[高柳無々々.com]


  
  2018/06/24 [日]   転機


 今年最初の稽古会で、〈一年の抱負を漢字一字で墨書する〉稽古を恒例で行ったが、私は「転機」の意味をこめて「転」と書いた。

 何やら、それが実現しそうである。転機は、思わぬ時に訪れる。語呂合わせではないが、転居が現実味をおびてきた。


  2018/06/23 [土]   稽古会


 参加者四名。菓子工房 Savoureuxのケーキとクッキーでお茶をしてから、〈七夕の願い・祈りを墨書する〉稽古。

 Tさんは「ひらく」、Nさんは「いきる」、Hさんは「つよく」、千晶は「みたす」。書き終えて発表&感想を述べ合ったあと、一人ずつ作品を持って立ち、発音しながら即興でからだの動きにのる。

 和室の向かいの本堂では法要が行われていて、住職さんの読経や鉦の音とともに、しずかな時間が過ぎた。

 *

  Nさんの書いた「生きる」という文字について、後でつらつら思い出しては考えてみた。

 「い」のひらがなが、節分の時に子どもたちがかぶるボール紙の鬼の面のように、二つの“つの”がとびだして見え、その下に「き」「る」と書かれてあったのだ。

 「生きる」は、「息る」(「息」+動詞の語尾「る」)と語源を同じくするようだが、私はNさんの書から、「い」(スターティングポイントの明示、例えば「一」であり、いろは歌が「い」で始まっている)+「切る」ではないか、と思えてきた。

 そういえば、人間は、食べるということに関しても、植物であれ動物であれ、生命の連鎖を切って食しているし、そもそも「私」という存在が、あるつながりを切ることによって意識されるものではないだろうか。

 Nさんはそこまで自覚して書いたわけではないだろうが、中学校以来ひさびさの“習字”で、本人の意図をこえるような“何か”が現れた――ように私には見えた――のは、面白かった。


  2018/06/22 [金]   稲葉敏郎(いなば・としろう)『命を呼びさますもの―ひとのこころとからだ』(アノニマ・スタジオ)


 この本ほど、共感・共鳴・共振した本は、最近ない。

 「私たちの社会は、表面にある違いを強調させて互いを分離させていくことよりも、深層にある共通性を発見して、互いの関係性を結ぶことこそが求められている。

 誰もが体を持っている。誰もが心を持っている。誰もが命を持っている。すべての人は個別に違うものだが、人種や宗教や思想や文化の違いを超えて、体や心や命には共通の原理が働いている。だからこそ、人々は芸術を必要としたし、医療を必要とした。そうした共通原理の場に立って対話を続けていくことこそが、今強く求められている。人々は、生命は、ある共通の土台に立っているのだから。

 私たちは、そうした命の原点に戻る必要がある」(同上書 pp.273-274)

 「人は、生きることがすでに表現だ。絵や写真や音楽などの形式に落とし込むだけが表現なのではない。生きること、人生は、すでに『いのち』の軌跡としての表現なのだ」(pp.262-263)

 著者は、東京大学付属病院の医師(循環器内科)、1979年生まれ。


  2018/06/21 [木]   母との闘い


 大阪で地震があった。このような時、以前なら――一年前だったら――テレビのニュースや新聞で知った母が、

 「お母さんだけど、大丈夫かい」

 と電話をかけてきたものだが、何もない(今日にも私の方から電話してみようと思っている)。この頃、母に電話しても、すぐ切ってしまう。話がながく続かないのだ。弟に聞くと、ベッドで寝ていることが多いらしい。認知症というほどでもないが、明らかに認知能力が低下している。

 枯れ木が折れるように、九十一歳の母の最期がちかづいてるのが、かなしい。

 *

 母を想う。私の人生の半分は、母との闘いだった。「愛情」という名で押しつけくる過剰なものが、自分にとって呪縛だったのだ。

 小学校出の母(父もだった)が、何か特別な“教育理論”で私を育てようとしたわけではない。あえていえば、戦前の修身の教科書で説かれたような、世間に合わせて生きる、民草の在り方だった。一言でいって、(母の考える)男らしさである。

