[高柳無々々.com]


  
  2017/07/22 [土]   小さな悩み


 表現教室 稽古会は、今期、メンバーが減って、火曜土曜とも私と千晶のほかに一名の参加者があるかどうかだ(今日も他に無し)。ここ一、二ヶ月、秋からの稽古会の会場をどうするか、悩み続けていた。
 
 現状のままでは、会場費は私の持ち出しが続く。それを見越して、楽天堂(我が家)の六畳間を、稽古ができるように整理した(体を耕す 講習会は、こちらで行っている)。ただ、稽古に参加する立場からすれば、お寺の広々とした空間の方が、気持ちがよいだろう。

 それに、お金の面からいえば、思わぬ援軍あり――私は来月、六十二歳になるのだが、教師をしていた時の年金が今年から支給されるのだ(とはいっても、九年しか勤めていなかったので、年額三十二万円ほどだが)。

 会場費の不足分や、私の研修費(勉強のために本を買ったり、いろいろなワークショップに参加したりする費用)は、何とかまかなえるだろう。お店の売り上げから回さずにすむのは有り難い。そして、お寺を利用すれば、少額だが寄進にもなる。

 なにより、野口晴哉が家では家族に決して手を当てなかった、必ず道場に来るようにさせていた、という話を思い出していた。稽古場とは、そういうものなのだ。日常性を生きるために、あえて(意識的に)日常性を断ち切るという。

 しょうもないことで悩んでいたこの二ヶ月。今日、朝風呂の中で、お寺を借りよう、とはらをくくった。そうしたら、朝の散歩の後で立ち寄った近所のスーパーで、珍しくお寺の住職さんとお会いした。「九月からもよろしくお願いします」と、ご挨拶しておいた。

 物事は、めぐりめぐるもの哉。


  2017/07/21 [金]   街を歩く


 今朝、新聞を買いに智恵光院通りの方に歩いていったら、少路のかどにある美容院に、「冷やしシャンプー」と書かれた布が吊り下がっていた。

 甘味処によくある、青地に白抜きの「かき氷」そっくりで、おもわず笑ってしまった。


  2017/07/19 [水]   整体協会の病


 先週亡くなったMさんと親しかったSさんが来店、死因は肺ガンではないか、と千晶に語る。

 細身の体に煙草をくゆらしていたMさん。私は以前から、整体協会の人達が煙草をすうのが疑問だった。煙草の嗜好性は認めるが、しかし肉体には――本人と周囲の人間にとって――百害である。科学的には明らかだ。

 野口晴哉が吸っていたから?先生も、吸っていたから?それでは師への盲従だろう。野口晴哉は、「整体は予防接種でもなければ万病に効く特効薬でもない。体を耕すことだ」と語っている。

 いったい、吸い殻だらけの土地を、耕したいという人がいるだろうか。そこに植物がすこやかに育つと、思っているのだろうか。

 死者にむちうつわけではないが、Mさんは動法教授資格者という“教える立場”にあった。私が一昨年、胸を患って入院・手術をし、前にもまして煙草嫌いになった(実際、今は気管支拡張症をわずらって、紫煙がとてもシンドイ)ためでもあるが、単なるタバコに、その人の生き方がみえてしまう。


  2017/07/16 [日]   『来るべき民主主義』


 横須賀への帰省の行き帰りに読んだ本、国分功一郎『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)。

 国分さんの著作は、『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)を読んで非常に考えさせられることが多く、この夏には〈読書ノート〉に感想を書きたいと思っている。

 この本は、一言でいえば、都道建設をめぐる著者の市民運動体験記であるが、その中での民主主義の在り方への深い洞察に、私も共感した。立法には市民は――選挙を通して――参加権を持つが、実際に社会を動かしている行政には何ら発言権を有しない、という視点。

