豆々通信   [2003年2月号・読み物] 

『人になりそこねたロバ』 
(タゴール暎子・編訳 筑摩書房)

 くしゃみをする時

 ケシャヴァンとムルリダランは、テリチェリーの村に住む農夫です。二人は幼なじみで、畑へ出るのも、帰るのも、いっしょです。
 時は収穫にあたり、その忙しさは、ネコの手もかりたいぐらいでした。いつもならば昼食は家へ帰ってとり、昼寝のひとつもしてから畑へもどってくるのですが、今日はそうもしていられません。かみさんがつくってくれた弁当を、手伝いの少年がとどけにくるのを待って、二人は池の端の大きなバニヤンの木陰で包みをひろげました。
「ハークション!」                
 ケシャヴァンがイドゥリ(蒸した米パン)を口にしたとたん、大きなくしゃみをしました。
「ハークション!」また出ました。
「どうかしたのかい?」ムルリダランが聞きました。
「いいや、食べてる時にくしゃみをするのは、だれかがその人のことを考えてくれてるってことさ。きっと、かみさんがおいらのことを考えているんだろうよ」ケシャヴァンは、自慢げに胸をはりました。
 これを聞くと、ムルリダランはがっかりしました。――うちのやつは、おれのことなんか忘れちまっているにちがいない。こんなに汗水たらして働いているのに・・・。うちに帰ったら、どやしつけてやらあ――。
 夕方、家へ着くなり、ムルリダランは、かみさんをたたき、文句をいいました。
「おまえは、おれのことなんか、ちっとも考えてないんだろう?」
「ばかだねえ、あんたは。働き者の旦那のことを考えないかみさんがあるかね」
「いや、おまえは違う。その証拠に、おれはちっともくしゃみをしないじゃないか。ケシャヴァンのやつめは、昼めしの時だってくしゃみをしてるぞ。あれのかみさんが、よく旦那のことを思ってるからさ」
 彼女はふき出しながら、「ああ、ごめんよ。あたしゃ、ちょっと昼寝をしすぎたんだよ。明日はよくよくあんたのことを思ったげるよ」
 翌日も二人の農夫は、いつものように畑で働き、昼になると、バニヤンの木陰で弁当をひろげました。
 とたんに、ムルリダランは勢いよくくしゃみをしはじめました。くしゃみの連発で、止めようがありません。 じつは、彼のかみさんがこしらえた弁当というのは、ご飯にヨーグルトを混ぜ、そこにいやというほど煎ったトウガラシの粉をふりかけておいたのです。
「やめてくれ、もうおれのことを考えるのはやめてくれ!」ムルリダランは悲鳴をあげました。でも、彼はかみさんの深い愛情を思って、もう二度とたたいたり、文句をいったりすまい、と思うのでした。


これ ええわ 野 菜 の 食 い 道 楽(千晶)

