豆々通信   [2003年8月号・読み物]

『森と友だち 川と友だち』(安井清子 草土文化)

『森と友だち 川と友だち』

 シリーズ「アジアの子どもたち」の一冊、ラオス篇。楽しいこのシリーズの中でもとりわけ素敵な一冊。写真がいい。文章もいい。著者はラオスの村をたずねた時、電気炊飯器なしにどうやってご飯を炊くのかとまどうが、その横で小さい子どもがあっという間にたきぎを割り、火をつけおいしいご飯を炊くことに驚く。
 本当に登場する子どもたちの働く姿がすばらしく板についている!子どもがこんなに堂々たる姿勢で働いているということは、その背後にいる大人も日々全身で働いているのだろう。なかに赤ちゃんを抱っこひもでくくりつけて教壇に立つお母さん先生も出てくる(もう相当に大きい赤ちゃんなのにちっとも重そうになくスッと立って黒板にチョークを走らせている)。働く子どもと同様、遊ぶ子どもたち(表紙写真)も美しい。
 子どもはこんな風に育って欲しい。


夏休み子どもといっしょに読もう『読んで食べる本』
(シルヴィー・グィシャール・アングィ 雑誌『Slow』2002年11&12月号より 抄訳・ゆら)


おいしいものつくろう

『おいしいものつくろう』(岸田 衿子・作 白根 美代子・絵 福音館書店 )
 うさぎの一家とたぬきの一家はそれぞれ朝ご飯をこしらえて食べた後、一緒に遠足に出かけます。お昼ご飯はお弁当を分け合って一緒に食べます。家に戻っておやつの後は一緒に晩ご飯。この本でも変化のある食習慣と野菜の大切さが強調されています。食事の体裁はシンプルでありながら大切にされていて、何よりも、食事の支度が愉快ににぎやかに描かれています。レシピは手軽につくれるものばかり、そしてすぐに手に入り値のはらない材料のみを使っています。また明らかに察せられるのは、独特の創造性は保ったまま、西洋からの度量の大きな思い切った借用によって、日本料理の幅がどれほど広がったかということ。この、実に様々な源からのテクニックや料理を新しいスタイルへと結実させる能力が、日本料理のもっとも大きな特徴のひとつです。

はたけのはなとみ


『はたけのはなとみ』( ごんもりなつこ 福音館書店 )
 この本は自然と滋養とのつながりをテーマにしています(これも、日本の子どもの本によく現れるテーマです)。家庭菜園の花ひとつひとつは、野菜を代表しているのです。細やかなイラストがどのページにもくりひろげられ、このメッセージを伝えます。

のえんどうと100にんのこどもたち


『のえんどうと100にんのこどもたち』(甲斐伸江 福音館書店 )
 自然の魅力ある贈り物は夢や想像力をかきたてるものです。この本はそれをとても詩的に描いています。

スパイスあれこれ(佐藤浩子)

サフラン

 一つの花からたった3本の雄しべしかとれない、最も高価なスパイス。ベニバナなどの混ぜ物を避けるため、形の整ったホールを選びましょう。パエリヤなど米料理、スープの色付けのほか、お湯カップ1杯に一本のサフランを浮かべたサフランティは婦人病に効果があるそう。絹のスカーフなどを同量のサフランで染めると素晴らしい金色に。球根が手に入ったら栽培も簡単。日当たりと水はけのよい場所に植え、秋花が咲いたら雄しべを収穫。春に球根を掘り起こし、夏の半ば〜終わりころ再び植えます。


シリーズ・インド豆話 トウアズキ
(佐藤浩子)

