『食べもの記』
(森枝卓士 福音館書店)
| 表紙の2つの写真は、この写真集からとっています。下の写真はムンバイの豆専門店のもの。上は南インド・ゴアの民家で女性がスパイスをつぶすところ。インドではスパイスは食事前にそのつどひいてつかうそうです。一日3回決まって石臼をごとごとと。 |
インド料理のおすすめ入門書
| 『誰も知らなかったインド料理』(渡辺 玲著・出帆新社) 豆料理クラブボランティアスタッフ・ひろの友人が書いています。東京で一般的な料理店で出される料理が、いかにインド人が日常食べている料理とかけはなれているか、それがどうしてなのか、冒頭にかなりの紙面を割いて書いてられる。著者が指摘するとおり、外食産業には家庭料理とはちがう欠点(かたより)があって、外食産業をとおしてしか広まらない外国の料理は、その国の料理の限られた一面でしかないと思います。レストランを経由して肉食・ごちそう食がどんどん紹介される一方、家庭で普通に食べられる何気ない料理は全然伝わらない。あげくに一般家庭の料理までレストランでの料理を模して油っこくなっていく。これは、豆料理クラブも共有している問題意識です。 『はじめてのインド料理』(ミラ・メータ著 文化出版局) 『もっとつくりたいインド料理』(ミラ・メータ著 文化出版局) 著者ミラ・メータさんの料理に求める美意識はわたしたちの目指す料理の方向性とぴったり一致するように思います。すなわち、新鮮な野菜をつかって、短時間でささっとできてしまうもの。ミラ・メータさんのお母さんが厳格なベジタリアンだったこともあり、インド料理の中でもとくに野菜料理・豆料理にくわしい。レシピAとFはこの著者のものです。。 『インド・スパイス料理』(レヌ・アロラ著 柴田書店) 料理のみならず、インドの生活の匂いが伝わってくる一冊。ガラムマサラの説明は「おふくろの味」というサブタイトルがついていて 「ガラムマサラの味は、母から娘へと伝えられるもの。数種類のスパイスをその家に昔から伝わるレシピで独自に調合してつくります。いわば、家伝の味です。インドはもともと大家族制で、お嫁に行くと、夫の家の配合を学ぶのが普通で、昔は姑に教えてもらったものです。とはいっても、配合をすぐ教わるのではなく、姑のそばにいて目と舌で、何ヶ月も何年もかかって頭に叩きこむのです」。 |
シリーズ・インド豆話 緑豆(佐藤浩子)

| 緑の豆を3つ ガタゴト揺れるバスで山を登り続けること4時間。次第にあたりはニルギリの茶畑が広がる。山道には白いコーヒーの花が咲き、バスはジャスミンそっくりな香りに包まれる。 ここは南インドケララ州の標高1200mほどにあるペリヤール動物保護区。「・・・決してトラやゾウなどを期待してやってきてはいけない」と西洋のガイドブックにある通り観光目的で来るとがっかりするようなところ。 バスが終点クミリに近づくにつれ軽いめまいを起こすほど町中カルダモンの香りが漂う。この匂いを嗅ぐとやれやれまた来たなあという気持ちになる。下界はうだるような暑さなのにここまで登ると冷んやりした空気とインドでは珍しい静けさが日本のもの悲しい秋の気配を思わせる。 小さな通りのほとんどがスパイスの店。収穫された胡椒やコーヒー豆を干したりカルダモンの選別作業をする女性の姿をよく見かける。ここはカルダモンの一大産地なのだ。ジャングルの斜面に広がる暗がりのいたるところにばさばさした大きなカルダモンの葉っぱが生える。葉っぱの根元にひっそり花が咲き、あのカルダモンの豆がぽつぽつできる。すこししか採れない、サフラン、バニラに次ぐ高級品だ。 ここではちょっと変わった食べ物がいくつかある。バススタンドの周りにある茶屋の木棚にはボンダと呼ばれる、沖縄の揚げ菓子がびっしり並べられている。隣にはスギエンというチャナ豆の衣の天ぷらが・・・と思いきや、緑豆のあんこが出てきてびっくり。食堂のダルも緑豆がよく使われていた。バナナのフライやシナモンロールそっくりのドーナッツも。これらは観光客向けにアレンジされたのではなく、皆地元の人が朝食や仕事の合間に一服立ち寄る何の変哲もないインドのチャイ屋。 夕飯時に肉体労働者が集まる掘っ建て小屋を覗く。「あらギートゥ、いらっしゃい。