[高柳無々々.com]


  
  2017/05/27 [土]   春を楽しみに待つ


 梅雨まえの夏陽。今日は表現教室 稽古会、参加予定者がなかったので会場をキャンセルしようと思ったが、一人でも稽古を行おう、少額でも会場費がお寺への寄進になれば、と思い直して、出向く。

 門脇に、陽光桜の苗木、数本。「ご自由にお持ち帰り下さい」の札――墓地に絢爛とかがやく、八重の桜花を思い浮かべる。

 お寺からは、楽天堂の店まえに置いてある萩や、睡蓮鉢のがまなど、いただいた。四季折々の花を楽しませてくれる場で稽古できることの幸せを、かみしめる。

 ※

 結局、稽古は行わずに、一昨日の内田樹さんの講演からインスピレーションを受けて、からだとことばを育む会のホームページとチラシ用の文面を、書き直す作業に打ち込む。

 1mほどの立派な苗木は、めだかの泳ぐ火鉢のとなりへ。


  2017/05/26 [金]   街を歩く


 どくだみの白い花が、咲き始めた。紫陽花も、早咲きが目をひく。

 京都へ越してきて、最初に気づいたのが、南天の多さ。ほとんどの家の敷地の境界際に、鉢植えが置かれている。「難転」との語呂合わせだそうな。

 次に多いのが、紫陽花だろう。なんてんの実が赤く熟すのが冬、その半期後に、青い花が雨にぬれる。

 それにしても庭をもたない庶民の、緑への愛着(執着?)は、涙ぐましいものがある。大通り――バスが通る――の街路樹の根本に、土を盛り上げて葱を育てている。あの葱を、食べるのだろうか?


  2017/05/25 [木]   〈ポスト・グロ−バル期のゆくえ〉


 龍谷大学での内田樹氏の講演を聴きに行く。

 京阪深草駅で偶然Kさんに会い、同道する。

 内田さんの論点は、ポスト・グロ−バル期の予測不可能な状況のなかで、唯一、人口減(日本がトップランナーとして、ただ22世紀にはアフリカをのぞく全世界で)だけが確実である。

 それに対してダウンサイジングで社会制度の設計を行うのが合理的なのに、日本の権力層(&多数派)は、経済成長を前提とした“株式会社的思考”から抜け出せないでいる。

 そのため、経済効率を優先し続ければ、地方―弱者―少数者が切り捨てられ、東京一極集中→シンガポール的都市国家の招来しかありえない。もう一つの確実性として、人工知能によって雇用が失われることが予測される。

 それに対するアンチテーゼ、可能性は?

 内田さんは、新しいものは――SEALDsのように――思わぬところから、思わぬ形でイノベーションがおきる、と語っていたが、具体的に二点、

 一)内田さんの道場・凱風館に集う三百人の間で、貨幣を介さない相互扶助(新たな共同体)が生まれている。
 二)若者が何の気負いもなく、農業に従事しようとしている。都市から地方への、少数でも潜在的な潮流。

 をあげていた。

 休憩時間に参加者(三百人ほど。シルバーエイジがほとんどで、学生は少数)が質問を書き、内田さんが答えるという時間があったが、残念ながら、自分の質問は採用されず。

 「新たな共同体と国家主義のコンフリクトのゆくえはいかがですか」

 五つほどの質問のうち、「孫へのアドバイスを」というリクエストに対して、「したいことをしなさい」と答えていたのが印象的だった。

 平田オリザさんの用語でいえば、「後退戦をしいられる」これからの若い人たちに、これ以外のどんな言葉がかけられるだろうか。ルキノ・ヴィスコンティの映画『家族の肖像』で、ビスコンティが発したメッセージ、「若者よ、セックスを楽しめ」が思い出される。


  2017/05/24 [水]   教育勅語


 昨日の稽古の後に考えた。
 
 感情をよりつよく呼び起こすために、英語の5W1Hを手掛かりにするように言ったが、それは思想(の内容と、語った人間)の真偽を判断する際にも有効なのではないか。

 When:いつ
 Where:どこで
 Who or With whom:誰が、または誰と
 What or For what:何を、または何のために
 Why:なぜ
 How:どのように

 例えば、教育勅語に普遍的価値があるかのように安倍晋三sが喧伝しているが、教育勅語を否定するような言説が、大日本帝国で許されただろうか?