 そう、そうなのだ。私も昨年、近所の児童公園廃止反対の市民運動に――久々に――関わって(「久々に」というのは、三十年前の横須賀での市民運動は、大別すれば「抵抗型」の運動であり、今回は、兵庫の震災の後に日本で陸続と生まれた「参加型」のそれであった)、いかに行政が市民の方を向いていないか、痛感したのだ。

 著者のすぐれた点は、ただ告発するだけでなく――民主主義を完成形ではなく、“発展途上”のものと捉えて――ではどうすればよいかを、具体的に提案していることである。すなわち、住民投票制度の有効化であり、住民参加のワークショップであり、パブリックコメントの活用である。

 ネットで検索したら、著者は早稲田大学の政治経済学部を出て、政治哲学を専攻していたそうな。さもありなん。私はSEALD`sのメンバーには、個人的には理論面での物足りなさを感じていたが、国分さんは、その面での不足を補うすぐれた人財に思える。

 図書館で、彼の『民主主義を直感するために』(晶文社)も借りてきた。読むのが楽しみだ。


  2017/07/15 [土]   結婚式


 @グランドハイアット東京in六本木。

 誕生を祝う、死への旅立ちを祝う、そして次代の生命につながる婚礼を言祝(ことほ)ぐ。そうふまえたうえで、喜びつつ、式と披露宴にはヘキエキとした。

 チャペルでは、例によってアルバイトの外国人牧師(今日はフランス人)が司式。信仰を共にする関係ではないのに、なぜ?権威付けが欲しいのか、単にホテルのメニューだからか。

 披露宴になると、さらに「おしきせ」の色彩が強くなった。司会者の過剰な演出、カクテル光線にスモーク、ケーキの“first bite”――昨年末に姪の結婚式に二つ出たが、まったく同じスタイルだった。

 「今時の若者」は、規格化されること、管理されることに抵抗がないのだろうか?甥は県庁の役人、お嫁さんは大手ビール会社勤務の、いわゆる勝ち組である。

 であるからなおのこと、レールから外れることをおそれるのだろうか。以前は、若者は革新、老人は保守、というのが通り相場だった。ところが今は――都議会選挙の時の政党支持率でみると――逆転して、20−30代が、もっとも安倍晋三sの自民党を支持している。

 二人が県庁や会社という組織に一体化せずに、それこそ“公(おおやけ)のため”には内部告発も辞さない人間に成長することを、心から願う(披露宴に来ていた同僚たちの姿を見ていると、心許なかったが)。

 いろいろ考えさせられた一日だった。


  2017/07/14 [金]   母への愉気


 明日の甥の結婚式にそなえて、横須賀の実家へ。久しぶりに老母に手を当てる。

 齢、九十。それでも身の回りは自分で行い、週一でデイサービスに通っている。ボケてもいない。

 触れて感じたこと。先祖はからだの中にいる――祖母(私は会ったことがない、生まれる前に亡くなっていた)やその母・・・が、浮かんできた。日本文化の祖先崇拝とは、このことをいうのか。亡きancestorsは、“外”にではなく、“内”に存在する。

 母は、生のサイクルを閉じようとしている。また子どもにもどりつつあるのだ。死は、あらたな生の誕生――輪廻転生とは、人が人に生まれかわるのではなく、いきとしいけるものがいきとしいけるものに再生することを言うのではないか。


  2017/07/13 [木]   暗と明


 京都新聞・愛の奨学金に光太郎が応募したが、結果はアウトだった(昨年に続いて)。我が家の経済状況は、低所得家庭だが、さらに厳しい家が多いのか、それとも光太郎の作文がイマイチだったのか。おそらく、そのどちらもだろう。

 高校で受けた模試が返されてきた。前回よりわずかながら偏差値がupしていて、塾に通い始めた成果か。本人は第一志望の大学に入学してから、イタリアなどの海外の大学に留学することを(今のところ)考えている。

