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  2018/02/17 [土]   


自然農法の秋場和弥さんが11日亡くなりました。65歳でした。
秋場さんのお別れに北見へ行って感じたことを書きました。

人間は環境の関数じゃない。
昔、ゼミの担当教官であったであった鳥越弘之先生が、「感受性」というファクターをつかって、人々がおなじ環境におかれても違う行動をとることを説明されていた。 その人が持っている幾層におよぶ言語空間(あるいは感覚世界と呼ぶべきか)は、物理的環境以上に、人の人生に影響を及ぼす気がします。

もし違う人間になりたかったら(生まれ変わりたかったら)、日々の行動を変えればいいと2年前に、どなたかからアドバイスいただいた。 それは行動を変えることで、自分の中にまた違う言語空間(感覚世界=感受性)がたち現れるからだろう。

生まれ変わることは難しく感じる。感受性を変えることも、自分の中の感覚世界を変えることも難しく感じる。だけど、具体的な行動を変えることは、誰にでもできる。

具体的な小さい行動が人生を大きく左右するとは思えないかもしれない。物理的な環境だけを考えるなら、その通り。自分の行動が物理的な環境に与えうる影響は微々たるもの。 だけど、その小さな日常生活の変化は、自分の感受性を変える。 おなじ環境にあっても、感受性が変われば人生はまったく変わる。

だから、まず行動せよ、なんだと思う。

あと鳥越弘之先生は、社会現象を考える際に、人間の相互無理解性を重要なファクターとして考えていた。 感受性が違うということは、共有している言語空間がないということ。おなじ社会に属しているようでも。

     ※           ※

下の記事にもあるように、異なる感覚世界は、異なる言語空間として立ち現れる。https://twitter.com/alohamode/status/963896789647556608
(もちろん言葉は月をさす指であって、大事なのは月であり指ではない。だとしても、指を見ないでは月を見ることはできない。)
「こだわりの食材」という語彙がない料理人の店が「こだわりの店」と紹介される現象がそうだ。

いま読んでる『日本人はなぜ謝りつづけるのか』という本を読んでいて思うのは、言葉にしか解決はありえないということ。 「日本人のサイレント・ジェスチャーが、(イギリスの)人々に通じるといいなと思うんですけど」という考え方は、違う言語空間への敬意が働いていないのだと思う。

日本人の謝罪は、多くの場合、彼らの琴線に触れなかった。そしてそれはイギリス人が理屈っぽいということの結果ではない。
「こだわりの店」という表現で褒められても喜ばない店主がいるのは、彼が理屈っぽいからではないように。
褒めるという真心があれば通じるだろうと人は思いがちだけど、褒めるにしても、謝るにしても、感覚世界の共有がなかったら、満足はない。 そして、感覚世界を共有しようと思ったら、まず異なる感覚世界があることを前提に、慎重に繊細に人とつきあうべきなんだろうと思う。 そしてがさつな人間にとって(たとえばわたしのことです)、言葉はその手がかりになる。

秋場さんのお通夜で、房子さんに「こんなことになるんだったら、、、」とわたしが思わず述べた言葉を、それまでにこやかにわたしの手を握ってくださっていた房子さんが、驚いて飛びのくようにさえぎられた。 秋場さんと房子さんがこれまで共有されてきた稀有な言語空間をそのときわたしは感じました。

お通夜からお葬式へ。 わたしは次第に物事を理解していくことができた。秋場さんご夫妻が大事にされてきた感覚世界が、わたしの日常的なそれとはまったく別次元なんだと、気づかされました。 そして翌日もう一度弔問の言葉とお別れの言葉を房子さんにお伝えしたときには、たしかに通じるものがありました。房子さんは最後まで、わたしの手をかたく握ってくださった。
それは、わたしが房子さんの感覚世界を理解したということではなくて(それは100年早い)、わたしと違う感覚世界に住んでおられるとわたしが理解したことによって生まれた共感と思う。
捕虜に対して日本人がまずすべきだったのも、おそらくは人間の相互無理解性の理解だったのだと思う。


  2018/02/11 [日]   


堺町画廊のふしはらさんから薦められて、下の動画、見てました。 ↓
日本のタネが危ない!山田正彦先生(元農水大臣)「種子法廃止とこれからの日本の農業について」
https://www.youtube.com/watch?v=NiBrEGMoCRY

とてもわかりやすかったです。
それにしても、なんのために、これほど国益を損なう政策を進めているのだろう。おそらくは保守と位置づけられる人たちなのでしょうに。どうして国土を守らないのか?


  2018/02/10 [土]   


今日は雨でお客さんが少なくて、加藤哲夫さんが生前すすめてくださった本を読み進める。ずっとわたしが見落としてたことに光を当ててくれる本。
(日本政府の「遺憾である」とか「深い悲しみ」という言葉が、こんな風に外国の人々を傷つけていたとは。)

元捕虜のイギリス人の言葉。
「私は、日本がなぜ戦争に打って出たか、は十分に理解しているし、−それが〈アジアを解放するもの〉だったか〈日本を守る自衛戦〉だったかについて賛成か反対か、私がとやかく議論に入る必要を感じない。私が問題にしているのは、戦争が行われた、やり方に対してであり、捕虜に対してだけでなく、日本が占領した各国の民間人、女性、子供とそして負傷者に対しての振る舞い方なのである。これらの行為の有罪性を認め、それらを本当のapologyにするのは、唯一『シャザイ』という言葉―『自分が他者に対して行った過ちを認め、謝ること。自分がやったよくないことや侵害行為を認知すること―謝ること』だけなのだ。」