オカユ食べてって」村人にチェーチー(姉さん)と親しまれるおばちゃんがカンジーというお粥をすすめる。おばちゃんはオカユという言葉を覚えてしまった。なぜか夜しか食べられず、逆に夜のメニューはこれだけ。これに唐辛子や胡麻塩などのふりかけを混ぜて食べるのだが、お茶漬けを掻き込んでいるような気分。ちょっとしたキャベツや豆の炒め物や魚の揚げ物がいっしょにつくが、沖縄のチャンプルーや天ぷらを思い出す。町の食堂には何でもあるけどオカユはない。ここにくる度になぜかなつかしい味を見つけてしまう。 近くの山に入るとトライブの村もある。カルダモンはもちろん、タピオカや胡椒、クローブの栽培が行われている。町でボンダとスギエンを買い、ここに住むタブラ奏者トーマス一家を訪ねた。ジェームス・ブラウンのような黒人に近いトーマスは腰巻き一枚でタイコをせっせと作っているところだった。彼は太鼓職人でもある。「あれ、ギートゥ、しばらくぶり!元気そうで何よりだ。おっ、サータアンダギーとオハギを持ってきたのか。皆で一服しよう。」久々の再開にもかかわらず、また日本の単語が飛び出した。アンマ(お母さん)がここで採れたカピ(コーヒー)を出してくれる。南インドではイギリスが紅茶の栽培をするよりはるか昔にアフリカから持ち込まれたコーヒーを飲んでいた。今でもチャイよりカピが好まれる。といっても牛乳とたっぷりの砂糖が入っているのだが。朝はプットゥと呼ばれる竹筒に入れて蒸した米粉のパンを作ってくれる。 トーマス一家に始めて出会ったとき、ちょうどトーマスと小学生になる息子さんのセッションがあった。スパイスの取り引きをするため長期で滞在していた西洋人は「今日は町に出てチキンを買ってくるよ!!」と大はりきり。うわさはあっという間に伝わり、辺りが真っ暗闇に包まれるころには小屋ほどの小さな家のテラスにたくさんの人が集まった。 その日トーマスはタブラを息子に任せ、自分はタンジョールというタンバリンのような楽器を手にしていた。びっくりしたのは無言のまま始まった演奏。何とタイコを使って親子が会話を交わしているのだ。トーマスがたたき出す様々な音にあわせ、幼い息子がぴたりと答えていく。どうやら単に娯楽がないから暇人が集まってきたというわけではなさそうだ。だんだん演奏に熱が入り、聴いている方もはらはらする。何もない村に生まれた濃い集中がその場を神聖な空間に変えてしまった。情報や物が少なく、普段単調な生活だからこそ、音楽や踊りを通して不思議な一体感を皆で共有できるのかもしれない。この音を日本に持ち込んでも決して東京では起こり得ないだろう。インドの大都市で行われるステージでの演奏よりずっと素晴らしかった。 それからというものこの土地がすっかり気に入ってしまい、植物採集に何度となく通い詰めた。トーマスの娘さんとは山に登り、カーストや結婚といった世間話を聞いたものだった。しかし数年前から州政府の管理が厳しくなり、トライブの住む山は立ち入りが制限されてしまった。トーマス一家も立ち退かねばならなくなり、町の外れに新居を構えた。 ある日インドから日本に電話がかかってきた。「親父さんが、トーマスが死んだ」トーマスの愛弟子である日本人からだった。最初何のことかさっぱりわからなかった。あんなに熱心にタイコを教えていた元気なトーマスが?ついこないだ会ったときは日本の弟子が帰ってくることを心待ちにしていた。まだ結婚前の娘さんと高校生くらいになった息子はどうなるんだろう。残された家族のことを想った。 今でもクミリのバススタンドを降りればトーマスに声をかけられそうな気がしてならない。カルダモンの香りを嗅ぐたびにトライブの村とともにタブラの音が頭をよぎる。 カピ:チャイを作る要領で紅茶の代りにコーヒーの粉を入れる。牛乳が多いので「香りが好きだけどコーヒーを飲むとあとで調子が・・・」という人でも大丈夫では? スギエン:緑豆を茹でて黒糖を加え、あんこを作る。おはぎくらいに丸めて水で溶いたチャナベサン(ひよこ豆の粉、なければ小麦粉)の衣をつけ油で揚げる。緑豆を茹でる時に黒糖のほかにカルダモン・シナモン・クローブを加え、煮えたら牛乳を加えるとインド風おしるこに。おもちにもよく合う。 |
| [HOME] | [豆々通信 INDEX] |