 そして、When=今の政治状況で、Who=安倍晋三sを考えると、For whatが自ずと明らかになってくるではないか。


  2017/05/22 [月]   読書


 阿満利麿(あま・としまろ)『日本精神史―自然宗教の逆襲』(筑摩書房)を読み始める。次の日曜日・28日に、法然院サンガで読書会があり、著者自身のお話が聞けるのが楽しみだ。


  2017/05/21 [日]   聖地


 いつもの、嵯峨野のわが聖地へ。樫の木の下、草地にシートを敷く。あおさぎが、じっと湖面を見つめている。雨蛙が鳴いている。薄曇り空、風がここちよい。

 握り飯を食べ、来る途中で買った新聞に目を通し、仰向けになって目を閉じものおもいにふけっていると、何やらにぎやかしげな集団が。

 髪を赤や金・銀に染め、金縁の黒い制服で身をかため、剣らしきものを手にした少女十名弱が、ポーズをとって撮影を始めたのだ。

 ここがコスプレの聖地だったとは・・・。

 早々にシートをたたみ、帰りがけ、池につながる水場で、めだかの稚魚を発見(おそらく、めだかだと思う。はやとは見分けがつきにくいが)。持ってきたコップで、しばし、めだかすくいに興じる。

 十匹弱をビニール袋に入れて持ち帰り、睡蓮鉢にはなつ。おおきくなってどうなるか、楽しみだ。赤いひめだかになったら、それはそれで(娘も、高校を卒業したら、いきなり茶髪にした)。


  2017/05/20 [土]   職人衆昔ばなし


 図書館で借りてきた『斉藤隆介全集』(岩崎書店)第八巻&九巻の「職人衆昔ばなし」を拾い読みする。明治生まれの多彩な職人(名人)たちの、聞き書き。

 あとがきで斉藤隆介は書いている。

 「まことにこの職人衆の一人々々は、その顔さえ一ト眼でそれと分る際立(きわだ)った方々ばかりでした。正篇にご登場の二十数人を囲んで会を催した時、出席された安藤先生は、

 「みんな明治の、立派な顔をしていらっしゃって、もし私が知らずに道でお逢いしても頭を下げたくなるような・・・」

と言って絶句なさったが、私も胸が熱くなりました。そういう立派な顔が最近とみに少なくなったのではないでしょうか。

 仕事に全人生を打ち込んだ者だけが持つピカピカ光った、或いは燻(いぶ)し銀のように渋い、又はキッパリと潔(いさぎ)よい、あ々いう顔がもっと増えてくることが、この国にとってぜひ必要なことではないのでしょうか。

 それにはどうしたら良いか、邪魔しているものをどう取り除(のぞ)いたら良いか、そのことを抜きにして「愛国心」などと言われても、私には空々しく聞えてなりません。」

 斉藤がこう記したのは、1968年(昭和43年)である。

 それから半世紀、衆議院の法務委員会で、「共謀罪」が自民・公明・維新の議員によって、強行採決された。

 安倍晋三sを支持している多数派とは、いったい誰なのか?


  2017/05/19 [金]   散歩は、三文の得


 三月までからこと舎を借りていた家の前の道を、七本松通りの方向へ進むと、北側に最近、ゲストハウスができていた(特に古い町家でもない)。

 その隣に、「FREE!」と張り紙をして、玄関前に食器類を並べている。テイストからして、おばあさんの“断捨離”という感じだが、趣味は悪くはない。

 今日は、大きな梅酒ビン×3ケと、和裁用の二尺の物差しをいただく。年季の入った竹尺は、床の間に飾る宮本武蔵の『古木鳴鵙図』を吊そうと思う。


  2017/05/18 [木]   一件、落着


 蚊が出始めた。梅雨前の、夏のような日差し。夜は、放射冷却で冷える。

 娘のパスポートとクレジットカードは、駅の遺失物室に保管されていた。財布から、少額の現金はなくなっていたが。

 今回のような旅先で窮した時、日本の大使館や領事館は何の支援も行わないという。システムがない、という理由で。

 それならば、自衛するしかない。ウエスタンユニオンで送金するのがよいと聞いたが。


  2017/05/17 [水]   久しぶりの稽古


 近くの児童公園の八重桜が葉桜にかわっていたが、一えだ二えだ、白い花が咲いていて目をひく。

 木陰で、保育園の子どもたちに保母さんが絵本を読み聞かせていた。

 次回の稽古で手の使い方を行うので、肘から先と膝から下を消してこしの動きをためしてみる。

 肘に手があると感覚して木刀を握ると、胸がせばまるのではなく、逆に“肘張り”状態になって肩胛骨がひろがり、胸がひらいてくる。

 肉体とからだの感覚を、あえて〈反〉にすることによってからだが調うという理(事割り)。

 膝はよくわからない。まだつかめていない。

 五つの腰椎をひとつずつ、〈表〉と〈裏〉の感覚で歩いてみる。野口晴哉が体癖と名づけた体づかいと感受性・思考の型の特性というのは、どの腰椎に普段(意識せずに)集注しやすいか、そして、その片寄り――誰にもある――を、どのように肉体と感覚の間で調和をたもとうとうとするのか、の違いではないか、と思い至る。