 今でも思い出すが、小学校五年か六年の時、遠足でつかうナップザックを一人で買いに行った。青と赤があった。私は、赤い方を選んで帰った。案の定、母が怒って、青いザックと交換するように、もう一度店まで行かされた。一事が万事、こんな調子だった。

 それは男女関係でいえば、日本的なあまりに日本的な、男が上・女が下という、因襲的でステレオタイプな関係性だった。専業主婦の母は、「お父さん」と立てているようで、その実、裏で家の実権を握っているような(日本でありがちな)妻であり母親だった。

 私の目には、父と母は、おたがいもたれかかっているように見えた。私は一人の人間として自立し、女性とも対等な関係をつくりたかった。そんな私にとって、母は乗り越えがたい壁だった。本来なら父が担うべき権威としての役割を、母が一人二役でこなしていたことも、物事を複雑にしてしまった原因だと言える。

 父(五年前に、八十八で亡くなった)は、あの世代に特有の、戦争で“背骨をへし折られてしまった”一人だった。母から聞いたところでは、予科練で終戦を迎え、特攻にゆく寸前だったそうだ。疑うことを知らぬ、軍国少年だった。

 戦後は、アメリカ軍横須賀基地で工員として働き、家族を養った父。私は、父とまともに話し合った経験がない。日常の何気ない会話でも、私の学校の話題でも、常に母が相手だった。外では影のうすい父だったが、家の中では、「おい、お茶」と母に対してえばっている(半面、甘えている)内弁慶な日本の男だった。

 母はまた母で、二十歳で実母を亡くし、兄弟仲が――宗教上の理由から――悪かったために、家族というかこども達に期待した、自分の人生をかけてしまった人だった。

 権威としての父、愛情で抱きかかえてくれる母――というのが子どもにとっての理想的な親子関係ではないだろうか。私は混乱した。父母のありようを否定しても、身近にロールモデルとなるような人間(体現した人)が存在しなかった。

 少年から大人の男になる段で、わたしはつまづいた。十代の後半、誰とも話さない緘黙症(かんもくしょう)に陥って、どす暗い数年を過ごした(今なら、“不登校から精神科へ”というような青春を送っていたかもしれない)。

 大学を卒業し、教師として働くようになってからも、女性とどう具体的に関係をもったらいいか分からずに悩んでいた。二十代後半の時、五歳年下の弟が結婚した。弟に先に出し抜かれた、一人前の男になれないコンプレックスで歪んだ私の顔が、結婚式の記念写真に映っている。

 そして、三十三歳で初めての恋愛、破綻、その後、“からだとの対話”をテーマにしたワークショップに参加して、瞑想ワークの一環で整体の活元を初めて体験した時、私は自我がバラケてしまった。

 「からだに気づくことは、地獄の底に通じる釜の蓋を開けるようなものだ」と演出家の竹内敏晴は書いているが、私がまさにそうだった。思いもよらぬ荒々しい力(生命力)にほんろうされて、自己抑圧の頭の重石が吹き飛んでしまったのだ。

 一種の臨死体験・超越体験のなかで、私は生まれ変わった――固い殻に閉じこもっていた蛹が、殻を破って羽ばたくように。母の呪縛は、それ以上に――私の中で内面化されて――自己呪縛だったのだ!私は自分の人生を受け容れ、両親(の人生)を受け容れた。涙が、とめどもなく流れた。

 傍(はた)から見れば、私は「気が違った」「社会のレールから外れてしまった」と映っただろう(実際、何人かからそう言われた)。でも人生観が百八十度変わってしまった私には、もう外面(そとづら)はどうでもよかった。私は勤めを辞め、旅に出た。これからは、自分(の人生)を生きよう。自由へ・・・。

 そうはいっても、その後が順風満帆、バラ色の人生だったわけでは決してない。人並みに酸いも甘いも体験した。ただ、日本の男にありがちな“マッチョ男”(分かりやすい例が、あのボンクラ財務大臣・麻生太郎だろう。権力と金力にふんぞりかえって、他者とくに女性を見下しながら、女からちやほやされたくてしょうがない“勘違い男”。彼は、何人も妾を囲っているという)だけにはなるまいと、自覚して生きてきた。

 もちろん、私のマッチョ性が、100%なくなったなどとは思っていない。聖人君子でも何でもない凡夫として、善とおなじく悪も、美とおなじく醜も、私はかかえ持っているのだから。

