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  2017/04/17 [月]   


(豆料理クラブMLより)
昨日は近所のカフェで、民進党の福山哲朗さんを囲む会があり、参加しました。

再生可能エネルギーについてがテーマでしたが、福山さんは原発事故当時官房副長官で、管首相と、枝野官房長官とともに事故処理にあたったので、その話もなさり、そこにけっこう力が入りました。
わたしはその話はぜひ聞きたいところで、特に年間許容線量が1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げられた経緯はぜひお聞きしたくて質問しました。
福山さんはその点についても熱心に説明して下さいました。

その時集まっていたのは、元学校の先生を中心とした15人くらいの方々でしたがびっくりしたことがありました。

その1 わたしの予想に反して、原発事故当時のことその後の被災地の報告については、関心のない方が多かったこと。そこは短縮してほしかったという意見が出ました。
(中略)

その2 2011年当時、年間許容線量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げたことは大きな出来事だったと記憶するのですが、居合わせた人たちから出てきた意見は、そんな数字を出されても自分は話についていけないというものでした。

その3 全国的なメディアの人の認識についても福山さんが紹介されていましたが、「震災前に福島県に住んでいた人が100人としたら、何人くらいの人が避難したと思いますか?」という質問に対して、40人とか60人という声があがるそうです、現役の全国放送に関わるメディアの人たちから。
わたしは「2〜3人だと思います」と答えて正解でした(正解は100人中2人)。
たぶん自分も向こうに何度か足を運び、またこのMLで皆川さんや清水さんとつながって、東北の状況をある程度知っているからなのかあと思いました。

その4 そして、そんな風に東北について詳しいとみなされると(実際にはちっとも詳しくないんですが)、「一部の運動に関わる難しい議論をする人」と思われてしまうということ。
これについては自分は思いがけないことでした。もう何年も福島にも宮城県にも足を運ばず不義理を働いているというのが自分の実感です。

その5 福山さんは毎年飯館村に足を運んでおられ、今も福島県にたいしてひとかたならぬ思いを抱いておられたのですが(わたしはそのことで福山さんを信頼できると思ったのですが)、少なくとも昨日集まった人たちはそれについて冷や
やかで、もっと福井原発をなくすために強いリーダーシップを発揮してほしいと失望されていました。
キューバーのカストロさんのような独裁者が出てきて原発をなくしてほしいという話も出てきました。(福山さんの帰られたあとにです。)

カリスマ的なリーダーを求める気持ちが強いと、福山さんのような偉そうに見えない(フレンドリーでごく普通の人のように感じられる)政治家は失望されるんだなあというのが、昨日の一番の驚きでした。
その人々の(野党の普通の政治家への)失望は、望まない形で、強いリーダーシップを発揮する安倍政権を延命させてしまうことになるのかもしれない。

わたしは、自分と変わらないような普通の人が政治をやってるんだという気づきはとても大事だと思うと発言しました。
難しいことを考えて適切にオペレートしてくれるお上がいると思いこんでいたとしたら、それはまちがいだったんだと。
主権は自分たちにあるという意識が大事とも発言しました。あたりまえのことなんだけど、独裁者待望論の出た場では、言わずにはいられなかったです。


  2017/04/12 [水]   


2014年に篠山市からの助成金があって、NPO風和が「小さな仕事塾」を主催し、わたしはそこに講師として招いていただきました。
その同窓会がこの日曜にありました。その感想を書いたので、以下に転送します。
ほんとうにいい機会でした。

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篠山のみなさま、このたびはありがとうございました。
ひとかたならぬお心遣いをいただいたおかげで、とてもいい場ができました。
たいへん学びの多い時間でした。

篠山から帰ってきて以下のことを書きました。
http://www.rakutendo.com/m-diary/zdry.cgi?2017:4:11

小さな仕事とはあまり関係のないことなんだけど、でも小さな仕事の根幹をなすところかと思います。

篠山温泉跡で起業しようとしてる森さんは、日本人の中年男性の多くが失ってしまっているある種の「子ども性」を持っていて、それはすばらしい長所です。
そのことをわたしはあの場でちゃんと言えなかったけど、一番大事なものを持ってるんだと思います。