 腰椎その一:体癖「上下」=タテの感覚 肉体↑感覚↓、肉体↓感覚↑
 腰椎その二:体癖「左右」=ヨコの感覚 肉体←感覚→、肉体→感覚←
 腰椎その三:体癖「ねじれ」=ナナメの感覚 肉体\感覚/、肉体/感覚\
 腰椎その四:体癖「開閉」=開閉の感覚 肉体表・感覚裏、肉体裏・感覚表
 腰椎その五:体癖「前後」=前後の感覚 肉体表・感覚裏、肉体裏・感覚表

 ※

 この子たちが五十年後、どのように文化を受け継いでくれているか・・・そんな想いをよそに、目の隅で、子どもたちが元気にかけまわっている。


  2017/05/16 [火]   てんてこまい


 イギリスに留学中の娘が、スゥエーデンに旅行中、ストックホルムでパスポートが入った財布を電車でなくしたという電話(幸い、スマホは手に持っていた)。

 とにかく所持金が3千円しかないというので、千晶が知人・友人にインターネットや電話でHELPを求め、送金方法を手探りしている。


  2017/05/15 [月]   街を歩く


 先月から新聞の定期購読を止めて、毎朝、近くのコンビニまで新聞を買いに行くようになった。今まで、自転車でまわっていた時にはわからなかった街の表情が見えてくる。

 このあたりは下町で――昔は北野村といったそうな――たてこんだ軒がつづき、庭のない家がほとんどだ。その中を路地がめぐり、行き止まりになることもあれば、思わぬ方向に道が開けている場合もある。
 
 家々の前に置かれた植木鉢の花や、わずかな植え込みのみどりを観賞しながら、下駄の音も高らかに、あるく。

 今日は、業務スーパちかくのファミリーマートに新聞を買いに行った。好きな小道がある。町工場の塀ぞいに、50cmほどのアスファルト舗装が頼りなげにのび、両わきにわずかばかりの裸地。

 そこに季節の花も咲いているが――今はゼラニウム、アネモネ、むらさきつゆくさ、ゆきのした、それにきばなしょうぶも開きはじめた――よもぎ、からすのえんどう、のびる、ひるがお、秋に手で穂をしごくと栗の“いがいが”になる??草が、生い茂っている。

 昔、子どものころ、どこにでもあった空き地、境界がなく、柵で仕切られてなくて、子どもたちが自由に遊べた場所――を思いださせる。都会の片隅の、ひそやかな異空間である。

 ※

 業務スーパーには、比較的低所得の人が買い物に来る。外国人(主にアジア系)もよくみかける。このスーパーでは、耳の聞こえない女性がアルバイトでレジに入っていたり、どうもほかでは使えそうにない男性が一生懸命品出ししていたりと、私が好きな店だ。

 忘れられない思い出がある。もう十年ちかく前になるか、ある時買い物にいったら、着物姿の小柄な老女が店内にいた。七十後半から八十代だろうか、でも背中は曲がっていないで、凛としたものがあった。「洗いざらし」とはこういうことを言うのか、と教えられた木綿の普段着だった。

 こんなに美しく着こなした着物姿を、見たことがない。それ以後、みかけることはなかった。


  2017/05/14 [日]   楽天堂で、初めての稽古


 備忘録:体を耕す 講習会
 
 【内容】
 @午前:身体感覚入門 
 (一)「腰がはいる・すわる」自分なりの座り方→座法という“型”を、まず肉体という形から、続いて感覚集注で習う。
 (二)こしのもつ“強い力”だけでなく、「柔よく剛を制す」“やわらかい力”、感応力も体験。
 (三)一本歯の高下駄、小指の先でもたれかかる=腰が抜ける。
 (四)こしの三段階を解説→立姿で相手を押す体型から、“気の筋交い”を体験。
 ○休息
 (五)「ふれる」「さわる」のちがいを、まず言葉で→次に実際に手をあててみる。
 (六)内観技法の型「心眼+呼吸+肚の間和り(はらその一&その三)」を習う。
 (七)ふたたび、手でふれる(日常の手と、からだの感覚〈裏〉の手)。
 ○昼食
 A午後:身体の養生法
 (一)内観技法の型「肚の間和り(はらその四&その五)」を習う。
 (二)脊髄行気をプリントで解説。
 (三)ペアになって、脊髄行気を行いながらうつぶせになった相手の背に愉気(対応点は、私が指示)。
 ○休息
 (四)活元の誘導運動を、まず肉体という形から、続いて感覚集注で習う。
 (五)活元その一(肉体の誘導運動)を行う(BGMはクライスラーを使用)。
 (六)活元その二(感覚の誘導運動)は、必要ないと判断。