 身近な女性(母や妻、姉妹、あるいは職場の異性)とどういう関係を保っているか――それが日本の男の人間度・成熟度を測るバロメーターではないか、と私は思っている。一度も買春行為をしたことがない(オスとしてその欲求はあった)ことは、ひそかに誇りにしている。

 *

 今日が夏至のためかどうか、夜中の二時半に目が覚めて、なぜか母のことを想い、眠れなくなってしまった。四時半に布団から起き出して書いた、暁の日誌である。


  2018/06/20 [水]   中国の新たな潮流


 朝日新聞・朝刊の〈オピニオン&フォーラム〉欄で、「中国 儒学思想を政治に」と題する、康暁光(カン・シアオコワン)中国人民大学教授のインタビューが掲載されていた。

 ――今の中国の指導者も演説で儒学の古典をよく引用しています。

 「中国はもとは閉鎖的な計画経済でしたが、今はグローバル化した開放的な市場経済と共にある。こうなるとマルクス主義に頼るわけにはいきません。資本家をよみがえらせ、労働者を抑えつけているからです。つまりイデオロギーを喪失した。そこで依拠するようになったのがナショナリズムと儒学です。しかしそれは権力にとって手段にすぎない。私から見れば逆です。儒学思想は至高無上のもの。権力が手段です。儒家憲政は権力をコントロールするものです」

 「現代の中国は市場経済です。これはケ小平の貢献です。もはやスターリンや毛沢東の計画経済に後戻りすることは不可能でしょう。これが大前提。市場経済に最も適合するのは、憲法に基づく政治、憲政です。中国の文化の主流は儒学思想だから、『儒家憲政』が必要だと思うのです」

 ――憲政と言われましたが、そもそも今の中国に憲政はあるのでしょうか。憲法で、権力の行き過ぎを抑えるのが本来の憲政です。

 「私自身も憲政をそう理解しています。中国の現体制を憲政とは呼べません。権力が憲法より上位にあるからです。では憲政をどう実現するか。憲政は中国の歴史、文化としっかり結びつく必要がある。そうあってこそ生命力を持つ。中国の文化の主流は儒学思想だから、儒学と融合した憲政こそ、調和する制度です」

 ――「儒学憲政」は、具体的な制度を伴うのですか。

 「『儒学法院』という司法機関が必要になります。これが私の理論の核心です。中国の歴史と文化について深い知識がある儒学者らによって構成され、憲法と儒学の古典をふまえながら審査する。これは主に過去の人々を代表し、現在の行動を審判するものです」

 ――儒学法院と、ふつうの裁判所の関係はどうなるのでしょう。

 「立法、行政、司法の上位にあって監視する立場です。他国にある憲法裁判所に似たものと考えればいいと思います」

 *

 あの多様な民族・文化と、巨大な人口を律するためには――国家として――共産党の一党独裁が必要悪なのか、でも漢字文化・書の国が合理主義故に“簡体字”で伝統を破壊しているのは許せない・・・そんなもやもやした気持ちを抱いていた私にとって、康教授の思想(考え)は、まさに目が開かれるものだった。

 日本も同じなのだ。根無し草になって不安な人々が、ナショナリズム(アベシンゾーに象徴される大日本帝国への復古主義)に流れ、もう一つの潮流として、天皇主義(天皇制こそ日本文化の根拠、アイデンティティーであるとする)賛美が生まれている。

 負を捨象した過去の歴史であれ、身分差別そのものである天皇であれ、もうそのような“自分の外にあるもの”にもたれかかるのは止めよう。このわたしのからだの中に燃えている、いのちこそ(あえて言えば、一人一人の魂、霊性に)自らの存在理由、生きていく根拠を与えようではないか。――というのが、私の主張(考え)である。