昨日、3週間ぶりにイタリア語教室が始まって(4月から新学期です)、イタリア人の先生ふたりと久々に会って思ったのですが、日本人とはまったくちがう人間関係の持ち方をしていて、それは、有り体に言って、「対等」な人間関係を持ってるということなんですが、その「対等」の背景にあるのは、「個人」なんです。

日本人は、瞬時に序列を作ってしまう。
わたしは同質性の高い日本人の集団(つまり女の人ばっかりの集団)の中では、たいてい序列の下の方に置かれるというか、妹あつかいされる。
もっと世間を知ったお姉さま方から、忠告を受ける立場になります。
年齢と関係なくです。
(中略)

わたしはそれでいいんですが、わたしを妹あつかいする人は、そういう物わかりのいい大人役を引き受けてしまうことで、自分の「子ども性」を殺してしまう。
そんな立場に立ってしまうと、自分が窮屈になってしまう。

イタリア人の会話を聞いてると、二人とも(40歳くらいの男性のレオナルド先生、30歳くらいの女性のベアトリーチェ先生)が自分の子ども性も発露しながら、いきいきとしゃべってる。
ふつうに対等な人間のコミュニケーションなんです。

わたしはMさんにしばらく遊んだ方がいいと言いました。
会社をやめたMさんは、自分の子ども性を取り戻すことが、一番大切。
ほんとに遊んで下さいね。

起業する人、個人事業主、会社の社長というものは、個人なんです。個人というのは、自分の中に「子ども性」を持ってるものだと思います。
「子ども性」を失った人間は、ほんとうの意味での個人主義に立脚できず、社会の中で言いたいことを言えない、したいことをできない大人になっていくんだと思います。
そして自分を抑圧する心が、他人のことも抑圧してしまう。

わたしは日々、二人の子どもを抱えて一生懸命働いています。お金のためにあくせくしています。それでも、自分の「子ども性」は大切にしています。
それなしに、自発的な仕事はできない。

また、みなさん、会いましょうね。
いくつになっても子どものように楽しいことを考えましょう。



  2017/04/11 [火]   


(豆料理クラブのMLより)
日曜は篠山に行きました。
篠山小さな仕事塾の同窓会で、2年の間に起業したみなさんの様子をお聞きし、今後についてあれこれ話せて、うれしかったです。
中には、福島からの自主避難者もいます。

篠山では、もうかれこれ25年くらいのつきあいになる大月さんと会うこともできて、今村復興相の会見について大月さんの意見を聞けて、それもよかった。

今村復興相の会見動画。→https://www.youtube.com/watch?v=mOUSSJmg_dE

Iさんも言及されてましたが、今村復興相の発言は一線を越えるものだったと思います。
復興庁の中で、自主避難者を政府のいいなりにならないやっかいな人間としてとらえていることがよくわかりました。

日本政府はかつてはたとえば在日の人々にそのような扱いをし、沖縄の人々をそのように扱い、こんどは福島をはじめとする地域からの自主避難者をそのように扱う。
このことをわたしたちはよく覚えておかなくちゃいけないし、政府を支持している人たちは今は政府に守ってもらっていると感じているかもしれないけれど、次は自分が連中呼ばわりされかねないことを考える必要がある。

ちょっと話はそれますが、ゆきすぎた個人主義が問題で、公について考える公共の精神が大事だと、いたるところで言われることについて合わせて考えています。
ホームレスの支援をしているボランティア仲間の間でも「ゆきすぎた個人主義」について話題になります。定年退職してボランティアに加わった男の人は特にそれを仰います。

だけど日本に「ゆきすぎた個人主義」があるんでしょうか?
ゆきすぎた消費者マインドはあると思うのですが、ゆきすぎた個人主義はないと思います。というのは組織の中で言いたいことを言えず自分を押し殺して生きてる人が大半のように感じるからです。
篠山でも、会社の中でパワハラにあってる人がそのむごい経験を話したのですが、他の会社員の方は「それは中からはやめさせることはできない」と仰いました。
実感なのだと思います。実際、そのパワハラ(弱い者いじめ)にあってる方が勤めてる会社はけっこう大きな組織だったけど、誰も助け船を出してくれなかったとのこと。

