2014年に篠山市からの助成金があって、NPO風和が「小さな仕事塾」を主催し、わたしはそこに講師として招いていただきました。
その同窓会がこの日曜にありました。その感想を書いたので、以下に転送します。
ほんとうにいい機会でした。
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篠山のみなさま、このたびはありがとうございました。
ひとかたならぬお心遣いをいただいたおかげで、とてもいい場ができました。
たいへん学びの多い時間でした。
篠山から帰ってきて以下のことを書きました。
http://www.rakutendo.com/m-diary/zdry.cgi?2017:4:11
小さな仕事とはあまり関係のないことなんだけど、でも小さな仕事の根幹をなすところかと思います。
篠山温泉跡で起業しようとしてる森さんは、日本人の中年男性の多くが失ってしまっているある種の「子ども性」を持っていて、それはすばらしい長所です。
そのことをわたしはあの場でちゃんと言えなかったけど、一番大事なものを持ってるんだと思います。
昨日、3週間ぶりにイタリア語教室が始まって(4月から新学期です)、イタリア人の先生ふたりと久々に会って思ったのですが、日本人とはまったくちがう人間関係の持ち方をしていて、それは、有り体に言って、「対等」な人間関係を持ってるということなんですが、その「対等」の背景にあるのは、「個人」なんです。
日本人は、瞬時に序列を作ってしまう。
わたしは同質性の高い日本人の集団(つまり女の人ばっかりの集団)の中では、たいてい序列の下の方に置かれるというか、妹あつかいされる。
もっと世間を知ったお姉さま方から、忠告を受ける立場になります。
年齢と関係なくです。
(中略)
わたしはそれでいいんですが、わたしを妹あつかいする人は、そういう物わかりのいい大人役を引き受けてしまうことで、自分の「子ども性」を殺してしまう。
そんな立場に立ってしまうと、自分が窮屈になってしまう。
イタリア人の会話を聞いてると、二人とも(40歳くらいの男性のレオナルド先生、30歳くらいの女性のベアトリーチェ先生)が自分の子ども性も発露しながら、いきいきとしゃべってる。
ふつうに対等な人間のコミュニケーションなんです。
わたしはMさんにしばらく遊んだ方がいいと言いました。
会社をやめたMさんは、自分の子ども性を取り戻すことが、一番大切。
ほんとに遊んで下さいね。
起業する人、個人事業主、会社の社長というものは、個人なんです。個人というのは、自分の中に「子ども性」を持ってるものだと思います。
「子ども性」を失った人間は、ほんとうの意味での個人主義に立脚できず、社会の中で言いたいことを言えない、したいことをできない大人になっていくんだと思います。
そして自分を抑圧する心が、他人のことも抑圧してしまう。
わたしは日々、二人の子どもを抱えて一生懸命働いています。お金のためにあくせくしています。それでも、自分の「子ども性」は大切にしています。
それなしに、自発的な仕事はできない。
また、みなさん、会いましょうね。
いくつになっても子どものように楽しいことを考えましょう。