  2018/06/19 [火]   講習会


 参加者一名。予定を一時間半オーバーして二時まで。

 地震への無意識のおびえか、からだが疲れている。


  2018/06/18 [月]   地震


 朝、トイレに入っていた時に、激しい揺れ。京都へ越してきて十八年、初めて経験する大きな地震だった。

 まず思ったのは、福井の原発は・・・。自然(地球)の大きな力の前では、防災など砂上の楼閣だと痛感。土地の私有が、人間の幻想に過ぎないように。

 次に、パジャマ姿でまずいな、と。人は――男は特に?――どこまでも体裁をとりつくろう存在か。

 不意打ちのように揺れにさらされ、自分は鯰(なまず)のような予知能力はなかったと知る。ただ、もう揺れは来ないだろうと予想したら、その通りだった。

 特に被害はなし(楽天堂も近辺も)。


  2018/06/17 [日]   探鳥会@米原・醒ヶ井(さめがい)


 京都野鳥の会主催の探鳥会に初めて参加。

 伊吹山の麓の醒ヶ井峡谷を歩く(駅から養鱒場まで)。確認できたのは三十種だったが、個人的には、おおるり・くろつぐみ・さんしょうくいの鳴き声を聴きとれたのが収穫だった(残念ながら、姿はしかとは見えず)。帰りに、中山道・醒ヶ井宿を散策し、梅花藻(ばいかも)の白い花を見た。

 参加者は、二十名強。平均年齢七十歳?! 二十代の中国からの留学生をのぞけば、私が下から二番目。聞くところによると、野鳥の会はどこも、高齢化の波にあらわれているそうな。

 *

 野鳥といえば、ご町内の仕出し屋さんの大将を思い出す。

 恰幅のいい人で、京都へ移ってきたばかりの私をなぜか可愛がってくれた。

 子供のころ、市電に無賃乗車した話や、昔のこのあたりの様子(出水―でみず―と呼ばれるくらい水が多かった)、以前は夏の地蔵盆の時に下立売通りを通行止めにして盆踊りをおどった話など、面白おかしく話してくれた。

 趣味人で、金剛流の謡いを習っていて、私を何度も能楽堂の観能会に連れていってくれた。能を初めて観れたのも、大将のおかげである。

 もう一つの趣味が、バードウオッチングだった。お店が休みの火曜日、朝早くから車で○○へ出かけて(地名は忘れてしまった)、△△の鳥(こちらも名前を忘れてしまった)の鳴き声に耳を澄ます。

 「高島さん、そりゃあ、かわいいもんでっせ」

 大将の声が、今でも耳底に残っている。

 夏の地蔵盆では、当番の役員でもないのに、かき氷機を持ち出して、こども達にかき氷をふるまっていた。およそ、しみったれたところのない快男子だった。

 数年前、大将このところ姿を見ないな、と思っていたら、前から患っていた糖尿病に認知症を併発し、高齢者施設に入所したということだった。

 この町内も、さびしくなった。十数年の、時の流れをかんじる。


  2018/06/16 [土]   美しい精神、美しい自然?


 街路樹の梔子(くちなし)の花が咲き始め、香りがただよってきた。

 千本丸太町の交差点に、安倍晋三`s の一人、自民党の参議院議員・西田昌司のポスターがはってあった。

 「伝えよう、美しい日本の精神(こころ)、美しい日本の自然(こくど)」

 国会中継での彼の口汚い罵りと、醜い人相、バカ丸出しの挙動を見ている者にとっては、この国家主義者が、精神をわざわざ「こころ」といい自然を「こくど」という、“美しい”日本語を駆使していることには、何ら驚きを感じない。

 *

 バス通りの植え込みに、生姜が生えているのを見て、面白おかしくなる。


  2018/06/15 [金]   頭部への打撲は、要注意


 午後から、頭(左側頭部から後頭部、頭頂、そして目の回りにかけて)が痛くて仕事にならず、一階の居間の座布団の上で横になる。

 雨で低気圧のためかと思ったが、思いあたる節は、二週間前に隣家に回覧板を届けに行って、半開きのシャッターで左の耳の上
を打ったこと。

 大きな音がして、その時は痛みがはしったが、後にひかなかったので、特に何もせず、翌日からいつものように朝風呂に入っていた。

 ところが、三日後ぐらいから頭が痛み出した。内観をすると、頭に――感覚としての――大きな三角形ができている!(内観技法では、肉体的・精神的な打撲は、からだに三角形をつくる、と捉えている)。