日本に「ゆきすぎた個人主義」というのはないと思います。
ゆきすぎた消費者マインドは、組織の中で自分を押し殺して生きている人が、そのうっぷんをサービス業に従事する人に向けている、ただそれだけのことだと思います。(このことはまた改めて書きたいです。)

日本で「公」を考えるとき、合わせてきちんと個人主義を評価しないと、すぐに教育勅語的な方向に、ひっぱられてしまう。
公のために個人の行動や権利が制限されてしまう。
自主的に避難した人たちが今受けてる扱いを見れば、それは杞憂でないとわかります。

今一番大事と思うのは、むしろほんとうの意味での個人主義なんだと思います。
でも個人主義というのはとても評判が悪い。わがままで社会の敵みたいになってる。
「自主避難」さえも、そんな扱いになるとしたら、なんて窮屈な社会なんだろうか。
「個人の権利」という言葉さえも、もはや死語です。実際、この社会でこの言葉は生きていない。
(生活保護に行く人に、途中、「○○さんには権利があるんですよ。基本的人権って言うんですよ」と説明すると、「そうかあ。生きる権利があるんか」と、しみじみ言われました。)

以下は、ツイッターに書いたことです。

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昨日は篠山で昔からの友人と、今村復興相の会見について話し合って、帰宅して3回くらい例の会見を見て、腑に落ちない点について考えていたのだけど、最後にやっとこの大臣の心の動きが理解できたという気がしました。「ここは公の場だぞ」と彼が語気を荒げて言った意味がずっとわからなかった。

昔、法務省に勤めていたときに、在日の人たちのことを「連中」と、同僚が言うのを聞いた時のことを思い出しました。犯罪者じゃないただ一般の在日の人たちのことを働き盛りのスマートな官僚たちがそう呼ぶ場面があった。外国人登録証への指紋押捺のことで、政府が責められていた文脈でだった。

日本で生まれた在日の若者が指紋押捺を拒否したまま、ピアノの演奏で海外に出て、再入国許可が下りない、そういう場面だった。生まれた日本に戻ってくることができない。反発した西日本の在日高校生たちが、あちこちで指紋押捺を拒否するということがあった。

わたしは法務省の中にいながらも在日の人たちに共感していて、だからこそふだんエレガントな若い官僚は、クールな顔つきで「連中」と言ったのだと思う。ひとりひとりの事情を考慮していたらスマートに仕事ができなくなる。大事なのは国益なのだ。自分たちは個ではなく公を代表してるのだ、という幻想をリアルにするために、犯罪者でもない人々を連中呼ばわりせずにはいられなかったのだと思う。 そうすると物事は軽やかに進む。いろんなことを事務的に処理できる。

今村復興相の「公」という言葉には、自分が公の利益を代表しているというヒロイズムがこめられていて、そのヒロイズムが追い詰められてることに、苛立ったのだなあと思った。 そしておそらく、復興庁の中で、自主避難者は連中呼ばわりされる日常があるのだろうと思う。

それにしても、ヒロイズムを必要とする男の人って、、、。

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  2017/04/07 [金]   


仕事の仕方について相談を受けることが多くて、「小さな仕事塾」というのを2011年からするようになりました。 5日に書いたことの補足だけど、自営業者は、最後は生活保護を受けることが少なくないと思います。厚生年金がないから。
(昨日の方も元自営業者で、国民年金では足りない月5万円くらいを支給してもらえそうです。)

だから、自分は生活保護の申請の仕方をHomedoorで学んでほんとによかったと思ってます。自分自身のためにも、それから仲間の自営業者のためにも。 もちろん老後の貯金ができたら、それに越したことがないけど、農業をしてる人や飲食業をしてる人が、果たして貯金ができるかと考えると、現実、難しい。
だって実際問題、時給換算すると200円とか300円とかで仕事してる農家が多いし、そうした生産者と消費者の間で値段を決める飲食業だって、誠実にやってる人の多くが、貯金できない状況です。 「小さな仕事」と貧困とは、現実問題、背中あわせです。