 さて、どうなることやら。


  2017/07/12 [水]   うれしくもあり、さびしくもあり


 夜、光太郎と千晶の三人で、教育談義をする。

 千晶がこのごろ熱をおびてきたイタリア留学をすすめても、高二の息子は煮え切らない返事。私が「光太郎にはガッツが欲しい」と言うと、めずらしく息子が反論してきた。

 「お父さんがとんがっているから、僕がこの家の中でバランスをとってるんだよ。お母さんもお姉ちゃんも少しとんがってるから。お父さんがまるくなったら、僕だって変わるさ」

 今、この日本社会で、少年が成熟するのは難しい。ロールモデルが存在せず、〈自分で感じ・考え・動く〉ことの逆ばかり教育されるのだから。どこで、だれと出会えば、自立への一歩を踏み出せるようになるのか・・・。頭を悩まし続けている。


  2017/07/11 [火]   七夕、ふたたび


 備忘録:表現教室 稽古会

 Nさんと千晶、私の3名。

 まず、中国式目の体操。これは三十年近く前に、新聞かテレビで紹介されていた目の周囲のツボ四カ所を刺激するもの。内観的には、内蔵や胸とつながっている感覚がある。

 還暦を超えて、老眼鏡のお世話にならずに新聞や文庫本が読めるのも、この体操のおかげか。

 続いて、はらの調律点と母音の発声。今までは、「う→お→あ→え→い」の順番でしかやってこなかったが、初めて「あ→い→う→え→お」で行う。

 三人で和していると、なぜか能や狂言の発声に近づいてきた。「お」が最後にくると、気持ちが落ち着く。戦国時代のときのこえ、「えい、えい、お−」は、「え」「い」で気合いを入れ、「お」でまとまりをつけるのか。

 続いて、七夕の書。Nさんは「うごく」、千晶は「はずれる」、私は「いきる」。くしくも三人とも、動きのある表現になった。

 ※

 共謀罪の施行日。「昨日とかわらぬ今日」という投稿がツイッターにあったが、無限に近い〈世界〉という多面体のどこに視線を向けるかで、解釈は異なる。

 手始めは、世間が反対しにくいヤクザの抗争などに適用されるのではないか。廃止のための、第一日へ。


  2017/07/10 [月]   人相が悪い、この一言に尽きる


 森友・加計問題での国会審議を中継で観る。

 それにしても出てくる自民党の面々の、何という人相の悪さよ。ウソをつくことを、恥とも何とも思っていない。絶対神を持たなかった日本文化の、ナレの果てか。

 今朝の朝日新聞は、バブル期を超えたバブル――実体経済を伴わない、官製相場のヨイショ株――の特集を組んでいた。2020年、東京オリンピックの後に、暴落する予測も。三年後である。


  2017/07/09 [日]   裏切らない


 このところ、ツイッターを見ている。『田舎のキャバクラ店長が息子を東大に入れた。』という本の紹介が目に止まり――高ニの息子を持つ父親として関心をそそられ――アマゾンのカスタマーレビューを読んでみた。

 買うほどのこともないと思ったが、一つ、著者が「息子を裏切らない」という信条で子育てをしてきたことに、感心した。

 思い返せば、私も「出身階級を裏切らない」ということを――唯一の、と言ってよい――信条にしてきた。

 父も母も、小学校出である(前書の両親は、二人とも高卒)。

 小学校六年の時、成績が良かった私は、担任から国立大学の附属中学に行くよう勧められた。でも、何か・誰かを“裏切る”気がして、私は断った。

 進学した市立中学は、荒れにあれていた。戦前の兵学校宿舎を転用した校舎は薄汚く、汲み取り式トイレには不良たちがたむろして煙草の吸い殻が散乱し、ドアは蹴られて破れていた。