 愉気(手当て)を続け、風呂も止めてシャワーだけにし(髪は洗わず)、ようやく十日ほどして痛みがやわらぎ、内観しても“陥没”が消えていた。

 「古傷の痛み」とはよく言うが、雨で、打撲の後遺症がうずいたのだろうか。


  2018/06/14 [木]   俳優・勝新太郎(かつ・しんたろう)の言葉


 昨夜、BS朝日で放送された「昭和偉人伝 勝新太郎&三船敏郎」を録画で観た。

 勝新太郎が設立した「勝アカデミー」の第一期生、俳優のルー大柴が勝から聞いたという言葉。

 「影のない役者は、光のない役者だ。俺はいつも影をつくって始める、仕事の時は」

 影=〈裏〉が主、光=〈表〉が従。からだの感覚にとって、光が影をつくるのではなく、影が光をつくるのだ。勝の言葉の「役者」を「人間」と置きかえてもよいだろう。


  2018/06/13 [水]   糠漬けの極意


 一昨日、糠漬けを始めたいというお客さんが、糠を買われた。

 どうしたらいいんですか、塩の分量は? 等々聞かれたので、う〜ん、塩は塩梅(あんばい)の適当、一緒に入れるのは、こんぶやするめ、唐辛子、それに野菜くず(野菜の切れ端)が一般的ですね、と答えた後、

 僕はホーロー容器で何十年とやってますが、自分の糠だけでなく、僕のお袋と千晶のお母さんのそれぞれうん十年の糠をブレンドし、さらに店で残った(賞味期限が切れたり、売れ残った)スパイス(例えば、シナモンとか)やドライフルーツ(例えば、プルーンとか)を、何十種類もてんこもりで入れてますよ、 

 と自慢しておいた。

 極意ですか? しばらく考え込んで、生き物として扱うことかな。よく豆を一晩水戻しするのが面倒だというお客さんがいますけど、ペットを飼っていたら、一日餌をあげないなんてことはないでしょう。

 豆は乾物扱いですけど、生きてるんです。畑にまけば、芽が出てくる。糠漬けも、同じように生きてます。だから、冬は寒さであまり動けないので、数日、ほっておいても大丈夫。まあ、夏は一日に一回は、かき混ぜて息をさせてやったほうがいいでしょうね。

 これから、夏野菜の胡瓜や茄子がおいしい季節ですよ。

 と、講釈をたれて、僕の糠を茶碗いっぱいと、ちょうど漬けていた蕪と胡瓜をわけてあげたら、喜ばれた。


  2018/06/12 [火]   応答なき社会


 朝、歯医者に行く。

 三週間ほど前、右奥歯の銀がとれてしまった。このままやり過ごそうかなと思っていたが、やはり噛み合わせがよくないので、近くのやさしい女医さん・米沢歯科へ。

 午前は受付順なので九時前に順番をとりに出向くと、玄関のシャッター前に先客が三人。年配の男性二名に女性が一名。

 「おはようございます」と私が三人に挨拶をすると、おじさんが一人だけ軽く会釈しただけで、女性はスマホをいじったまま、後の一人もあらぬ方をみたままで何の返答もない。

 「対話のない社会、日本」とは言われてきたが、今は、対話以前の「応答なき社会、日本」ではないか。

 何もこれは私一人の印象ではなく、飲食業にたずさわる人達から、ここ何年かの客の傾向として聞いている話だし、何より、テレビの国会答弁を観れば、アベシンゾウ`sの態度そのものではないか――他者への質問に真面目に答えず、えんえんとモノローグを繰り返す、礼節も誠意も欠いた不遜さ。

 山歩きでも、つとに感じる。都会の引き籠もりをそのまま運んできたような、挨拶なきすれ違いを。 

 先日の新幹線での殺傷事件でも、容疑者は殺された男性を無言で刺し続けたという。彼も、「応答なき社会」=共感を喪失した人間関係の被害者であり、加害者なのだろう。

 この(自我の)殻に閉じこもった人達は、何を幸せに生きているのだろう・・・。人は関係性の中でしか、人生を味わえないのに、他者への不安や恐怖のなせるわざか、それとも自我が確立してないゆえに関係をもつことに尻込みしてしまうのか・・・。

 *

 路地には、鉢植えの合歓木(ねむのき)の花が咲いていた。吊りしのぶが軒先にかかり、夏も間近だ。


  2018/06/11 [月]   武満徹(たけみつ・とおる)『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社)