個人的な努力はもちろんすべきだし、実際みんな一方ならない努力をしてるけど、社会構造の問題もあって、小さな自営業者がリスクを抱えているのは、まぎれもない事実。
だから、困ったときに相談に来てほしい。 「小さな仕事塾」の仲間にもそう思うし、一般の人にもそう思います。
でいっしょに考えて解決していくうちに、自分の問題解決能力が高まる。 そういうことが今の自分には必要と思います。

いや、基本的にはもっと楽しい話がしたい。そう、起業講座では夢を語り合っています。 それができるのは、最悪の時の対処の仕方がわかってるから。 みなさんに失敗を怖れずチャレンジしてもらうためにも、自分は安全基地みたいな存在でありたいと思っています。

「小さな仕事塾」、起業講座9期の受講生、募集しています。 5/21(日)6/18(日)7/16(日)の3回シリーズです。 「小さな仕事塾」→http://www.rakutendo.com/kigyou-jyuku.html … 「起業講座」→http://www.rakutendo.com/kigyou-jyuku/kiso-kouza.html

容姿について誹謗中傷を受けたとき、え?そこまでぶさいくじゃないよね?って、自分がましな側に分類されたいと願う気持ちが奴隷根性だと思うのですが(問題はそこじゃなくて、容姿で人の尊厳を傷つける態度の方)、商売人だって、勝ち組に入るかどうかだけが問題じゃなく、もし負けてもやってけるような社会を作ることにも力を注ぐのが、広い視野で見たときには、大事だと思ってます。
だって、人間いつかは負けるんだもの。
負ける人もいるのが社会なんだもの。
「小さな仕事塾」としては、商売で成功するコツを伝えるだけじゃなくて、上手くいかないときにも生きていける社会(コミュニティ)を用意していきたい。


  2017/04/06 [木]   


(豆料理クラブMLより)
このところどうしてかずっと忙しくて、2ヶ月前に贈呈された本を今ごろやっと読んでいます。
たぶん優先順位が間違ってる。もっと本を読むべきだ、と今日はつくづく思いました。
というのは、近所の佐伯さん(有機農業をしていて、野菜を販売されてます)が中心になってまとめられた本が、すばらしいのです。
『地方自治のあり方と原子力』(反原発運動全国連絡会)
http://www.pen.co.jp/book/b281091.html

このMLで昨年8月にちょっとだけ紹介した
『脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?』(保坂展人著)という本を読んだときも思いましたが、自治体の長が脱原発についてイニシアティブをとっていく方向性が、よくわかります。

『地方自治のあり方と原子力』では、滋賀県知事の嘉田さんが、研究者だった経歴を生かして、原発事故が起こったときのシュミレーションを見える化した様子が本の最初の方に紹介されています。
わたしも学生の頃お手伝いしたことがある滋賀県琵琶湖研究所が、今は「琵琶湖環境科学研究所センター」という名前になっています。嘉田さんとは、琵琶湖研究所時代にお会いしたことがありました。

嘉田さんはその県立の研究所の設立から関わっていて、信頼できる研究者仲間がいらして、そうした人たちが力を合わせてシュミレーションを実現してるんです。
縦割り行政の中ではできなかったことです。読んでて涙が出てきました。

まだ読み始めたばかりだけど、『脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?』と同じく、震災後、すべきことをしている自治体があることが伝わってきて(国政が末期的な状況であることと対照的ですね)、小さいことでも自分もできることをしていこうと改めて思いました。


  2017/04/05 [水]   


役所から戻ってきました。生活保護の申請の付き添いで行きました。2時間かかりましたが、無事受理してもらえました。 いっしょに行って喜ばれました。今まで2回ひとりで相談に行ったのだけど、生活保護申請までには、こぎつけなかった方です。 Homedoorで学んだこと、役立ちました。

それにとても勉強になりました。また改めて書きます。 生活保護受給したいと思っていて困ってる人がいたら、相談に乗ります。よかったら一緒に役所に行きましょう。

生活保護に行く人に、途中、「○○さんには権利があるんですよ。基本的人権って言うんですよ」と説明すると、「そうかあ。生きる権利があるんか」と、しみじみ言われました。
今夜は、一時救護施設に入られることになりました。