 好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもの。好きな野菜は、自然においしく食べる工夫をしているようである。それに気づいたのはつい先日の姉との会話。小さい頃から何をやらしても不器用でどんくさい私にくらべ、姉は家事全般何でも手際よくこなす。そんな姉に私が何かアドバイスできようなどとは思いもよらなかったのだが――。
 「ねえねえ、12月の泰然自若シチュウつくってんねんけど、なんではじめにじゃがいもゆでとくの?」
 「そりゃあ、じゃがいもに火が通りにくいからやん。いっしょに煮たらでき上がった時にじゃがいもだけ火通ってへんで固いやん。」
 「そしたらやわらかくなるまで煮たらええやん?」
 「でも煮すぎたらカリフラワーとにんじんが煮くずれちゃうねん。」
 「シチュウやねんから煮くずれてもええんやないの?」
 「でもおいしくなくなるねん、歯ごたえがのうなって。そうや肉の入ってるシチュウやったら、肉がメインで野菜は煮くずれてもええんかもしれへんけど、肉つかわんと野菜をメインに食べるんやから、その野菜が一番おいしい状態になるように料理するねんわ。肉の入ったシチュウとはちゃうねんやろ。」
 「なるほどねえ・・・。あんた、それレシピに書いとき。あんたはわかってるかもしれへんけど、私ら野菜料理については初心者やから、書いてくれてなわからへんわ。若い子やったらレシピどおりするかもしれへんけど、手なれた主婦やったら、べつにあくとるわけでもないねんし、めんどくさいからいっしょにゆでよ、思うよ。それぞれの野菜を一番おいしい状態で食べるために、べつに火通すんですって一言書いといてくれな。」
 「へー、そうか。でも同じようなこと、きっとお姉ちゃんも無意識にやってるんちゃう?野菜炒めの時、火通りにくいものは小さめに薄めに切るやん。筑前煮の時に火通りにくいものを下ゆでしたり・・・」
 「うーん、あんまり考えてへんわ。」
 「きっと無意識にやってると思うよ。にんじんのおいしさ味わおう思ったら、あんまり小さく切ってしもたら味わえへんやんねえ。」
 「私はそんなににんじん好きやないねん。」
 「そうかあ、そやなあ、わたしなんて大きめに切って蒸しただけのにんじん、おいしいなあ、思うもん。」
 「そんなん、ええわ。やっぱり私は千晶みたいに野菜が好きやないねん。ハンバーグつくる時、にんじん食べなあかん思って、すって入れたりはするけど・・・」
 「そうかあ。あんまり野菜好きやないと、形が見えんようにしてしまうねんなあ。」 
 家事全般について大ざっぱな私であるが、野菜については無意識においしい切りぐあい、ゆでぐあいを求めているよう。包丁でセロリを切っている時に味わえるみずみずしい香り、手ごたえ。ゆでている時に「もういいよ」というにんじんの声を聞きのがすまいとして火からおろす、その呼吸。でも、考えてみればそんな野菜料理のだいご味を楽しむようになったのは、この3年ぐらいのことかもしれない。一度この楽しさに気がつくと、どんどんと雪だるま式に興味がふくらんでいく。それにこの野菜食い道楽、伝染性もあるよう。姉も近頃、料理の傾向が変わってきたみたい。かくいうわたしも、友人のゆら(楽天堂ボランティアスタッフ)からうつったのだった。


シリーズ・インド豆話 ジャングルでシャンプーを拾う(佐藤浩子)

