きものを着るかなしみ 附:お金のない男がきものを着るには
[2013・02・14]



 「お魚くわえたドラ猫/追いかけて/はだしで/かけてく/陽気なサザエさん♪」

 日曜夜6時半、軽快なテーマソングで始まるアニメ『サザエさん』は、テレビの長寿番組の一つだろう。この親子三代がくりひろげるコメディは、一家団欒の夜の食卓を飾るにふさわしいホームドラマである。

 『サザエさん』は昭和三十年代の日本の家庭を模しているそうだが、いつまでも老いない(成熟しない)登場人物たちの中にあって、世代差を強調するためであろうか、父親の波平と母親の舟だけが、他のキャラクタ−とは異なる設定が施されている。それは彼らだけが日常的にきものを着ているのだ。サラリーマンの波平は毎朝、背広を着て会社に出かけているが、家に帰ってくるときものに着替えてくつろいでいる。専業主婦のフネは、きものに割烹着が定番である。

 思い返せば私――昭和三十年(1955年)生まれ――の母も、私が小学校中学年くらいまでは日々きものを着て暮らし、洗い貼りなども庭に板を立てかけて自分で行っていたように記憶している。工員であった父は、いつも洋服できもの姿は一度も見たことはなかったが。私はといえば、子どものころ、浴衣を着て町内の盆踊りで笑っている写真が一枚残されているだけである。

 そんなきものに縁もゆかりもなかった(平均的な日本人である)私が、十年ほど前から整体を習い始めて稽古で着物(+野袴)を着るようになり、洋服から作務衣にふんどしという数年の助走期間を経て、今では日常的にきものを着て暮らしている。自宅が仕事場(豆屋)なので、いわば波平とフネを合体させたようなありようである。

 きものを着始めたころは、よくこんな質問もされた。「冬、寒くないんですか?夏は暑くありませんか」――冬は重ね着をしているから大丈夫だし、夏は首を締めつけるTシャツよりもむしろ浴衣一枚の方が涼しい。「よいご趣味ですね」――趣味じゃないんだけどなあ〜。着たくなったから着ているだけで、、、というような反発心も、六年も着続けていればおのずとなじんでくるのか、薄らいできた。TPOに応じて今でも洋服は着るが(たとえば子どもを連れて山に行く時などユニクロのヒートテックにアウトドア用の服に身をつつんで)、それでも家に帰ってくると無性にきものが着たくなる。オレも波平の年頃になったのかな、と思うことしばし。幸い、髪の毛はまだ“野原の一本松”にはなっていないが。

 きものを着ると、いろんなことを感じ、考える。まず、直線裁ち。貴重な布をムダにしないように(いわば“もったいない精神”で)反物から直線に切って縫ってある、という説明がなされるが――確かに、その合理的な説明は十分に納得できるが――果たしてそれだけであろうか。私は、「“からだの感覚”こそが言葉や衣食住のありようを創ってきた」という整体の立場から、人間が立つことによって生まれた腰の垂直感覚こそ――能の所作や、武術の身のこなしに端的に現れているように――着物のような衣服を産みだした、よしとした、のではないかと考えている。

 そして、直線裁ちから必然的にもたらされた、不合理に大きな袖(そで)と脚部を拘束する裾(すそ)。きもの初心者にとって難物であるこの二つは――私も着始めたころ、袖口をドアのノブにひっかけてしまったり、足運びが窮屈で難儀したが――なぜだろうと考えた時、私は洋服と異なり(外部に向かって)大きく開いた手元、足元そして襟元こそ、きものをきものたらしめている思想ではないかと思い至った。

 一言でいえば、“自我を隠す”というものである。首(顔)・手・足は人間の自由の象徴であろう。それを亀よろしくすっぽりと布でくるんで――赤ちゃんのおくるみ!――消し去ってしまう、まさに和(なごみ)の服・・・。一方、洋服は、ネクタイで首周りを締め、手首・足首も同様に外部から閉ざして、自我の〈表出〉=人間的な自由をあくまで追求したものではないだろうか。

 私は生まれた時からパンツにシャツの世代である(『サザエさん』のカツオ君と同年輩?)。きものを日々着るようになって痛感したのは、洋服で何十年も過ごしてきた私のような人間(つまり典型的な現代日本人)と、生まれた時から着物にふんどしの人(=近代以前の日本人)では、“からだの感覚”が決定的に異なるのではないか、ということであった。