 【反省】
 二年前の入院・手術いらい初めての六時間の稽古だったが、何とかやりおおせた。午前中は一名、午後から二名の参加者。アドリブで脊髄行気+愉気を行ったのはよかった。

 こしでは、ゴリラ歩きとなんば、帯しめやたすきがけを割愛、はらでは、仰向けに寝て上下左右の境界を感じる体験をカット。詰め込みを避けつつ、内観技法の基本も――表現教室につなげる意味で――伝えるかたちにシフト。

 これからの生活――大仰なようだが、人生――に役立ててもらえれば、と願う。


  2017/05/13 [土]   オウム真理教 その後


 森達也監督作品・映画『Α』『Α2』を観る(正確にいえば、千晶が図書館で借りてきたビデオを上映していた時に、私は作業をしながら“斜め観”をした)。

 『FAKE』でも感じたのだが、オウム信者の生活域の中まで入っていくその交渉力&潜行力には関心させられるが、どうしても人間が描けていないと感じてしまう。

 世間でつくられたイメージを壊す、という意図は分かっても、反面を対置しているだけで(それが森氏の制作スタイル?)、人間のもつ(みせる)多面性に迫れていないのでは。

 それは何もインタビューが欠けていると言っているのではなく、日常的な振る舞いをとらえるカメラワークのひとつひとつに――たとえ言葉がともなわなくても――現れるのだと思う。

 “目の問題”、その一言につきる。


  2017/05/12 [金]   人はどこで動くか


 昨日の朝、久し振りに毎日新聞を買う。朝日は読みものがあり、京都は地域情報がある、それにくらべて毎日は個性がない、中途半端だなと感じていたら、一点、読むべき記事を見出した。

 安富歩・東京大学教授の〈メディア時評〉、タイトルは「法律で抑止できるのか」。この短い時評の中で安富氏は、製薬会社と大学研究者による臨床データ改ざん問題に対処するために、刑事罰を柱にすえた「臨床研究法」が国会で可決成立したことを毎日新聞の社説が評価していることを、徹底的に批判している。
 
 安富氏の論旨は明快で、「医学関連の研究は(中略)真理の探究という学問の本来の姿がゆがめられやすい。そこに刑事罰という非常に強い圧力を加えれば、事態はむしろ悪化する」とし、逆に「必要なことは、圧力を下げることだ」と述べている。

 安富さんの立場は、「人間が創造的であるのは、その人が真剣に遊んでいるときだけなのである」――女装の大学教授というクリエイティブな人生を生きている人らしい言葉だが、残念ながら、官僚や国家第一と考える人たちには届かないだろう。

 なぜなら(一般論だが)、彼らは管理されることに慣れきっており――上司や権力を持っている人間に認められるべく、上から決められたことを疑問を持たずにミスなく遂行することを信条とし――およそ創造的とは対極の生き方をしているからである。

 彼らの人間観は、彼らの人生観とあいまって浅薄なもので、人間は信賞必罰によって(だけで)動くものと捉えている。要するに、アメとムチである。この間の、沖縄・辺野古基地問題における安倍晋三sの対応にあきらかなように。

 そして、信賞必罰とは、現状の社会体制なりシステムを認めたうえでさらに補完するものであるから、根元的な批判たりえない(というか、はじめからそんな視点を持っていない)。

 安富氏がとりあげている4/16付けの毎日新聞社説を私は読んでいないが、“権力の監視・社会の木鐸”たるレーゾンデートルを、日本のマスメディアがすでに失っている一端を、はしなくもこの短い時評は語っている。