 朝日新聞の朝刊コラム〈折々のことば〉by鷲田清一(わしだ・きよかず)で紹介されていた一節の前後が知りたくて、図書館で借りてきてあたってみた。

 「人間の発音行為が全身によってなされずに、観念の嘴(くちばし)によってひょいとなされるようになってからは、音楽も詩も、みなつまらぬものになっちゃった。音楽も詩も、そんなに仰山ありがたいものではない。くしゃみとあくび、しゃっくりと嗤(わら)うことといったいどこがちがうのだろう? もし異なるとしたら、それはいくらかでも精神に関係するということだけだろう。

 自然科学の発達につれて、われわれの語彙は際限なく膨らんでいるけれども、言葉は真の生命のサインとしてではなく、単に他を区別するだけの機能になりさがった。もはやそれ自身には、恐怖も歓喜の響きもない。言葉は木偶のように枯れて、こわばった観念の記号と化している。文を書くということは、やわな論理と貧しい想像によって言葉を連絡することだけのようである。(中略)

 音と言葉を一人の人間が自分のものにする最初の時のことを想像してみたらいい。芸術が生命と密接に繋がるものであるならば、ふと口をついて出る言葉にならないような言葉、ため息、さけびなどを詩とよび、音楽とよんでもさしつかえないだろう。そうした行為は、生の挙動そのものなのだから・・・。それは論理の糸にあや織られるまがいものではなく、深く〈世界〉につらなるものであり、未分化のふるさとの豊かな歌なのだ。

 音や言葉に、そうした初源的な力を回復しなければいけない。音楽も詩もそこからしか出発しないように思う。発音するという行為の本来の意味を確かめることからはじまる」(同書 pp.69-70)

 *

 今から半世紀前、1971年に出版された本で作曲家・武満が語っていることは、私が〈からだとことばを育む会〉を始めた動機そのものだ。そして、情況はさらに悪化し、言葉が“電子化”されている。

 そうだ、言葉が身体性をまったく喪い、単なる記号として、脳内パソコンの中で「隠匿」され、「改竄」され、「廃棄」されているのだ。

 Where is a music? Where is a poem? 

 はらで母音を発声する――稽古会で行っている地道な稽古から、生まれてくるものに賭けたい。そこまで戻らなければ、降りてゆかなければ、言葉に魂をとりもどすことはできないだろう。

 「声は、その人の魂の音色である」by歌手・三波春夫(みなみ・はるお)


  2018/06/10 [日]   山崎正和(やまざき・まさかず)『リズムの哲学ノート』(中央公論社)


 次の〈からだノート〉「ことば遊び」のための読書。

 テーマは、声の高音と低音、そこに“リズム”がどうかかわるのか。そして、歴史的な転換(中世において、神から人へ)との関係。

 探求課題は、つきない。

 *

 一晩寝る、というのは、よい校正作業だ。

 昨日の手紙は、出すのを止めて待つことにする。


  2018/06/09 [土]   稽古の眼目(がんもく)は、他者への敬意を育むことにもあるのでは


 稽古会は、“来る者は拒まず去る者は追わず”のポリシーでやってきた。今まで、何十人もの人が稽古会に加わっては離れていったが、今日、稽古を休んだ○○さんに、初めて次のような“退会のすすめ”の手紙を書いた。明日、送ろうと思う。

 *

 ○○さん、

 今朝、千晶から、「今日が稽古日なのを忘れていて、行けません」というメッセージが、昨夜、あったことを知らされました。この理由を聞くのは、初めてではありません。正直、落胆しました。

 言うまでもなく、稽古は義務でも何でもありません。「学びたい」「続けたい」という自由意志が唯一の根拠です。

 ですから私は、休む人も辞める人にも、何も言ってきませんでした。他に優先する課題(仕事であれ、家庭であれ、趣味・道楽であれ)があれば、そちらを優先すればよいのです。ただ、主宰者の気持ちとしては、できれば、継続して稽古を受けてほしい。そして、「ここで学ぶものはもう何もない」と感じたら、別の道を歩んでもらえれば、と思っています。中途半端に辞めるとか、ランダムに来たり来なかったりを繰り返してほしくない。