 一学年十五学級のマンモス校だった。いろいろな生徒がいた。私は、普通の公立中学に行って良かったと思う。暴力沙汰も受けたが、それが社会の縮図だったのだ。

 鎌倉の附属中学に進学して、上昇志向のレールに乗っていたら、今ごろどんな人生を歩んでいただろう、と思わぬこともないが。

 キャバクラ店長の息子さんは、東京大学文科一類だという。法学部だろうか。老婆心ながら、出身階級・階層を忘れずに、歩んでほしいと願う。


  2017/07/08 [土]   うまれる


 備忘録:表現教室 稽古会

 Tさんと千晶、私の三名。今日は恒例の〈七夕の書〉。まず、Tさんが休んだ時の、「喉の体操」と「気合い」を行った後、はらの調律点に左手の指をあてながら、ひらがなで“七夕の願い”を墨書する。

 例えば、「か」「さ」「た」・・・なら、「あ」とみなして第一調律点、というように。

 職場を代わったばかりのTさんは、緊張つづきなので「ゆるむ」(と決めて来たのに、先に気合いを行って、申し訳ない)、千晶は「たたかう」から「わらう」、最終的には「すすむ」、私は「うまれる」と書いた。

 Tさんと千晶の字は良かったが、自分のには不満が残った。「何が、生まれるんだろう?」


  2017/07/07 [金]   七夕


 夜、夢を見た。私が、「あなたは、生まれました」と宣告された。が、今日は親父の命日なのを、意識していた。

 父が死んで、四年になる。何が産まれたのだろうと、目が覚めてからしばらくものおもいにふけった。


  2017/07/06 [木]   簡潔に説明するのは、難しい


 からだとことばを育む会のPRの一助にでもなればと思って、京都市市民活動総合センターのインフォメーションサービスにwebから登録した。

 すると、今日、担当者から電話があり、活動目的と活動内容を書き直して欲しいと言う(いずれも、ホームページから引用したものだった)。

 ありていにえば、市民活動らしからぬ街の○○教室――営利目的の――と受けとられたのだろう。

 むっとしたが、電話を切った後、ここはマイナスをプラスに変えて、「〜でお困りの方に」とアドバイスされたように、広く受け入れられる表現を工夫しようと思った。

 体を耕す 講習会と表現教室 稽古会のPR文を、考え続けている。


  2017/07/05 [水]   生と死


 Mさん、逝去の報を知る。私より四歳年下、以前、整体の稽古を一緒にしていた。

 生き残った者が勝ちで、死んだ者が負けなのだろうか。だが、誰もが――遅かれ早かれ――敗者になる。


  2017/07/04 [火]   懸念


 (一)土曜日の都議選、最終日、安倍晋三が最初で最後の街頭演説を秋葉原で行った時、森友学園の籠池元理事長が日の丸の小旗を持って現れた。

 彼は報道陣に、100万円の札束を胸ポケットからとりだして見せ、安倍に返しに来たと言った。

 すると、私服警官か公安の人間と思われる数人の男たちが、取り囲むようにして籠池氏を“拉致”し、駅前広場から――安倍晋三の目に入らない――ペデストリアンデッキに連れて行った。

 ツイッターでどなたかも指摘していたが、何の法的根拠でこんなことが行われたのだろう?公道で街頭演説を聴くのは、市民の権利ではないか。

 「ウソ、つくな〜」「本当のことを、言え〜」と、籠池氏はめげずに声をはりあげていたが。

(二)日曜日の午後、BS日テレで巨人戦の野球を観ていたところ、確かコマーシャルの時間に数秒、日の丸が映された。

 野球場に掲揚されている旗ではなく、黒地に平面的な日章旗が放映されたのだ。私が瞬間思ったのは、「サブリミナル効果」ということだった。安倍晋三sと阿吽(あうん)の関係にある読売新聞が、自民支持層に都議選への投票を誘ったものではないか、と。


  2017/07/03 [月]   都議選の結果


 朝、朝日新聞と毎日新聞を買う。ツイッターも、時間をかけてチェックした。私の疑問:

