもらえないかな?」「うん、ちょうどみんなで同じことを考えてたとこ。ナガラジャには前からここにいる以上、何か役割を持たせたいと思ってたんだけど、動作が緩慢で畑仕事はとてもできないし、実は悩みの種だったんだ。タオとはベストコンビみたい。あんな生き生きしてるところ、始めてみたよ。これがきっかけで変わっていくといいなあ。」 翌朝ナガラジャがやってくるとクリシュナがタミル語で彼に私のお願い事を話している。彼は照れくさそうに笑いながら快諾してくれた。それから2人はいつでも仲良く遊ぶようになった。 「ママ、タンビーって何?」「へ?」「ナガラジャがね、いつも僕に言うんだよ」はて、タミル語を毎日せっせと教えてくれるマギに聞くと、「あー、タオのこと弟って呼んでるのさ。タオはナガラジャに向かってアンナーっていってごらん。お兄さんのことだよ」さっそくタオは大喜びでナガラジャアンナーと呼んで答えている。ナガラジャもうれしそうだ。そのうち二人は簡単な英語で会話をするようになった。「ナガラジャは恥ずかしがってるけど、本当は文章や詩を英語で書かせるとすばらしいんだよ。」とクリシュナ。何だ、英語がしゃべれるのか。いつも影に隠れていたナガラジャに片言のタミル語で毎日お礼など話しかけると、少しずつ英語で話してくれるようになった。 ある日、お父さんが日本人、お母さんがイタリア人の間に生まれた女の子がタオに会いにやってきた。松本さん一家は去年から沖縄を離れ、オーロヴィルに移り住んできた。普段娘のモニカは午前中幼稚園へ通い、午後は友達のところへ出かけたり家で遊んでいるそう。とはいえ、お母さんは活花を教えていて展示会を開いたり結構忙しい。オーロヴィルの中は広すぎて、大人に連れて行ってもらえないとよそへ行けない。タオと遊ぶときも、お父さんかお母さんがモニカをバイクに乗せ、タオを連れて行ってくれた(バイク3人乗り!!)。私も講習中預かってくれると助かるものの、お母さんも仕事があるし何かいい方法がないかなあと考え、ナガラジャのことを松本さん夫婦に話してみた。彼らも興味を持ってくれ、同じように小さい子供を連れた人たちに声を掛けて、いつかナガラジャが子守として仕事が持てるようになるといいねということになった。彼の両親にも会って話を聞いてみようかとも。自由な共同体ならではの、どんな人でも持って生まれた才能が生かせるような助け合いが広がるように。 オーロヴィルを発つとき、ナガラジャに時計をプレゼントした。ちょっとは時間のことも気をつけてくれるといいんだけど… |
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