 「着物は腰で着て、洋服は肩で着る」とは(着付け教室などで)よく言われることである。腰で着るといっても――確かに腰骨で帯は留めるが――“腰の感覚”で身にまといなさい、腰で手足の動作を行いなさい、ということであろう。言うは易く行うは難し。西欧文化に慣れ親しみ、着付けのポイントが腰から肩へ移ってしまった(ということは、腰の感覚を失っている)私たちにとって、きものを理解するのはとても難しいことなのではないだろうか。

 そんな想いを抱いて暮らしていると、“な〜んちゃって着物人”である私にも「どうかな」と思える光景に多々出くわす。

 例えば、次のような新聞の寄稿である。筆者は人類学が専攻の関西学院大学教授(総合図書館長):

 「欧米のデザイナーがつくるファッションが裁断した布をつないだ着物に身体を合わせるのに対して、日本のファッションは人間の身体に布を合わせて、自然ではんなりしている。これはきものからの伝統と言えよう。京都の生んだ粋な伝統が、今の世界のファッションの先端で、クールなコンセプトになっているのだ」(奥野卓司『キモノは先端ファッション』 京都新聞2011年3月16日付)

 ? 私の実感で言えば、逆である。きものこそからだ(の感覚)を布に合わせて着るものであって、だから親から子、子から孫へと伝えられるし、見知らぬ他人の着たものでも自由に合わせて着こなせるのだ。おそらく筆者は着物=自然=エレガント(京言葉でいう「はんなり」)という先入観がまずあり、日本と欧米の服飾文化を対置させることによって、着物の価値を――相対的に――高めようと意図したのではないかと思われる。

 しかし、それでは贔屓(ひいき)の引き倒しというものだろう。和服と洋服では、志向する(していた)ものがまったく違うのであるから。私はきものを着て台所仕事もすれば、掃除、洗濯、さらにママチャリに乗って買い物にも行く。観念では、日常着としてのきものは着れないのである。

 では、“身体の専門家”と称する人たちはどうだろう。運動科学総合研究所を主宰する高岡英夫氏は、『宮本武蔵はなぜ、強かったのか』(講談社 2009年)という著書の中で、宮本武蔵の肖像画を真似て、自身の立ち姿を写真に撮り公開している。

 資料:私たちはなぜ間違えてしまうのか(PDF)

 ?? 絵と写真をよく見比べてほしい。私には、高岡氏のような身体を科学的に分析する能力はないが、それでも明らかな誤りを指摘することはできる。それは両者の足使い――根本的には、腰の使い方――の違いである。武蔵は右足を軸足として今まさに左足を上げようとしている(そのため、左の裾が少しめくれるように絵師は描いている)。一方、高岡氏は左に軸足を置き、右足を浮かせている。それなのに両者は同じように左手に持った剣を持ち上げようとしているのだ。

 なぜこのようなことが起きたのか。結論を言えば、“からだの感覚”の相違である。武蔵はいわゆるナンバのからだ遣い(一般的には「同側の手足を動かすこと」と定義されるが、整体的には筋交(すじか)い、つまり右腰と左肩、左腰と右肩が“筋の感覚”で結ばれている、ととらえる)をしているのに対して、高岡氏は明治以来の兵式体操=体育の授業で「背筋を伸ばせ、胸を張れ!」と教師から叱咤され続けてきた、西欧(人)的な肉体の操作で武蔵像を模してしまっているからである。まさに洋服を着た現代日本人の身体感覚で、古(いにしえ)を解釈しているのだ。

 ならば、伝統芸能を継承していると称する人たちはどうだろう。私の知人で、ある流派の事務局に勤めている人がいるが、以前、舞台稽古の写真が載ったパンフレットを見せてもらったことがある。Tシャツにジーパンであった。また、別の流派のある次期家元という人が、新聞にこんなことを書いていた(正確な引用ではありません)――みなさん(読者)はお茶の宗家の人間は真夏でも着物を着て過ごしているのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。暑い時は家では短パンにTシャツ姿ですよ、云々。

 ??? この人たちにとって、着物は単なる仕事着なのだろうか。思い返せば、私が整体の稽古を始めた頃、道場に行って着物と袴に着替える―稽古が終わってまた洋服に戻る、そのことに私は何の疑問も抱かなかった(まして私は、洋服を売っていたのだ!)。日常と稽古の場が、切れていたのである。おそらくお茶や生け花、習字に日舞などを習う人の多くが、そのような断絶を経験しているだろう。にもかかわらず、そのことに自覚的ではないようだ。