1)投票率が50%超。つまり半数の有権者が投票に行かない(行けない)。この現実をなぜ問題にしないのか?どうしたら改善できるか、具体的に考えるべきでは。

 ※前夜、アメリカ映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を観たが、ここにヒントがあるのではと思う。オールタナティブな労働・教育・司法・政治制度が、世界――主にヨーロッパ――には在る、ということが分かる。視野狭窄の日本人には、ショックを受けるが。

2)自民党が“歴史的惨敗”とは喧伝されているが、民進党も前回選挙の15名から5名に、1/3まで議席を減らしている。これは、フランス大統領選&総選挙における“マクロン旋風”――中道右派の共和党・中道左派の社会党という既成の二大政党が凋落し、newborn babyの「共和国前進」が過半数を制するという――の日本版なのか、どうか?

 ※新聞に載っていた週刊誌の広告に、「民進党は前原(誠司)じゃなく「前川(喜平)代表」で出直せ!」とあったが、まったくその通りだと思う。

 都議選前に、多くの現職都議が離党して「都民ファースト」に転向したように、これからは国会議員レベルで同じような現象が続くだろう。

 ならば、立憲主義を基軸に、安倍晋三sの極右と対峙する、真の国民政党として脱皮すべきでは?

 支配階級(日本の+背後の宗主国アメリカの)にとっては、安倍晋三をキープするのが目的ではなく、維新であれ“小池新党”であれ、現状の権力構造を維持するのが、目的なのだから。

 内田樹さんがブログ『日本の覚醒のために』まえがきで述べているように、日本の主権回復を国民運動として展開できるような、主体的党派よ、起これ!

3)公明党は、立候補者全員が都民ファーストの推薦を受け、当選している。この党は、要するに、「権力につく」というそれだけがポリシーの“是々是々党”であることが如実になったのでは?


  2017/07/02 [日]   声はどこから来るか


 昨日は、大谷大学で開かれた日本病跡学会の特別講演:笠井叡(かさい・あきら)「私の〈声〉はどこからやって来る?」に参加する。

・なぜ踊るのか?―日本語が復活するまで
・声はどこから来る?―死者から

 冒頭のこの二言に、講演は尽きる。その他、記憶に残った言葉。

・岩にも命がある。人間は死んでも体は生きている。なぜなら地球が一つの命だから。
・日本が滅びても構わないが、日本語は滅ぼしてはならない。
・からだも声も踊りも同じ一つ。
・両性生殖から単性生殖になりたい。両性生殖がヨーロッパ的二元論を生んだ。
・日本語は、母音と子音が対立しない。ドイツ語と対照的。

 与えられた課題:
・能『卒都婆小町』の最初の一節で、「先」=「前・過去」の意味で使用?
・『古事記』で列記される単性生殖=「一人神」が意味するものは?

 感想:
 若いときに一度、笠井さんのダンス(オイリュトミー?)を観た記憶があるが、印象が大きく変わっていた。成熟・幅が広がったのか、ただ時折、顔が――安倍晋三sの一人、麻生太郎のように――ゆがむのは、?


  2017/07/01 [土]   応えられた祈り


大きなことをしようと、強さを求めたのに
小さなものの気持ちがわかるように、弱さを与えられた

より大きなことをなそうと、健康な体を求めたのに
より善いことをするように、病弱を与えられた

たのしく楽に暮らせるように、お金を求めたのに
生き生きと賢く生きるように、節約の生活が与えられた

世のすべての人に誉められようと、権力を求めたのに
真実に気づき従うように、地に生きる道を与えられた

人生を楽しめるように、あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを受け入れ幸せになれるように、生きる場を与えられた

自分が求めたものは何一つ手に入らなかったけれど、
私自身気づかない心の叫びに耳を傾けていてくれた

真実に背いていたにもかかわらず
私の言葉にならない祈りは応えられていた

この世のすべての人の中で、
私は最も豊かに祝福されている

―ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に掲げられているという作者不詳の詩(原題 Answered Prayer 宮嶋望訳)

宮島望『みんな、神様をつれてやってきた』(地湧社)より引用