英国人捕虜の言葉に続いて、中尾知代さんの言葉。
「ティザリントン氏に面談して10年以上が経つが、彼にとって『求める言葉を避けつづける』日本政府は、思いを裏切る憎い恋人のような存在ではないか、と思うことがある。英国の場合、幾多の元捕虜や抑留者の声を聞いてきたが、彼らのこだわりは、決して『謝罪を言わせて、金をとろう』などという単純なものではない。ちゃんと謝ってほしい、という気持ちは真剣である。」

「『残念・遺憾』という言葉は、自分が傷つけた責任のある相手に言う言葉ではない―それが彼の意見である。彼に限らず英国では、regretやdeep remorseという、日本政府や天皇の用いる用語に対する不信感は、一般人、元捕虜、メディアに共有された感覚である。」

「人間として対等に扱われたい、という願いもある。捕虜にとって『謝罪』は、非人間・押収品として扱われた自分が、今度こそ、日本政府と日本人から人間として認証され、対等になった証明と言える。  多くの元捕虜や抑留者は有罪感や無力感、自己否定意識に悩む。4年間、まともな人間扱いを受けず、見張られ、行為を制限されつづけ、虐められるという経験をすると、人は尊厳意識が減り、自分の存在意義を肯定できなくなるという。」

「トラウマから家族関係や心身の不調に悩まされ無力感に悩む者、サイバーズ・ギルト(生き残ってしまったことに対する申し訳なさ)に苦しむ者たちにとって、死んだ仲間や家族の為にも、謝ってほしいという願いは切実だ。
日本からの謝罪を必要とするのは、彼らを苦しめた責任主体が日本政府にあることを確認し、自らを責め・否定する感覚から解放されたいからではないか。『謝罪』―すまない、ごめんなさい、貴方にしたことは間違っていたとの言葉―により、責任者は明確になる。
天皇の『深い心の痛み』や『遺憾の念』はその代理にはならない。主観的であり、責任の所在も曖昧だ。日本側から『すまない、悪かったのは私だ』と言ってもらわない限り、元捕虜や抑留者の自己否定感・責めは解消しない。」
(中尾知代著『日本人はなぜ謝りつづけるのか』より)


  2018/02/09 [金]   


(豆料理クラブのMLより)
もうすぐ、クリント・イーストウッドの新作映画が公開されるので、とても楽しみにしています。
イーストウッドと言えば、皆川さんのことをいつも思い出します。『アメリカン・スナイパー』の中のムスリムの人たちの描かれ方が過剰に残酷(事実とまるで違う)であったという指摘とともに。

もうずいぶん前の映画ですが『ディア・ハンター』のベトナム人の描かれ方もまた残虐でした。これはマイケル・チミノの映画。

そういうキリスト教文化圏以外の人たちの人間描写の残酷さは何に由来してるんだろうとぼんやりと考えていたのですが、今読んでいる本、『日本人はなぜ謝りつづけるのか』を読んでいて、はっとしました。
日本人が戦争中に捕虜にしたことがイギリスで言い継がれているんですね。理解不能な残虐性に今も苦しんでおられる人がたくさんおられた。

一人の若い女性が1980年代から90年代にイギリスに行って、日本人ということでののしられる場面が何度もあって、これは聞き取り調査をしなくてはなるまいと意を決して、ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得て、イギリスに住
み、長年の調査を経て、この本を書かれました。
加藤哲夫さんが生前、ぜひ読むようにとすすめてくださった本で、今さらながら読んでいるのですが、ほんとうにすばらしい本です。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4…/…/4140882646

この本の中にもヴァン・デル・ポストの小説が引用されていて(河合隼雄さんの『影の現象学』でもとりあげられていました)、ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』(『戦場のメリー・クリスマス』の原作)が描いたテーマの奥深さを考
えさせられています。

そして、イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』や、マイケル・チミノの『ディア・ハンター』の中のキリスト文化に属さない人たちへの恐怖心の出どころは、もしかしたら日本人が実際に捕虜にしたことに由来するのではないかなあと思えてきました。

イギリス人捕虜についての数字ですが、ナチス・ドイツの捕虜になったイギリス人の9%が死亡している一方で、日本人の捕虜になった人の27%が死亡し、多くの人が肉体的な後遺症や精神的なPTSDをかかえて暮らしているのだそうです。


  2018/02/05 [月]   


今、禁糖をしています。
野口整体の身体教育研究所の提唱している方法で、1年に1回、砂糖とコーヒーとアルコールをとらない期間を設けます。
1週間から2週間くらいです。

おへそから指3本上のところに右手薬指がなじむと、禁糖の必要な期間の始まり
だよというサインで、中指がなじむようになると、禁糖終わりです。
(左手の場合は、薬指がなじむと禁糖はじまりで、小指がなじむと禁糖終わり。)

もう10年くらいやっているでしょうか。
これがとても快適で、体調と味覚とがリセットされるので、おすすめです。
かまぼこ、ハム、出汁醤油、味つけ海苔、カレーのルーなどなど、加工食品には
砂糖が入っていることがほとんどなので、豆の出番がいつも以上に増えます。
毎日豆スープや豆入りの雑炊を食べています。

昔は5月くらいにその時期が来たのだけど、どういうわけか、年々早くなってい
て、今年は1月30日にスタートしました。
もうそろそろ終わりです。

体調がよくなるし、精神的にもいいです。
心からおすすめします。

武術家の甲野善紀さんの禁糖についてのツイートは以下。
https://togetter.com/li/286058