  2017/05/11 [木]   赤ちゃんをおんぶしている女性を見かけると、うれしくなる


 備忘録:表現教室 稽古会

 【内容】
 (一)「喜」「怒」「哀」「楽」と書かれた四枚のカードを、各自が裏返しで切って、1枚を選ぶ(他の参加者には見せない)。
 (二)例えば、「喜」なら喜びの強い感情をいだいた過去の――昨日でも一年前でも子どもの時のことでもよい――体験を、英語の5W1H(いつ・どこで・だれと・なにを・なぜ・どのように)を参考に思い起こす。
 (三)(二)のイメージを、他の参加者の前でからだで表す。
 (四)はらの五つの調律点に左手の指をあて、3「う」→2「お」→1「あ」→4「え」→5「い」の順に、一調律点ずつ、@まず〈裏〉の呼吸+はらの間和りで、A次に〈表〉の呼吸+はらの間和りで、B最後にもう一度〈裏〉で母音を発声する。
 (五)最後に、はらには指をあてずに、「うおあ」を一息で、「えい」を一息で発声する。
 (六)再び(二)のイメージを想い浮かべ、各自で、どの調律点の時に感情が深まるか、左手の指をあて母音を発声しながら、探求する。★深い感情は声が良く通るのではなく、逆に発音しづらいことに注意を喚起。
 (七)一人ずつ、最初にイメージを想い浮かべたら後ははらの感覚(具体的には(六)の調律点)に集注して、他の参加者の前でからだで表す。
 (八)皆終わったら、一人ずつ“種明かし”、どんな経験だったかを言葉で語り、他の参加者が感想を話す。
 (九)二人ずつペアになり、仰向けになった相手のはらに手をあて、どの調律点がもっともフィットするか探求し、そこに愉気をする。相互にからだを調える。

 【眼目】
 1.最初に普段遣いのからだ(=肉体をイメージ操作)で感情を表現し、次に母音を手がかりにはらとむすんで感情を表現した時と、違いをくらべてみる。
 2.からだに埋もれた感情(一種の精神的な打撲のようなもの)を表現することによって、相対化する。

 【発展】
 上記(七)の身体表現にかえて、例えば@言葉や文章を発声する、打楽器をたたくA絵を描く、Bねんどをつかって造形する、ようなことができるのでは。

 【反省】
 火曜日の稽古では、私が「怒」、千晶が「楽」、Tさんが「哀」だった。三人さんようの表現で面白かった。それぞれがひいたカードは、それなりの必然性があったのだろう。

 私の怒りは、高校時代の担任への憤りだった。私は色弱で色覚にコンプレックスを持っていたが、権力的なマッチョ男だった担任は、英語の授業中になんのはずみか、「色盲は色がわからない。どんな見え方をしてるんだ」と、嘲笑的に言ったのだった。

 私は最前列の席で、うつむいたまま、耐えていた。その体験を表現したところ、Tさんから「こうやってバリアをつくらないと怖い」と言われた。さもありなん。

 千晶は「らく」を表現したのが、私とTさんの印象は「喜」だった。楽と喜のちがいについて、論議になった。楽は個人にとどまるもので、喜は他者にも伝わるのでは?他者志向の千晶らしい身体表現だと思った。

 Tさんの「哀」は、かなしく涙がでそうになった。Tさん自身はふれたくない子どものころの体験だと語っていたが、哀切な、能の幽玄の世界を思い起こさせた。

 顔が、くせものである。顔の表情で、脳は感情を――先見そのもので――速断してしまう。次回は、お面をかぶってみたら良いのでは。段ボールで仮面をつくるのも、面白い作業になるだろう。


  2017/05/10 [水]   メアリー・C・モリソン『人は老いるにつれて、何を手に入れるのか』(ディスカバー21)


 著者は、クエーカー教徒のアメリカ人女性。六十代から八十代にかけての日記の中から抜粋した文章を、八十七歳の時に出版した。信仰の、力強い言葉に、打たれる。例えば、次の一節。

 「わたしはほんとうにからっぽ。自分を保ってゆくために、この世界の何もかもを必要とする。本やラジオ、暖炉の火、食べもの、郵便箱に届いた手紙・・・。
 むしろ、わたしは、からっぽのままでい続けるだけの勇気と忍耐力がほしい。この空虚さから何が生まれてくるのか見極めるだけの勇気と忍耐力が。
 あらゆる人間の過ちと罪悪は、からっぽな自分を覆い隠し、空虚さをカモフラージュしようと躍起になるからこそ、生まれるのだと思う。」(同書 p.100)

 このごろ、からだは肩から下をさすのではないか、と思うようになった。から(空・殻・茎)だ、である。でもこのからだは、からだからこそ「わたしたちは命を生きるのではない。命がわたしたちの中で生きている」(p.56)

 そして、命は、つながる。

 「人生とは何か?
 わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのか?
 命の流れの中にある自分の居場所は、どのように次の人々に受け渡されてゆくのか?
 そうした考えに心揺さぶられ、同時に、深い畏怖の念を覚えた。

 まるで、自分が大海の縁に立ち尽くしているような気がする。大海の縁に立って深い底をのぞき込み、あるいは宇宙を見上げているかのように思える。
 「神秘」という言葉が脳裏に浮かぶ。
 そして、神秘とともに、人生の幕を閉じる感覚、幕を閉じる幸福感、命の流れの中で、次の者に場所を譲る喜びが浮かんでくる。

 わたしたちには、わたしたちの日々があった。
 ほら、見てごらん!
 新しい次の命が始まろうとしている!
」(pp.160-161)

 私は七十八歳で、このような文章を書けるだろうか?いま、この日本で――@フクシマ、@オキナワ、@そこかしこで、子どもたちを犠牲にして何ら恥じることのない“今だけ、俺だけ、金だけ”の安倍晋三sが跋扈する社会で、このように語れる人間は?