シッケカイ

 暑苦しく狭いバスの車内でがなりたてるマサラムービーのサウンドトラックの大爆音。サスペンションなどないような飛び上がるバスに揺られ3日間缶詰状態。
 「やあギートゥ、よく来たね。今からカルナータカ州へ野外実習に出かけるとこだが、一緒にどうだい?」コラプールに付くや否や先生の言葉。1ヶ月かけて南の端から少しずつオンボロバスと電車を乗り継ぎながらようやく辿り着いたのに、この逆コースを再び、しかも学生50人と行こうというのだ。それを「はあ、喜んで」などと返事をしたのがまずかった。
 インド人に道はもちろん、距離や時間を尋ねてはいけない。たとえば「今向かうケマングンディ国立公園までどのくらい?」「うん、朝一番に出れば翌日の夕方にはとっくについてるさ」。こうなれば最高、という願い程度に聞き流すべきなのだが、これから始まる苦労についてあれこれ悩みたくないのでつい信じてしまう。バスがパンクやエンストで止まらず完走なんて半分以下、事故に遭わずこうして原稿を書けるだけ幸運なのだと納得するほどハイウェイ沿いにはたくさんの車がひっくり返っている。
 そしてどんな事が起ころうとへっちゃらな彼らと行動を共にするには相当タフでないと。弁当や水を持たずに夜明け前からジャングルを歩き始め、帰りは午前様なんてざら。一日中大雨で傘もささずにずぶ濡れでも一人特大ゴミ袋3−4個分は植物を詰め込んで帰る。ヒルに刺され血まみれのときも。毎回どうしてこんなところに来てしまったのだろうと後悔するのにまた行く。それほど山で花を見つけるのが皆楽しいのだろう。
 ようやっとケマングンディに到着。内臓の位置がめちゃくちゃになってるかもと思うくらいバスに揺られた。標高が高く下界の暑さとはうって変り、昼間は半袖で軽快に歩けるのだが朝晩かなり冷え込む。冬物の支度などないので常に体を動かしてないとおかしくなりそうだ。
 さっそく山道をぞろぞろと歩きだすと乾期の樹木の花が満開。豆の花では真っ赤なデイゴや藤のように垂れ下がった黄色いナンバンサイカチ。ランも木の幹にくっついて見事に咲き誇っている。皆熱心に採集して歩きくので根こそぎ無くなるのでは不安が過ぎる。突然女学生達の姿が見えなくなった。先生はやれやれといった様子で一休み。しばらくすると彼女たちは採集袋(のはず)いっぱいに長さ10cm以上ある赤紫色の豆の莢(さや)を持ち帰ってきた。そういえば途中通り過ぎた集落の屋根にもこれがたくさん乾かしてあった。何に使うの?とアイリーンに聞くと「莢を一晩お湯につけておくとシャンプーになるの。」とのこと。彼女はクリスチャンの修道女で今は学生寮にいるが、大学を出たら修道院の生活に戻るそうだ。驚くべき事に彼女はジャングルに植物採集であろうと修道女の着ているベージュのサリーを脱ぐことは決してなかった。時々サリーが刺や枝に引っ掛かったり、岩を飛び越せずさぞ歩きにくいだろうに彼女はせっせとシャンプーの豆を拾って歩く。「今度学生寮に遊びにきたらシャンプーを見せてあげる。」
 帰りも例によってバスは映画音楽を歌いながらえんえんとでこぼこ道を走る。最も困るのはトイレだ。公衆便所が少ないインドではオープンスペースとなるが適当な場所を見つけるのが難しい。先生を始め男性群は渋滞を見計らってさっと済ませられるし、バスは急いで帰りたいのでなかなか止まってくれない。終いには女性群が抗議してバスを降りて歩き出した。こういう時サリーは便利。
 大学へ戻り、早速学生寮へ行ってみた。女子寮は周りをぐるりと高い塀で囲まれ、塀の上に盛られたセメントにはガラスの破片がいっぱい突き刺さっている。守衛さんにアイリーンを呼び出してもらい、中に入れてもらう。部屋は同じ修道院の友達と一緒。身の回りの物といえば教科書や文房具、洗面用具のほかにはあのベージュのサリーの着替えが2、3枚あるくらい。印象的だったのがケシロンのコンロとフライパン。ベッドの下から籠を取り出すと卵とパンが入っていた。「オムレツ食べる?」ベジタリアンが多いこの地方でクリスチャンは卵を食べていいとか。寮の食事以外に部屋で簡単なものは作ってしまうそう。よく電車の中に炊事禁止!!と書かれているが、インド人はどこでも調理できる。普段からこれだけの物で生活しているから修道院の生活にもすんなりと入れるのだろうか。インドのクリスチャンはゴアやケララ州など宣教師がいた地域を除けば普通ヒンドゥのアウトカーストの人が改宗するケースが多いが、彼女は家族が不自由のないヒンドゥの暮しの中にいながら空しさを感じて自ら修道女を選んだそうだ。落ち着き払った彼女の仕種はどこから来るのだろう。廊下からは他の学生達の賑やかな声が絶えない。
 残念ながら先日取った豆はシャワー室が割り当てられていない日で使えなかった。アカシアの仲間でシッケカイと呼ばれるこの豆は、洗髪のほかに絹や毛織物の洗濯に使われる。若芽は酸味があり、カレーの具やチャツネに。サンスクリット名はサプタラで、同じアカシアの仲間にはバブールという名の歯磨き粉に使われる種もある。サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族に属し、soapやbubbleのように英語やラテン語と共通する音を持ち同じ意味の単語が少なくない。豆がシャンプーに使えると知って驚いたが、後に緑豆の粉でも頭が洗えると琉球大の先生から伺った。
 数年後、再びコラプールを訪れたときスーパーでシッケカイが売られているのを見つけた。先生のうちで広げると「え、売ってたの?!」とマダムに驚かれた。時間をかけて山から採ってくるアイリーンとスーパーで買ってしまう私。彼女は卒業してプーナの修道院にいるという。ラジニーシのアシュラムで有名なプーナには多くの西洋人がドラッグなどを求めて訪れる。最近ではコンピューターエンジニアの多くがプーナで日本語を学び、ぞくぞくと日本にやってくる。そんな土地にインド人の修道院があろうとは。いつかまた彼女を訪ねてみたい。

 インドのオムレツ

@卵1個に塩・胡椒、チリパウダーを加えてかき混ぜる。
A玉ねぎ・トマト・コリアンダーリーフ それぞれ少々をみじん切りにする。
Bフライパンを強火にかけ、油をおおめにいれて十分に熱したところで@を入れる。
CすぐにAを加え、焦げないうちにひっくり返す。熱いうちにいただく。
 卵は油で揚げる感じに。先にAを炒めておいてもよい。
ベジタリアンの店のトマトオムレツ:卵の代りに小麦粉と米粉、時には豆粉を混ぜたものを出す。ややこしい名前。

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