トゥアズキ

 「オーロヴィルはね、30年前は何にも生えない真っ赤な大地がむき出しだったの」オーストリア人フローラが教えてくれた。彼女も種には内に秘められた生命力を感じて捨てられないと蒔きはしないが食べたパパイアの種など洗って採っておく変わり者。「そこをみんなで木を植えて植えて…今でも植えて…こんなジャングルになったのよ」滞在中も伝言板に「参加者求む!毎朝6時から8時までブッダガーデンにて木を植えています」なんていう鍬を担いだ青年たちの写真入のポスターが貼ってあった。
 南インド、タミル・ナドゥ州は平野続きの米どころである一方、むき出しの不毛の大地、ないしは棘だらけで家畜が食べられず捨てられたようなところも多い。バスでタミル平野を突っ走りオーロヴィルに向かうと突然広がる森が砂漠のオアシスのように感じる。そして中に入るとアスファルトの道が少なく、森の間をくねくねした砂の道がいくつも散らばっている。方向音痴の私には「見通しの悪い道、木が邪魔ね」何て思っていたところ「わざわざ植えた、大事な木なのよ」と聞く。その時それらの木の多くがアフリカやオーストラリアなどよその国原産の木だと気づいた。もっと昔から何も生えていなかったのか、一体どうしてとソリチュードファームのクリシュナに疑問を投げかけたところ…
 「この辺の500年100年くらい前のお寺などには象やトラなどジャングルに棲む動物のレリーフがあるからここはかつて森だったと考えられる。イギリスがインドを植民地にした際、このあたりの木をすべて切ったようだ。インド人の農耕よりイギリスによる木の伐採が不毛の台地に変えた直接の原因と思う」家畜放牧のためか、紡績工場のための綿花栽培か、木材の調達かはっきりしないがイギリスの産業革命による大規模な単一農業と何らかの関係がありそうだ。
 悲しいことにタミルに限らずインドの平野の多くが木が驚くほど少なく、どこも似たような貧弱な植生だ。多分焼畑や単一農業、過放牧により本来そこにあった植物が絶滅してしまったのだろう。こうなってしまうとよそからでも種を運んで植えるしか砂漠化を食い止める方法はない。
 オーロヴィルの森で道に迷ってしまった。行けども曲がりくねった小道が続き、目印など何もない。疲れてバイクを止め一休み、ふと空を見上げるとぼろぼろの鞘がめくれぴかぴかの珊瑚色の豆がぶら下がっている。本で見ていつか出会いたいと願っていたトウアズキに初めて対面したのだ。ソリチュードに持っていくとK・ムルティが一定の重さなので分銅に使うと教えてくれた。ビーズにしてネックレス(ロザリー・ピーという)を作るのも以前書いたナンバンアカアズキと同じだ。違う点はトウアズキがサンゴ色と黒い部分が半々で、カニの目といわれることも。鞘には毒があり、根・葉・種子は解熱剤など薬用に。アフリカ原産で、日本でも石垣や西表に生育、アカダマと呼ぶそうだ。そして大地を覆うために用いられることも見逃せない。オーロヴィルの誰かがずいぶん前に蒔いたものが大きく育ち、周りの草を育んでいるのだ。
しばらくトウアズキに見入っていたら、道に迷っていることなど忘れてほかにも面白い木はないかと探し回り、木に「どこから来たの?」とたずねたり。いろんなところからやってきた木が作り上げた森の美しさに見とれ、ふと気がつくといつも行き来している、アスファルトのメインストリートに出てこれたのだった・・・
散々迷ってソリチュードでごはんをごちそうになった。「ブラウンライスと雑穀、サンバルとドラムスティック、ピーナッツバターはソリチュード産!」…ほとんど全部だ。炊いた雑穀をインドで始めて食べた。驚いたのは雑穀がサンバルとよくからまる上に雑穀そのものの味が加わり、自然とよく噛んで味を楽しんでいること。つるりと飲み込んでたくさん食べてしまう白米と全然違う。インドの食事は大抵どかっと食べきれない量の白米に少量のおかず数品が普通。K・ムルティによれば50年ほど前までは白米は稀でたいてい雑穀が主食だったとか。この辺の事情は日本と同じで人間の欲求が栽培作物に変化を及ぼしたのだろう。そして大地はやせ衰えてしまった。「ビタミンなど全てそぎ落とした白米になってから十分な野菜すら食べられない貧しい人は栄養失調に、金持ちはその味に飽き足らず、脂っこい食事や肉食となり、肥満が増えた」とK・ムルティ。貧しい人が多い中、異常なほど太った人も少なくないインド。みんなが健康であるために森も畑もいろんな植物が一緒に生きられないだろうか。たとえそれがよそから来たものであろうと、大地に雨をもたらすかもしれない貴重なものだ。そもそも野菜や穀物はそれぞれの故郷から世界中に広がっていったのだ。オーロヴィルの森と畑からまた一つ教わった。

サンバル:南インドの味噌汁とも言うべき具沢山の豆カレー。いつかレシピを紹介したい。ほかのカレーも玄米や雑穀入りご飯とあわせるとおいしい。

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