 内観技法というのは、自己のからだの感覚に集注するものです。ある意味では“ジコチュー”そのものです。でも、そこから他者(のからだ)との感応・共感・感動が――逆説的に――生まれる。そのような体験を通して、“いのちの水平性”を知るのです。

 私たちの肉体も頭脳も、絶対不平等です。私にメジャーリーグの大谷選手のようになれと言われても100%不可能ですし、今からノーベル賞を受賞するというのもありえません。ですが「いのちは絶対平等である」――稽古の究極の目的は、それを頭ではなく身体知として知ることにある、と私は確信しています。

 何らかの資格を得る(段や級、免状といった)ためでもなければ、お金や現世利益のためでもない。ただ、生きるために、学ぶ。仲間と学び合う。今期から会費を無くしたのも、その一環です。金銭(カネ)という拘束をなくしたい。そんなものに縛られずに、本当に学びたい人と稽古をしたい。それが私の望むところです。

 ○○さん、ここ三年というもの、稽古には遅刻が常習でしたね。人それぞれ事情がおありと思います。(中略)でも、他の稽古仲間が会場の清掃を行い、場を整えて待っているのです。いつまでもそれで良いのでしょうか。他者におんぶで良いのでしょうか。 

 私は、稽古を通した人間的な成長とは、自己の感覚やものの見方、人生観が豊かになるだけでなく、他者への敬意がおのずと生じてくることにあると思います。敬意は、身近な人間への慮(おもんばか)り、気配りに通じます。

 稽古が絶対などとは私は思っていません。先にも書いたように、他に優先事項があれば、どうぞそちらに時間を振り向けて下さい。人生は短い。今のような状態が続くのは、決して望ましいことではありません。いったん退会されてみてはいかがでしょう。

 *

 ホームページの手直しを行う。

(一)〈表現教室〉を稽古会に、〈整体 1 day レッスン〉を講習会に名称を改める。
(二)「はじめに」の前口上を書き直す。
(三)稽古会の登録制を止め、稽古への参加・不参加はあくまで各自の自発性にゆだねる。


  2018/06/08 [金]   乞食も自営業者である


 去年の正月、娘が留学していたイギリスとイタリアへ、初めて旅行に行った。

 どちらの国にも、物乞いがいた。帰ってから、今、日本にはナゼ、乞食が存在しないのだろう、と考え込んだ。私の子ども時代には、繁華街に物乞いがいたように記憶している。

 日本は、乞食が許されない社会になってしまったのだろうか。

 豊かだから? そんなことはあるまい。現にホームレスは存在するし、子どもの貧困率も深刻である。

 先月イタリアへ行って、千晶はいろいろな乞食に話しかけたそうである。フレンドリーに、一緒にカメラにおさまったおばあさんもいれば、写真をとるなと怒ったムスリムもいたそうな。

 乞食も一人一人ちがう、(あたりまえだが)個性があるという結論だった。ということは、それぞれ工夫して――自前の才や勘で――お金を稼いでいる自営業者なのだ。

 イタリアは、先進国で最も自営業の割合が高い。さもありなん。この風通しの良さは。


  2018/06/07 [木]   店主の差


 今日は、梅雨の晴れ間のためか、客足が多く、珍しく二桁(十二万円)の売り上げがあった。

 先週、千晶がイタリア旅行に行っている間は、私が店主代行で売り上げ目標は一日二万円。それさえもクリアーできなかった日があった。小さな自営業は、店主の魅力が第一、それでもっているのだと、つくづく思う。


  2018/06/06 [水]   ひろば 本を読む会@吉田寮 主催:自由と平和のための京大有志の会


 テキスト:倉橋耕平(くらはし・こうへい)『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社) 参加者・二十名弱。

 自己紹介の時に、二十代の若者が、小林よしのりの漫画や『正論』『諸君!』を愛読し、『朝まで生テレビ』を熱く視聴していた過去を“告白”したのが出色だった。

 彼曰く、「プロレス感覚だった」と。そして、“憑き物”が落ちたのは、特に何か契機があったわけではない。しいてあげれば、宮台真司が天皇主義を唱え始めた頃かな、と語っていたのが興味深かった。

 「プロレス」とは、言い得て妙。肉体の商品化による、劇場型ゲーム。“ネトウヨ”には身体性がない――観念の肥大化したオバケ、他者(特に被害者)と人間的な交わりを欠く――という私の仮説に、裏づけを与えてくれる?