 原題は、LET EVENING COME.


  2017/05/09 [火]   体のケア


 (一)ここ半年ほど、胃腸が不調なのは食べ過ぎではないかとうすうす感じていた時に、『食べない人たち』(マキノ出版)を読み、この一ヶ月、食べる回数&量を減らすことにチャレンジしてみた。

 朝を抜いて昼&夜、昼を抜いて朝&夜、朝も昼も抜いて夜だけ、間食もしたりしなかったり・・・等々、いろいろ試してみた。どうも自分の場合は、一日一食にしてしまうと、体は確かにかるくなるが、力が抜けて冷えてきてしまう。食べ過ぎはよくないが、食べないのもマイナスらしい。

 そこで今は、朝の十時ごろに一食、夜の6時頃に二食め、というリズムが合っているようだ。食事の内容は、その時の体調に応じてかえているが、主食は玄米ご飯が二度ではおもいので、どちらか一食を玄米にして、もう一食はパンか麺類にしている。

 そして、手作りの納豆、緑豆もやし、豆乳ヨーグルト、ぬか漬けを欠かさず、後は店でとりよせているポカラ農園の卵、鈴木農園の豚肉、豆腐工房まめやの豆腐、週一で配達してくれるベジタブルボートか近所の佐伯さんの野菜、自然派生協の商品、それに好きな魚をスーパーで買ってきて副食にしている。

 我が身にかなった食事をアレンジするのも、シンプルなようでいて、むずかしい。

 (二)店に送られてきたボディ・クレイのパンフレットに、夜寝る前や朝起きたときに、ねんどの歯磨きをつかって歯磨きをした後に、そのままうがいをすると、口の中の雑菌が押さえられて口腔ケアになる、という記述があった。

 思い返せば、二年前に膿胸をわずらった直接の原因は、口の中の××××という常在菌(名前は忘れた)が肺に入り――誰でももっている菌とのこと――普段なら問題ないのに免疫力が落ちていたために、胸腔が炎症をおこして化膿したのだった。観念して病院に行き、レントゲンを撮ると、左の胸が真っ白だった。

 歯磨きは夜、寝る前にする習慣だが、ボディ・クレイのアドバイス通りにねんどのはみがきでうがいをするだけでなく、夜中に目が覚めて――ドライ・マウスになっているので――水を飲む際にも、歯磨きを少しなめて口の中で水といっしょにまわしている。よさそうな感じだ。


  2017/05/08 [月]   田植えはまだ、土起こしの状態


 春の好日。お金は不自由だが時間の自由のきく自営業者として、月曜日に骨休め。嵯峨野の広沢池までサイクリング。裸地の田圃をよこぎり、池畔のいつもの“お気に入りの場所”に腰を下ろし、持ってきた握り飯をほおばり、木陰の芝草のうえに仰向けになって陽をあびる。

 遠くでかっこうの鳴く声がする。青もみじが輝いている。つらつら、名前のことが、あたまに浮かぶ。親父が登だったので、長男の一登。高い島に一つのぼるのか、一人でのぼるのか、一番にのぼるのか・・・。そんな気張りが、いまでも、ある。

 親のつけた名前に、人間は拘束されてしまうのだろうか。いわゆる底辺校の高校教師をしていた時、「大久保博文」という名の生徒がいた。大久保利通+伊藤博文?親がどういう思いで名づけたのか、彼はクラスメートからいじられ、コンプレックスでいつも顔がゆがんでいた。

 からだとことば、こころ。明日の稽古の予習をかねて、「喜怒哀楽」の感情を、はらの五つの調律点とかさねあわせ、「あ・い・う・え・お」の母音で発音してみる。

 〈表〉の感覚―指遣いでは、分かりにくい。私たちは、からだにきざみこまれた感情を、身体感覚としてではなく単なる記号として表面的に処理することに慣れてしまっているから。いや、そもそも、過去の感情がからだの奥にうずもれていることなど、おもいもよらない。

 〈裏〉の感覚―指遣いで何度かやっているうちに、気がついた。「深い感情は、言葉では言えない」とよくいうが、「深い感情は、言葉で表す以前に声に出せない」のではないか、と。