 私の誤解かもしれない(誤解であってほしいと願う)。いやしくも伝統文化を語り/演じる者は、せめて『サザエさん』の波平お父さんを本来の“あるべきよう”として他に範(はん)を示すべきではないか。つまり、やんごとなき事情で生業(なりわい)としては洋服を着ざるをえないにしても、日常着はきものを着るという・・・。

 

 TVアニメの『サザエさん』には、原作者の長谷川町子の持っていたような社会の批評精神――別の古葉で言えば、政治性(=ひろく私たちのありようを問い直す視点)が、ない。残念ながら、抜け落ちている。だからこそ東芝という大企業がスポンサーに付き、毎週かわらず身辺雑記を綴ることで茶の間を賑わしているのだろう。

 「お父さんはどうして、家ではいつも着物なの?」―「お前はなぜ、着物を着ないのだ」――カツオと波平の間に、そんな会話が交わされる日が来ることは、あるまい。なぜなら、二人は(悪い意味での)ファッションとして、それぞれ洋服と着物を身につけ(させられ)ているに過ぎないのだから。

 私は京都に移る前、山口で十年間洋服屋の社長をしていた。その当時、いつも疑問に思っていたのは、なぜ「衣食住」という表現――言葉とともに、文化のありようを示すもの――で、「衣」が一番先にくるのか、不思議でならなかった。食べなければ、死んでしまうではないか。その方が発音しやすいから、とも思えない・・・。おそらく中国由来の熟語なのだろうが(「衣食足りて礼節を知る」ともあるように)、私はそれ以上知らない。

 しかし、整体を学ぶなかで、衣服こそ人間を人間たらしめるものではないか――『旧約聖書』のアダムとイブのエピソード(いちじくの葉)を持ち出すまでもなく――と思うようになった。服を着るのは、人間だけである。そして、文化のありようとそこに生きる人間のアイデンティティーは、何を着るか、におおきく拠(よ)るのではないだろうか、と。

 『サザエさん』は、他人事ではない。私も小学生の息子から、「お父さん、着物を着て学校に来ないでね」と念を押されている。子どもをしてこのように言わせるのは、いったい何なのだろう。

 私にとって、きものを着るのはかなしい。文化を喪失したかなしみ、デラシネ(根無し草)であるかなしみ・・・。何よりも、かなしみが共有されないかなしみである。


附:お金のない男がきものを着るには

 要するに、私の体験談である。以下、〈日常着として着物を着るには〉をコンセプトに書くと――

[1]着物を手に入れる

その一)もらう
 私が持っている長着(ながぎ=一般に言う着物のこと)は十数着だが、半分以上は義父からのもらいものである。親戚や知人の箪笥(たんす)の底に、着物や反物がねむってないだろうか。
 
その二)買う
 身近で手に入らなければ、新品か古着かにせよ買うしかない(自分で縫えればそれにこしたことはないが・・・)。価格やメンテナンスの点で、絹の着物は日常着には不向きである。そこで木綿の古着を天神さんのような市やヤフーオークションで探すことになるのだが、かつては日本中で着られていた木綿の着物が、全くといっていいほど手に入らない。身のまわりにあふれていた物ほど、消滅するのは早いということか?

 反物から購入して着物を誂(あつら)えると、木綿でも数万円から十万円近くかかる。お金のない男には普段着にそこまでかけられないので、レディーメイドの安い木綿着物を物色すると―― 

・〈男のきもの あめんぼう〉 木綿や麻の着物に帯、下着など、店主の熱意が伝わる総合サイト。まずは迷わず、ここへ。木綿着物(既製服)が、12600円から。
・〈クレイン〉 整体の稽古用の袴(野袴)を、ここで購入。各種の袴に強い。「特価品」や「アウトレット・リサイクル」のコーナーも要チェック。。
・〈美夜古企画〉 ここも1万数千円で木綿着物(既製服)が手に入る。女性用の着物も。私は「作務衣スーツ」を誂えてもらった。
・〈文楽足袋〉 黒底の「紳士スクール足袋」が、一足1440円。送料無料。
・〈神宮会館〉 ここの売店で、禊ぎ用のふんどし(越中)を一枚400円で販売。FAXで頼めば、郵送してもらえる。