  2018/06/05 [火]   整体 1 day レッスン


 参加者一名。

 先月、カラスマ大学で十一名に〈1 day レッスン〉を行った後――予期していたこととはいえ――〈表現教室〉への参加希望がなく、残念ながらつながらなかった(現時点では)。

 それだけに、今日、ホームページを読んで参加してくれた人があったのは、うれしかった。

 *

 私のパッションの原動力となっているもの、それは

 「整体の伝道師たれ」という先生の言葉と、

 「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、念仏札を配るべし」という、一遍上人(いっぺんしょうにん)への熊野権現(くまのごんげん)の夢のお告げである。

 *

 朝日新聞の夕刊を見ていたら、京都の“わらじ医者”早川一光(はやかわ・かずてる)さんの訃報が、社会面の隅に載っていた。

 「いのちにふれる手」を語ってくれたことに、感謝。


  2018/06/04 [月]   武満徹(たけみつ・とおる)『ノヴェンバー・ステップス』


 初めて聴く武満のCD.

 でも私には、よいと感じられなかった。武満は、あえて和楽器(尺八&琵琶)を“ノイズ”として入れることで、西洋音楽を攪拌(かくはん)したかったのか? そして、それゆえ、海外で評価されたのだろうか。

 図書館で何冊か借りた武満の著作を斜め読みすると、私と問題意識(日本人の主体性の欠如、主客の調和の追求)は、共通しているように思える。


  2018/06/03 [日]   若い人に贈る言葉 


 今、尋ねられたら、こう答えるだろう。

 一、虚業に生きるな、実業に生きよ。

   いのちを活性化させる仕事に就(つ)き、魂を腐らせる職業は止めよ。嗅(か)いで見分けよ。

 二、手を否定して、後に手を肯定せよ。

   この便利な“さわる手”を打ち消し、打ち消して、後にからだから生まれる“ふれる手”にまかせよ。

 *

 5/20に京都カラスマ大学で行ったレッスン〈自分でできる「整体のススメ」〜初夏の禅寺ではじめる、健康セルフメンテナンス〜〉のレポートが、upされた。


  2018/06/02 [土]   蒲(がま)の穂 


 昨年の夏、乾窓院でいただいた蒲、二苗。

 鉢に植えてめだかの睡蓮鉢の横に置いておいたら、今年はそのうちの一本から花が咲いた。

 枯れた茶色の穂は見たことがあるが、パステル調の葱色の穂は、美しい。


  2018/06/01 [金]   「僕はこの手で何をなすのか」


 朝日新聞・朝刊の投書欄〈声〉より:

 「94歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーの演奏をネットで見た。彼の優しい演奏には、見る者を引きつける何かがある。印象的だったのは彼の手だ。鍵盤に優しく触れるしわだらけの手。1923年、ドイツにユダヤ人として生まれた彼の歴史を思った。

 2年前に95歳で亡くなった曾祖父も同じような手をしていた。僕と将棋を指すしわくちゃの手。戦争も経験した曾祖父の年月の重みを感じた。曾祖父は人生を振り返ったとき、何を思っただろう。

 僕の手はどうか。しわ一つないこの手で、これから何をなすのか。今の浪人生活が人生においてどんな意味を持つかは想像もつかない。だが、今やれることをがむしゃらにやるしかない。意味は後からついてくるはずだ。90歳になった時に、僕はこの手を見て何を思うだろうか。振り返って『懸命に生きた』と思えるよう、誠実に生きたい」(予備校生 山下 唯 京都府 18)

 *

 何気なく新聞を読んでいたら、投書の主が、八年前に家族で一緒に和歌山の無人島・友が島へキャンプに行ったY君だと気づいた。その時は小学校五年生の、釣りが好きなあどけない少年だったが。

 クラッシック音楽には無知な私が、初めて聞く名前「メナヘム・プレスラー」。さっそくユーチューブで観たら、たしかに――識別の「さわる手」ではなく――「ふれる手」でピアノを弾いている。

 アマゾン書店で、バイオリニスト・庄司紗矢香(しょうじ・さやか)とのライブを録音したCDを購入。楽しみだ。