 帰り道、“桜守”佐野藤右衛門の植藤造園の近くの道ばたで、ぎぼうしとなるこゆりの苗を売っていたので、お土産に買って帰る。


  2017/05/07 [日]   腰は軽く、尻は重く


 今日も半日、寝込む。体調不良の原因は、こどもの日にパソコンで夜なべしたため。CGIやCSSの知識がないのに無手勝流でホームページと格闘して、不具合が解決したのならまだしも、何も成果をあげられずに終わったときの疲労感は、ヘビーだ。

 どうして止めなかったのだろう?止められなかったのは、「このままでは終わらせない」「何とか答えを出したい」という、よくいえば一途な精神、別の言葉でいえば、「意地っ張り」「負けず嫌い」「ガンコ者」といえようか。

 大げさなようだが、腰からくる「信念」の強さなのかな、とも思う。腰椎第三に――意識せずに――集注してしまう、普段のからだづかい。が、反面では、武術で嫌う「居着き」にも通じるだろう。さらに、腰椎第一の、頭の「理性」も、ダチでつるんでいるのだ。

 この二つを中和するには、腰椎第二の尻(感情)――「もう、イヤ。やめて寝よう」――に焦点を移すか、第五の胸(得失)――「こんなに根詰めたら、体によくないよ」――に訴えるか、せめて第四の肘膝(開閉)に耳をかたむける――「一息いれましょうよ、だんな」――しか、ないだろう。

 それが分かっていてもできないのが、凡人のかなしさ。腰の五つの調律点への無意識的な集注を意識的に変えて、普段遣いのからだとこころから脱却とはいわないまでも、立ち止まることができるように、なりたいものだ。

 これから表現教室で行おうとしている腰の調律点への集注鍛錬は、まさに私にとって、必要な稽古である。腰は軽く、尻は重く、歩けるように。


  2017/05/06 [土]   街を歩く


 今朝も新聞を買いにコンビニまで歩く。幸い、往復30−40分の所にコンビニが7店あるので、一週間で一巡りする勘定になる。今日は、西大路のローソンへ。途中、建築現場にとりのこされたように立つつつじが―3mはあろうか―満開なのに見ほれる。

 一息一歩で息を吸い、歩数を数えながら息を吐く。スタンダードは十一歩、体調の良いときは十五歩。面白いもので、工事現場やゴミ屋敷の前を通るときは、自然と息が浅くなって(つまって)、五歩から七歩になってしまう。

 最初の一歩を左足で吸うか右足で吸うかは意識して替えているが、考え事をしていてふと気づくと、右足で吸っていたのが左になっている。自分の普段使いは、左足―右手なのだと分かる(右足で吸う人は、右―左なのだろう)。左右が交差するのは、“筋交い”感覚のなせるわざである。
 
 歩く時には、呼吸とはらの間和(まわ)りだけでなく目も意識しているが(肉眼は前、心眼は後に向ける)、なかなか、気はすぐに前方にそれてしまい、自転車が脇を通り過ぎていったりする。


  2017/05/05 [金]   寝込む


 一昨日のバスツアー、そして昨日は朝(今日)の4時までパソコンでホームページの修正に悪戦苦闘していた疲れからか、今日は一日布団で横になっていた。

 思い返せば、二年前のこの時期、膿胸をわずらって一月半、入院&手術をし、昨年は同じく春に、気管支拡張症になってしまった。春というのは、一年でもっともからだを調えるのに大切な時らしいが、今年はいままで、小波はあっても大波はうけずにすんできた。

 二月から三月にかけてホムページのリニューアルでパソコンと格闘、三月にはからこと舎の退去・後かたづけ、四月は母屋(楽天堂)の整理・収納・畳替えと、よくのりこえたものだと思う。少し休みなさいということかなと、自分なりに解釈。

 来週は表現教室があり、日曜には川崎から〈体を耕す 講習会〉の参加者があるので、からだを調えてのぞみたい。


  2017/05/04 [木]   人 間


 先日テレビで放映された福島智(ふくしま・さとし)・東京大教授と生命科学者・柳澤桂子(やなぎさわ・けいこ)氏との対話を、ふたたび観る。

 九歳で失明、十八歳で聴力を失った福島さんは、盲聾者になった後よりも、それまでの間、「いつ目が見えなくなってしまうのか、いつ耳が聞こえなくなってしまうのか」という不安にさらされていた時期が、一番シンドカッタとおっしゃっていた。いったんそうなってしまえば、もう開き直るというか、受け容れるしかないと。