・その他、帯や襦袢(じゅばん=下着、木綿製)・裾除け(=腰巻きのこと)、羽織紐などは、webサイトの通販やヤフオクで購入。

[2]着物を着る・・・きものの四季

その一)基本
 春・秋・冬を通して(つまり、夏と真夏を除いて)、長着は木綿の単(ひとえ)、下着は上)半襦袢/下)ふんどし+裾除けが基本スタイルである。寒ければ、半襦袢の下に黒のTシャツを着る。また、襦袢は腰紐で締めず、裾除けの紐でしばることにしている。

 長着は一着ではさびしいので、三着を用意してその日の気分に応じて着ている(夏と真夏用にも、それぞれ三着ずつ持っている)。

 外出する際は、羽織を着て(夏場を除く)、袴をはく。どちらも古着で購入(3000円前後)したりもらいものの絹製品である(木綿の羽織と袴は新品しか手に入らないいので、数万円と値が張る)。

 履き物は、普段は朴(ほお)の下駄(2000円弱、桐は高いうえにすぐすり減る)、外出時は雪駄(畳表の古式は高いので、6000円くらいのビニール畳)をはいている。

その二)夏用
 五月に入ると、からだの感覚では夏である。木綿の着物では暑苦しいので、麻素材のちぢみ(近江ちぢみや小千谷ちぢみなど)や木綿でもしじら織り(阿波しじらなど)が、着やすくて良い。どちらも既製服が〈あめんぼう〉で1万数千円で購入できる。下着は、上)半襦袢/下)ふんどし+裾除け→ふんどし+麻の長襦袢に替える。ただし新品の麻の襦袢は高いので(一着1万数千円!)、ヤフーオークションで3000円くらいの古着を購入している。

 ちなみに、昔の人が着てたものは襦袢にしろ長着にしろ身長175cmの私には小さすぎるが、襦袢は下着なので隠せるし、長着は袴をはけば裾が短い(←小坊主に見えてしまう)のをカバーできる。袖が短いのは、ご愛敬ということで。

 夏が過ぎて秋分を迎えるまでの時季(初秋)も、このスタイルである。

その三)真夏
 梅雨明けから九月上旬まで、日本は今や五季節めの盛夏になった。この一月半から二ヶ月の間、家では木綿の浴衣にふんどし一丁で過ごすことになる。浴衣は消耗品と考えて、毎日洗濯する。外出する際は、浴衣ではなく夏用の長着に麻の長襦袢を着用。

 浴衣はヤフーオークションで新品が3000円-6000円くらいで購入できる。

その四)冬
 一)の基本スタイルに重ね着をする。つまり、上)Tシャツ+長袖Tシャツ+半襦袢/下)ふんどし+ももひき+裾除けという組み合わせに、長着を着る。これで防寒対策は十分である。

 冬場でも室内は暖房がきいているので、長着は袷(あわせ=裏地をはった着物)では汗をかいてしまい、単の方が良い。

 外出する際は、羽織を着てレッグウオーマー(袴をはいてもはかなくても)&アームウオーマーをつけ、ストールを肩からかける。

その五)着物のメンテナンス
 木綿と麻の着物は2−3ヶ月に一度、洗濯機で水洗いしてホームセンターで買ってきた180cmくらいの細い丸棒に吊して陰干しする。保管は、洋服と同じで、神経質にならなくて良い。

 絹は水に弱く、家で洗濯すると繊維が縮まったり弱くなってしまう。専門のクリーニング店に出すと1着数千円もするので、私が出した結論は「基本的に何もしない」(絹の着物や袴は、1年に数回しか着用しないので、そのつど洗濯しなくて大丈夫。病的な清潔志向から、脱却)。

 ただし、目立つ染みや汚れがついた時は、帰ってからベンジンなどで拭いておく。また、1年に一度は、梅雨明けの夏日に虫干し(風通しの良い室内で着物ハンガーに1日吊しておく)をし、普段は樟脳(しょうのう)を入れた桐箱にしまっておく。

その他
・私感であるが、着物にはどうも帽子やコートはなじまないようだ(江戸時代まで、どちらもなかった?)。
・着物を着始めたころは、袴をはかない“着流し”で外出していたが、このごろは何となく落ち着かない気がして、基本的に袴をはいている。
・着物(袴をはかない着流し)で自転車に乗ると、裾がはだける。すね毛をみせてもしょうがないので、前掛けをかければ商人(あきんど)らしくてよろしい。
・私が普段着ている木綿着物は、ミシン縫製だし、多分――着物など着たことのない人が縫った――外国製である。まして原材料は、国産ではない。私はそれで良いと思っている。大切なのは、からだの感覚なのだから。


堂守随想・INDEX

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