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(豆料理クラブのMLより)
日曜は篠山に行きました。
篠山小さな仕事塾の同窓会で、2年の間に起業したみなさんの様子をお聞きし、今後についてあれこれ話せて、うれしかったです。
中には、福島からの自主避難者もいます。

篠山では、もうかれこれ25年くらいのつきあいになる大月さんと会うこともできて、今村復興相の会見について大月さんの意見を聞けて、それもよかった。

今村復興相の会見動画。→https://www.youtube.com/watch?v=mOUSSJmg_dE

Iさんも言及されてましたが、今村復興相の発言は一線を越えるものだったと思います。
復興庁の中で、自主避難者を政府のいいなりにならないやっかいな人間としてとらえていることがよくわかりました。

日本政府はかつてはたとえば在日の人々にそのような扱いをし、沖縄の人々をそのように扱い、こんどは福島をはじめとする地域からの自主避難者をそのように扱う。
このことをわたしたちはよく覚えておかなくちゃいけないし、政府を支持している人たちは今は政府に守ってもらっていると感じているかもしれないけれど、次は自分が連中呼ばわりされかねないことを考える必要がある。

ちょっと話はそれますが、ゆきすぎた個人主義が問題で、公について考える公共の精神が大事だと、いたるところで言われることについて合わせて考えています。
ホームレスの支援をしているボランティア仲間の間でも「ゆきすぎた個人主義」について話題になります。定年退職してボランティアに加わった男の人は特にそれを仰います。

だけど日本に「ゆきすぎた個人主義」があるんでしょうか?
ゆきすぎた消費者マインドはあると思うのですが、ゆきすぎた個人主義はないと思います。というのは組織の中で言いたいことを言えず自分を押し殺して生きてる人が大半のように感じるからです。
篠山でも、会社の中でパワハラにあってる人がそのむごい経験を話したのですが、他の会社員の方は「それは中からはやめさせることはできない」と仰いました。
実感なのだと思います。実際、そのパワハラ(弱い者いじめ)にあってる方が勤めてる会社はけっこう大きな組織だったけど、誰も助け船を出してくれなかったとのこと。

日本に「ゆきすぎた個人主義」というのはないと思います。
ゆきすぎた消費者マインドは、組織の中で自分を押し殺して生きている人が、そのうっぷんをサービス業に従事する人に向けている、ただそれだけのことだと思います。(このことはまた改めて書きたいです。)

日本で「公」を考えるとき、合わせてきちんと個人主義を評価しないと、すぐに教育勅語的な方向に、ひっぱられてしまう。
公のために個人の行動や権利が制限されてしまう。
自主的に避難した人たちが今受けてる扱いを見れば、それは杞憂でないとわかります。

今一番大事と思うのは、むしろほんとうの意味での個人主義なんだと思います。
でも個人主義というのはとても評判が悪い。わがままで社会の敵みたいになってる。
「自主避難」さえも、そんな扱いになるとしたら、なんて窮屈な社会なんだろうか。
「個人の権利」という言葉さえも、もはや死語です。実際、この社会でこの言葉は生きていない。
(生活保護に行く人に、途中、「○○さんには権利があるんですよ。基本的人権って言うんですよ」と説明すると、「そうかあ。生きる権利があるんか」と、しみじみ言われました。)

以下は、ツイッターに書いたことです。

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昨日は篠山で昔からの友人と、今村復興相の会見について話し合って、帰宅して3回くらい例の会見を見て、腑に落ちない点について考えていたのだけど、最後にやっとこの大臣の心の動きが理解できたという気がしました。「ここは公の場だぞ」と彼が語気を荒げて言った意味がずっとわからなかった。

昔、法務省に勤めていたときに、在日の人たちのことを「連中」と、同僚が言うのを聞いた時のことを思い出しました。犯罪者じゃないただ一般の在日の人たちのことを働き盛りのスマートな官僚たちがそう呼ぶ場面があった。外国人登録証への指紋押捺のことで、政府が責められていた文脈でだった。

日本で生まれた在日の若者が指紋押捺を拒否したまま、ピアノの演奏で海外に出て、再入国許可が下りない、そういう場面だった。生まれた日本に戻ってくることができない。反発した西日本の在日高校生たちが、あちこちで指紋押捺を拒否するということがあった。

わたしは法務省の中にいながらも在日の人たちに共感していて、だからこそふだんエレガントな若い官僚は、クールな顔つきで「連中」と言ったのだと思う。ひとりひとりの事情を考慮していたらスマートに仕事ができなくなる。大事なのは国益なのだ。自分たちは個ではなく公を代表してるのだ、という幻想をリアルにするために、犯罪者でもない人々を連中呼ばわりせずにはいられなかったのだと思う。 そうすると物事は軽やかに進む。いろんなことを事務的に処理できる。

今村復興相の「公」という言葉には、自分が公の利益を代表しているというヒロイズムがこめられていて、そのヒロイズムが追い詰められてることに、苛立ったのだなあと思った。 そしておそらく、復興庁の中で、自主避難者は連中呼ばわりされる日常があるのだろうと思う。

それにしても、ヒロイズムを必要とする男の人って、、、。

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