 これは、生まれてから死ぬまで、煩悩にとらわれて生きざるをえない、人間の在り方そのものではないか。間こそ人、だから人間と書くのだろうか・・・。

 とはいっても、福島氏は“間を詰めて”自死することなどすすめはしない。それは生命への、生きたくても生きられなかった人間への冒涜であると。

 福島氏の生へのパッションは、盲聾者として何ができるかという使命の自覚であろう。


  2017/05/03 [水]   近代の超克


 千晶と義父の三人で、滋賀・日野町の「ダリア園」に牡丹を、愛知・津島の「天王川公園」に藤の花を観賞する日帰りバスツアーに参加。

 車中で『近代の超克』(富山房百科文庫)に収められた中国文学者・竹内好(たけうち・よしみ)の同名の論文を読む。今から半世紀以上まえに書かれた骨太な論考に、感銘を受ける。まだ、“知識人”というものが存在していた時代・・・。竹内は書く。

 「「近代の超克」は、いわば日本近代史のアポリア(難関)の凝縮であった。復古と維新、尊皇と攘夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋という伝統の基本軸における対抗関係が、総力戦の段階で、永久戦争の理念の解釈をせまられる思想課題を前にして、一挙に問題として爆発したのが「近代の超克」論議であった。だから問題の提出はこの時点では正しかったし、それだけ知識人の関心も集めたのである。その結果が芳しくなかったのは問題の提出とは別の理由からである。戦争の二重性格(大東亜戦争が植民地侵略戦争であると同時に対帝国主義戦争でもあったという点)が腑分けされなかったこと、つまりアポリアがアポリアとして認識の対象にされなかったからであり、そのために保田(與重郎 やすだ・よじゅうろう)のもつ破壊力を意味転換に利用するだけの強い思想主体を生み出せなかったからである。したがって、せっかくのアポリアは雲散霧消して、「近代の超克」は公の戦争思想の解説版たるに止ってしまった。そしてアポリアの解消が、戦後の虚脱と、日本の植民地化への思想的地盤を準備したのである」(同書 pp.338-339)

 近代日本のアポリア(課題)に向き合わない知識人の退廃を竹内は嘆じているが、現代日本は植民地“化”の段階を通り越して、アメリカの植民地(属国)として広範な人間の退廃をまねいているのではないか。

 思想家・内田樹(うちだ・たつる)氏が、ブログ「神奈川新聞のインタビュー」で、「公人の劣化」「異常な事態」について論及している(2017/05/03)。

 私は内田さんの問題意識・論点・課題への対処について、99%共有&首肯するが、ただ一点、「この状態がおそらく永久に続く」という一節は――みもふたもないではないか――受け容れがたい気がする。


  2017/05/02 [火]   街を歩く


 寺の標語、「過去と相手は変えられないが、未来と自分は変えられる」。

 修正、「過去と相手は絶対的制約に思われるが、過去の事象も相手の面貌も、見方を変えれば(=過去も相手も多面体なのだから、別の一面に焦点を移せば)相対的制約になりうる。つまり、過去のネガティブな記憶がポジティブな思い出に、相手のイヤな態度がほほえましい物腰に感じられる(ようになる)。

 また、未来と自己は相対的制約に思われるが、絶対的制約の下での選択(自由)であることを、忘れてはならない。この時代、この社会、人間として、何を為しうるか?自問自答こそ、相対的制約に課せられた――ある意味では人間的な――条件に思える。


  2017/05/01 [月]   今日から、日誌を書き始める


 昨日は、数年ぶりに滋賀・湖南アルプスの堂山へトレッキング。三つ葉つつじが満開の山道を、「は〜、な〜。あ〜、あ〜」と声に出して歩きながら、桃色の花のアーチの下をくぐり、正月に醍醐寺の力くらべで奉納される鏡餅ほどにも大きな二つの大石の隙間に二尺のつつじが枝をのばして花を咲かせているのに打たれ、谷川の平石の上に仰向けになって陽の光をあびていると、耳元でかじかが「ひぃーひょろひょろひょろひょろひぃー」と鳴き始めたのに、四十億年の生命のつながりの一時(ひととき)のまじわりを覚え、感じ入った。

 こんな所に、と思う場所に植物は根づき、こんな所まで、と思える場所まで、動物は住処にしている。動植物にとって、“絶対的制約”とは何だろうか、と考え込んでしまう。

 一昨日、最後のツイッターに書いた文章。
「制約には、絶対的制約と相対的制約の二種があるのではないか。ある時代、社会に、両親の下に生まれるのは絶対的(変えられない)で、現在の家族、職場、地域の人間関係は相対的(変えられる)である。人間にとって究極の絶対的制約は死だが、いつ、どこで、どのように死ぬかは、主体的な選択になる。」

「『葉隠』の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とは、この主体性を語っているのではないか。稽古では、肉体や感覚に制約(枠、型、不自由)を与えて、日常的な身体運用を封じる。そこから、真の自由が生まれる。眼目は、絶対的な制約を受容し、相対的な制約は表出(自己超出)する鍛錬に思える。」